<四海走破> ①
(=ↀωↀ=)<これに関しては読むタイミングの判断に作者も迷いましたが
(=ↀωↀ=)<本編の六章後半読了後推奨ということでお願いします
□■6XX years ago
およそ六〇〇年前、大陸は東西の超大国に分かれていた。
東は黄河帝国。皇帝をはじめとした古龍人によって治められる巨大国家。
文武に優れた民が多く、民が飢えることもなく、国家も安定したユートピア。
西は侵略国家アドラスター。王がただの一代……否、一人で築き上げた国。
多くの都市国家を攻め落とし、民を恐怖と力で従え、拡大を続けるディストピア。
自分達の国を守ろうとする黄河帝国と、王への恐怖から矛先を相手に向ける侵略国家は、大陸を二分して戦争を続けていた。
両国の戦力はほぼ互角であり、多くの戦場で一進一退。
ただし、他の戦力が無意味というほどに隔絶した存在がそれぞれに一人ずついた。
黄河帝国の最大戦力は【龍帝】黄龍人外。
黄河の守護者にして皇帝の相談役。
『人から外れた』という字すら持たされるほどに、圧倒的な力と知恵を有する最強の古龍人。
アドラスターの最大戦力は【覇王】ロクフェル・アドラスター。
国家元首にして数多の国を滅ぼした者、建国者にして侵略者。
単独で国を滅ぼすことすら容易い……他者と隔絶した暴力を有する最強のティアン。
二人のどちらかが直接出向いた戦場では一方に天秤が傾く。
【龍帝】の術は一〇〇万の敵を封じ込め、【覇王】の剣は一振りで山脈を切り崩す。
この二人が戦場に出れば、他の戦力はたとえ超級職であろうと雑兵に変わる。
そして、もしも両者が会敵すればその地は戦場跡としか呼べなくなり、どちらの支配地域でもなくなってしまう。
この圧倒的に過ぎる両者に加え、【猫神】シュレディンガー・キャットと呼ばれる謎の<マスター>が存在する。
【猫神】は他の二人と違って国を持たないが、まるでこの大陸の戦況をコントロールするように両国の争いに介入している。
そうして決着はつかず、一〇年以上も戦争は続いている。
後に三強時代と呼ばれるこの時、大陸は深い混迷の中にあった。
◇◆◇
侵略国家アドラスターには長い間、首都というものがなかった。
なぜなら、【覇王】は次々に国家を攻め落として東進していったからである。
始まりの都市国家から一〇年と経たない内に、五〇を超える都市国家を落とし、同数の都市国家を滅ぼした。
それゆえ、一つところに腰を落ち着けるということもない。
一年を通して狩りをしなければ生きられない肉食獣でもなかろうが、内政を固めるということはしてこなかったのだ。
基本的に内政は恭順した都市国家に任せ、【覇王】は軍事費のために税を徴収する程度の関わりだ。
無論、反乱も起きた。足元を固めていないので当然だ。
だが、最初の反乱都市の征伐に【覇王】が自ら出向き、文字通り跡形もなく滅ぼし、僅かな生き残りは想像を絶する……歴史書にすら記せぬ公開拷問で晒したことで逆らう都市はなくなった。
流血による地固めだけで東へと突き進んだ【覇王】であるが、それもこの一〇年は停滞している。
最初の一〇年で一〇〇以上を攻め落とした侵略国家は、黄河帝国と戦い始めてからの一〇年は足踏みをしている。
黄河帝国の……というよりも【龍帝】の格がこれまでの相手とはまるで違ったためであるが、戦が長引くならば必然的に自国内を整える必要がある。
【覇王】自身にその意図があったかはともかく、内政を任された者達は必死に国内を整えていった。
結果として、経済と政治の中心地として人と物を集めた首都が出来上がる。
都市の名は、業都。
より華やかな名前をつけようとした大臣達に、「これでいい」と【覇王】自身が言いつけた名である。
◇◆
先に述べておけば、ここまでの内容は前置きである。
侵略国家アドラスターが如何なる国か。
【覇王】ロクフェル・アドラスターが如何なる者か。
そして、業都が如何にして作られたか。
この三点について述べたのは前置きである。
この物語の本題は、それらではない。
本題は、これからである。
◇◆
業都は用途ごとにしっかりと区分けされた計画都市である。
街並みは鑑賞としての美と機能としての美を兼ね備え、都市の名に反してこの大陸でも有数の美しい都市であるだろう。
だが、そうして美しく作られた都市から数キロメテル外れた場所には、……それらと雰囲気のまるで違う巨大な建築物がある。
石に似た建材で建てられたその施設は長方体であり、暗灰色の壁面が陰鬱さを漂わせている。
巨大国家の首都の付帯施設として似つかわしくないように思えるその施設は、内部に大勢の人間を一度に集められるスペースが設けられていた。
そして、今も大勢の人間が集まっている。
それは一言で説明するならば、『弱者と敗者の集団』であった。
税が払えず連行された貧民がいた。
【覇王】との戦争に敗れて捕虜となった都市国家の軍人がいた。
官憲に捕まった食い詰めのならず者がいた。
オアシスの都市で商売敵に陥れられた元豪商がいた。
同盟国であるレジェンダリアでの部族間抗争に敗れて追い出された難民がいた。
数多の弱者と敗者が、合わせて何千人とその場所に集められていた。
この施設は収容所である。
彼らは弱者であり、敗者であり、囚人であり、奴隷である。
業都の建設に人手が必要であったため、各地の収容所から集められた。
そしてつい先日、業都は完成し、彼らは御役御免になった。
否、用済みになった。
「諸君、業都の建設はご苦労だった。今頃、業都では様々な式典が開かれているだろう」
収容所内の、彼らの手が届かない高さのブースから彼らを見下ろし、そう述べるのは彼らの総監督だった男だ。
名を、【魔将軍】レザーベル・ブルートという。
元は都市国家の一つを治めていた男だが、早々に【覇王】の軍に降伏した。というよりも、戦端が自分の都市に迫るよりも早く都市を献上して取り入った男だった。
そして戦闘でのダメージがなく、元よりある程度の整備がされており、立地条件も問題なかったことから、彼の都市を基礎として業都が建設された。
ゆえに彼が建設の総監督として彼らを使役していた。
形式上、彼らは全員がレザーベルの奴隷だった。
彼が奴隷をどのように扱うかを知っていたため、多くの者が彼に憎々しげに睨むか、あるいは怯えるように目を逸らした。
「さて、業都の建設が終わった以上、諸君らの苦役もこれで終わりである」
レザーベルの言葉に、彼らの間に僅かな希望が伝播した。
『恩赦』の二文字が彼らの脳裏をよぎる。
だが……レザーベルという男は自分の資産を理由なく捨てはしない。
業都の基となった都市国家を献上したように、捨てることで得ることを考える。
そして……今もそうだった。
「ついては諸君には……私のコストになってもらう」
レザーベルはそう言って、眼下の彼らに手を翳す。
その仕草がなにを意味するのか……レザーベルの下で奴隷をしていた彼らには分かっている。
それは、生贄として捧げる所作。
【魔将軍】が自らの所有物を、悪魔の召喚コストへと変換する前段である。
彼らは、口々に悲鳴を上げる。
「戦争は手古摺っているが、いずれは【覇王】様率いる我等が勝つ。長命の古龍人といえど、今の【龍帝】は老いている。遠からず状況は傾く。そのとき、戦果が多ければ得られるものも多かろう?」
ニヤニヤと笑いながら、レザーベルは眼下の奴隷の恐慌を楽しみながら、あえて聞かせるように言葉を発する。
「かつて、奴隷とした超級職を生贄にして伝説級の悪魔を呼んだことがある。人間とは非常に高品質なコストだ。無駄にはしないとも。単一の生贄でなければ呼べぬ悪魔は無理でも、諸君らのコストで呼べる悪魔は多いだろうさ」
これからの戦争で活躍し、【覇王】の覚えめでたくあるため、レザーベルはここで戦力を整えるつもりだ。
しかしながら、奴隷達の反応で愉悦を得ているのは彼の趣味だ。
死の恐怖から逃げ出したいが、奴隷であるがゆえ逃げ出せぬし逆らえぬ者達。
そんな彼らを見下すために、すぐに終わるコストへの変換を実行せずに眺めているのだ。
(ククク、これだけの大人数を一度に変換する機会もそうはなかろう。黄河を落とした後にできるかどうかといったところ。人生でも有数の機会、楽しまねば損よ。……ん?)
しかし絶望の嘆きが木霊するその空間の中に、レザーベルは奇妙な者を見た。
「…………」
それは、一人の少年だった。
彼は、声を上げていない。
レザーベルを睨んでもいない。
その表情を絶望に染め変えてもいない。
コストへと変える死の宣告を聞いても、自然体でそこに立っていた。
まるで潮風に吹かれながら海を眺める猫のような……穏やかな佇まいだった。
(何だ、あの子供は? 自分の状況を理解すらしていないということか?)
その少年に強い気配は感じない。
念のために《看破》で見ても、レベルは〇。
ジョブにすら就いていない、正真正銘の子供だった。
(……ただの子供だ。気にすることはない、か)
内心でそう思いつつも、レザーベルは僅かな焦りのような感情を抱く。
「……さあ! 諸君らの最期の時が来たぞ!」
ゆえに、彼らの絶望をもう少し楽しみつもりだったがそれを切り上げ、コスト化を始める。
しかしその焦りゆえか、眼下から聞こえる絶望の怨嗟ゆえか、あるいはいまだ自然体の少年に気を取られてか……彼は自分の背後の自動ドアが開いたことに気づかない。
「“我が手に所有せし”」
彼がコスト化の言葉を唱え始めたとき、
「レザーベル」
背後のドアから入ってきた人物は彼の名を呼びかけた。
しかし、レザーベルは自身を呼ぶ声に気づかなかった。
それはただ一度の聞き逃しであり、もう一度でも声をかけられればすぐに気づいただろう。
だが、一度聞き逃した時点でその機会は二度と訪れない。
奴隷達を生贄にしようと高笑いしていたレザーベルは、
「“数多の生命を――”」
「――我の言葉を聞き逃したな」
そんな言葉と共に――首を切られた。
奴隷達からは死の瞬間を迎える直前の絶叫が少し上がったが……すぐに異常に気づいて静まり返る。
そんな彼らの只中に、己の現状をまるで何も理解していなかっただろうレザーベルの首が落ちた。
そして彼らが見上げる者と首を見る者に分かれる中、頭を失ったレザーベルの体が血を零しながら倒れる。
そして、床に伏して見えなくなったレザーベルの代わりに、一人の男が奴隷達の視界に入る。
その男の姿を……彼らは全員が知っていた。
「…………【覇王】」
その言葉が誰のものであったかは、誰にも分からない。
聞いた者は自分が言葉を漏らしたのではないことに安堵したし、口にした者も自分が口にしてしまったと気づかなかった。気づいていれば、発言してしまったことに絶望してショック死したかもしれない。
レザーベルに代わってそこに立っていた男……レザーベルを一刀で切り殺した男こそは、【覇王】。
侵略国家アドラスターの支配者である、【覇王】ロクフェル・アドラスター本人である。
年齢は五〇前後のはずだが、その容姿は恐ろしいほどに若々しく、二〇代にしか見えない。
しかし力で老いすらも捻じ伏せていると言われれば、きっと誰もが納得しただろう。
【覇王】とは……そうした規格外・例外の代名詞である。
「仲介させるレザーベルが死んだが……どうでもいいな」
レザーベルの死体をつまらなそうに見下ろしながら、【覇王】はそう述べた。
奴隷達はその言葉に震えた。
いっそレザーベルの死の宣告よりも恐怖しただろう。
【覇王】は奴隷達を助けるためにレザーベルを殺したのではない。
単に、自分の呼びかけを一度無視したから殺したのだ。
戦端を開く前に降伏し、業都の建設に尽力した元都市国家の王は……ただ一度のミスで殺された。
『どうでもいい』という評価と共に。
それこそが【覇王】である証明として奴隷達を恐怖させた。
比類なき暴君であり、他者に価値を見出さない男。
極論……彼は国すら必要としないだろう。
誰も従わなければ、全員殺してたった一人で全世界を征服し……滅ぼすだろうから。
それをするのが【覇王】であり、それができるのが【覇王】であると……彼らは確信するほどに恐れていた。
「奴隷は残っている。多少の手間が増えただけだ。いや、むしろ俺が直接選ぶのが確実か」
【覇王】は奴隷達を見下ろして何事かを呟き、奴隷達は震えた。
一体どうして【覇王】がここに現れたのか。
その理由が……どうやら彼らにあるらしいと知って。
「聞け」
その命令に、誰もが一言さえも発さず……あるいは呼吸すらも止めて静聴する。
「これから貴様らを我の遊興に付き合わせる」
【覇王】の遊興。
その言葉にどれほどの陰惨で恐ろしき意味があるかと、奴隷達は絶望した。
後世には逸話すら残されぬ公開拷問も、彼らには数年前の出来事なのだから。
「我には成すべきことが三つある」
【覇王】はそう言って指を三つ立てた。
「一つは王としてこの大陸の全てを平らげること」
それは侵略国家アドラスターが常に掲げていることだった。
「一つは才を持つ者として人間の範疇を超越し、<終焉>さえも覆し、この世界の本来の<終幕>へと辿りつくこと」
それは奴隷達には理解できない目的だった。
「そして最後の一つは……ロクフェル・アドラスターとしてこの世界を一周することだ」
そして三つ目は……やはり知らぬ目的だった。
一つ目と似ているようで、どこか違う言葉を口にした。
まるで冒険に旅立ちたいと告げる少年のような言葉である。
「だが、黄河帝国と黄龍がいる限り、二つはまだ叶わない」
黄河帝国と【龍帝】がある限り第一の願いは叶わず、戦争の最中に【覇王】が国を離れることもできない。
「ゆえに、貴様らに三つ目の……世界一周の前準備を任せる」
そうして、【覇王】は彼らを指差し、
「――貴様ら、大陸の四海を船で回れ」
極めて巨大な事業を、命じた。
「船と資金は与える。人員を選抜し、大陸一周航海をやれ。我が願いの一端であるこの試みに成功すれば貴様らを解放し、代表者の願いを叶えよう」
笑みすら浮かべないまま……冗談のような話を至極当然のように話しながら、【覇王】は言葉を続け……。
「しくじれば――この場の奴隷全員に地獄の苦しみを与えて殺す」
死刑よりも過酷としか思えない決定を宣言した。
それが最初にイメージした『【覇王】の遊興』という言葉より遥かに恐ろしいものであると、その場の全員が理解した。
同時に、航海をするのもここに残るのも……死への道でしかないということも。
なぜなら、この世界の海とは地獄の同義語だ。
港町のセーブポイントに程近い海は穏やかだが、それ以外は海面一つ挟んだ未知の世界。
陸上と比較にならないほどモンスターの生態系は謎に包まれており、船を一呑みにするような海竜も珍しくはない。
嵐も地上の比ではなく、巨大船舶を転覆させるような嵐が常にどこかで発生している。
さらに補給の問題もある。西側はまだアドラスターの勢力圏や、同盟国であるレジェンダリアだが、東側は敵対国家である黄河帝国の勢力圏。水と食料を手に入れられる保証はない。
そして最も恐ろしいのは……。
「で、ですが海には……【海竜王】が……」
奴隷の一人が恐怖に耐えかねて口答えをしてしまう。
だが、それも無理はない。
この世界の海には、四海を回遊する世界最大のモンスター……【海竜王 ドラグストリーム】が巣食っている。
もはや世界の一部とすら言える海の主は、自身に触れる存在を許さない。
かつてとある海洋国家の船団がその体に触れ、……船団を出した国ごと大海嘯に沈んだ記録もある。
ゆえに、海は地獄と同義なのだ。
否、地獄よりもなお悪い。
しかし……。
「――我よりも【海竜王】が恐ろしいか」
【覇王】の言葉と共に、【海竜王】の名を口にした奴隷の首が落ちた。
それは地獄の航海や拷問よりはまだ安らかな死であったかもしれないが……他の奴隷の恐怖は増した。
転がる彼の首に……奴隷達は理解してしまった。
【覇王】の遊興に、否はない。
応じて達成する以外に生き残る術は存在しない。
「さて……名乗り出ろ」
奴隷達は、唐突に放たれた【覇王】の言葉を理解できなかった。
「代表者となる者は名乗り出ろ」
それは願いを叶える者である。
同時に、地獄の海へと真っ先に飛び込む者である。
それどころか、名乗り出ても【覇王】が気に入らなければ……今しがた首を落とされた奴隷のようにこの場で死ぬだろう。
そうなることは奴隷達全員が分かっていた。
だから、誰も名乗り出ることができなかっ……。
「僕が代表者になります」
いいや、一人……いた。
真っ先に名乗りを上げた者が。
それは……一人の少年だった。
ジョブにすら就いていない少年。
レザーベルの死の宣告の中で、自然体を貫いた少年だった。
「貴様の名を聞こう」
【覇王】は少年の首を落とさず、名を聞いた。
「バロア、です。陛下。ケルカの漁師、クシャンとリリアの息子、バロアです」
「貴様の親は?」
「父は二年前に漁で死にました。その後は税が払えず、僕と母は奴隷になりました。母も先日……病気で死にました」
「ならば良し。子を先に立たせる親がいれば殺していた」
【覇王】のその言葉に、奴隷達は驚愕した。
今の『良し』に二つの意味があったと分かったから。
一つは、彼が名乗り出たことを『良し』とし。
もう一つは……彼が代表者となることを『良し』としたのだと。
「バロア。貴様に船を五隻と資金を預ける。他の船員は貴様が決めろ」
【覇王】はバロアが子供であることを理由に否定しなかった。
本当に、最初に名乗り出たという理由でバロアを代表者に任命した。
そして【覇王】が決めたのならば、撤回はない。
賽は投げられた。
「一年だ。一年で四海を周り、帰還しろ。できなければ、此処の奴隷は全員殺す」
「分かりました」
かくして、一つの遊興が……彼らの賭けが始まる。
数千の命を賭けた、一年での大陸一周航海。
後に<四海走破>と呼ばれる……人類史に残る航海の始まりであった。
To be continued
(=ↀωↀ=)<…………
(=ↀωↀ=)<……こういう奴だったよ(遠い目)