彼にとっての<Infinite Dendrogram>
(=ↀωↀ=)<インフィニット・デンドログラム本編の六章前半第八話『<SUBM>』までお読みになった方向け
(=ↀωↀ=)<クリスマスゆえの深夜投稿
(=ↀωↀ=)<でも内容はクリスマス無関係です(ストックの都合)
□彼にとって
始めたばかりの彼にとって<Infinite Dendrogram>はゲームだった。
そして始める直前、彼は<Infinite Dendrogram>を『クソゲー』だと考えていた。
◇
二〇四三年も半ばの頃、金城鉱は当時では珍しいVRゲーム愛好家だった。
この珍しいという言葉は『VRゲーム』ではなく、『愛好家』にかかる。
VRゲームそのものは二〇一〇年代に発売された視覚と聴覚のみ体感する擬似VRゲームに始まり、徐々に進化していったので珍しいとは言えない。
そして彼は、少しずつ進化するVRゲームを少年の頃からプレイし続けた人間だ。
未来を描いた物語に数多登場するVRゲームに憧れ、その領域に至るのを楽しみに待ち続けていたとも言える。
その趣味が高じて、彼はゲーム雑誌のライターとして生計を立てるに至った。
そんな彼が夢見ていたダイブ型VRMMOが現実に完成したのは、ほんの数年前のこと。
第一のダイブ型VRMMOである<NEXT WORLD>の発表。
それを心待ちにした者は数多く、彼もまたその一人だった。
そうして<NEXT WORLD>をプレイして……健康被害に遭いもした。
瞬く間に、第一のダイブ型VRMMOである<NEXT WORLD>は閉鎖された。
彼が待ち望んだ夢のゲームの、お粗末な結末だった。
実際にプレイした人間として雑誌にレビューを頼まれた時、彼はこう書いた。
「夢のゲーム機は作れたが、夢を作ることは出来なかった」、と。
<NEXT WORLD>の大失敗の後、世に出た多くのダイブ型VRゲームを彼はプレイした。
しかしいずれも理想とは程遠いものだった。
そうして彼は諦念を抱く。
自分が生きている間に、子供の頃の自分が夢見たものは生まれないのではないか、と。
ゆえに彼は現行のダイブ型VRゲームを『クソゲー』と認識し、辛口な記事を書き続けた。
その受けが妙に良く、仕事が増えたのは皮肉な結果だろう。
高価なVRハードを買うのにそうそう失敗できないために、体験者の詳細なレビューが求められていたと言うのも大きな理由ではあった。
もっとも、どれを選んでも彼に言わせれば『失敗の度合いが違うだけ』だっただろうが。
そうして日々を過ごす彼に、<Infinite Dendrogram>発売の報が流れた。
職業柄ゲーム業界に詳しい彼でも事前の発売や開発状況を知らず、値段も既存のダイブ型VRゲームと比べ桁違いに安かった<Infinite Dendrogram>。
しかも完全な五感の没入や三倍のプレイ時間、選択式のグラフィックなど、ありえないほどの好条件を喧伝する。
彼は訝しみ、「これは詐欺か、あるいは大陸で出回るようなガワだけリッパな似非ハードの類であろう」と考えた。
それでも低価格だったので試しに買い、酷評してやろうとプレイを始めた。
実際にログインしてキャラクターメイキングをしている途中で、「……随分と出来がいいな」と考えはしたものの、彼はまだ疑念を棄てていなかった。
それゆえに、アバターのネームを本名の読みをもじった醤油抗菌という変てこな名前で登録し、彼はグランバロアへと降り立った。
結論から言えば、彼は凄まじく後悔した。
無数の巨大船を繋げて出来た海上の国家、グランバロア。
甲板の街に立ち、潮風を嗅ぎ、蒼い海と空を見たときに……理解してしまったからだ。
彼が幼少期から夢見たゲームが正にここにあったのだ、と。
そんなゲームに醤油抗菌などというバカまるだしの名前で乗り込んでしまった少し前の自分を、彼が絞め殺したくなったのは無理からぬことである。
しかも孵化した<エンブリオ>の名前がアブラスマシであり、「何だこのコンボ……」と頭を抱えもしたのである。
とはいえ、ついに辿りついた夢のゲームに彼は満足していた。
始めたばかりの彼は、<Infinite Dendrogram>を『夢のゲーム』だと思っていた。
◇
冒険を繰り返し、レベルを上げ、交流を広げた。
その過程で自らの冒険内容を記事とし、旅行形式の攻略本として出版もした。
知り合いの編集部のメンバーと共に作ったクランでの冒険を描いた『マクシム旅団探検記』や、グランバロアで試作中だった潜水艇の体験レポートである『海底二万メテル』などはそれなりに売れもした。
夢のゲームを堪能するうちに、早い段階で彼のアブラスマシは第六形態に到達し、レベルもカンストに至った。
社会人ではあるが半ばゲームをプレイするのが仕事であった彼だからこそ、と言えるスピードだ。
そうしていつしか、決闘ランキングと討伐ランキングの両方に名を連ねるほどにまでなっていた。
討伐ランキングでは彼の<エンブリオ>の、『液体を爆薬に変える』という力が海上で猛威を振るい続けた。
決闘ランキングでも同じことが言える。
海上国家であるグランバロアには、他の国と違って『内部でのダメージ等をなかったことにする』結界施設がない。
あれらは今の文明が作ったものでも、作れるものでもないからだ。
代わりに、グランバロアの決闘方式は船を使用してのものとなる。
互いに船で海上闘技場へと出向き、先に相手の船を沈めるか船内のフラッグを奪った方が勝ちというルールだ。(なお、決闘に関連する船の修理は、大勢の【船大工】が経験値取得も兼ねていることと補助金が出ることから、格安で済む仕組みになっている)
船単位の戦いなので、決闘ランキングの対象者である船長以外の船員も戦闘に加わるのが他の国の決闘との大きな違いであろう。
武器やスキルの使用制限もないため、大火力魔法で沈める者もいれば、白兵戦で乗り込んでフラッグを奪う者もいる。もちろん、船の性能で押す者もいる。
そんな中で、醤油抗菌は無双とも言えるほどに活躍した。
なにせ、液体は全て彼の武器。艦底を爆破して沈めるなど朝飯前だ。
しかしそんな彼に対応するため、艦底を強化する工法が発達するなどの技術革新もあり、彼は何だかんだで周囲と切磋琢磨しながら競って楽しんでいた。
そうして熟練の<マスター>として活動していると、自然とティアンとも縁ができる。
最初はNPCの類と考えていたが、次第に高度な自立型AIであると認識し、彼らともコミュニケーションをとっていた。
そうして仲良くなったティアンの一人が、【大提督】カイナル・グランライトだった。
カイナルは老齢のティアンであり、グランバロア四大船団の一つ、軍事船団の先代船団長であったらしい。
今は息子に船団長の職を譲り渡し、自らは超級職として軍事船団の一部を指揮し、モンスターの討伐やグランバロアに所属しない海賊の討伐を行っていた。
醤油抗菌とはモンスターの討伐中に知り合った。
その後はアブラスマシが海上の殲滅戦において無類の強さを誇ったことから、クエストの協力を依頼することが多かったのだ。
醤油抗菌としても、グランバロアの重鎮であるカイナルとの縁はライターとして得難いものだった。
それだけでなく、純粋に人間として馬が合ったということも大きい。
彼らは知り合ってから<Infinite Dendrogram>の時間で二年近く、共闘し、酒を酌み交わしながら大海原を駆け抜けていた。
この頃の彼は、<Infinite Dendrogram>を『自分の生活の一部』だと考えていた。
◇
そんな日々が終わりを迎えたのは、醤油抗菌がログインしてから<Infinite Dendrogram>で三年と数ヶ月経った頃だった。
その日、醤油抗菌はカイナルに誘われてとあるクエストを受注した。
それは新型戦艦の試験航海、その護衛の任務だった。
実際には新型戦艦以外にも多くの艦艇が随伴するので、追加で護衛を雇う必要はさしてない。
彼が誘われたのは、「珍しいもの好き(実際には記事や攻略本のネタ探しの一環)」である醤油抗菌に新型戦艦の試乗をさせてやろうという、カイナルの心遣いだった。
その航海は楽しいものだった。
彼以外にも乗り合わせた<マスター>はおり、彼らやティアンと歓談しながら新型戦艦の試乗を楽しんだ。
そうして、本国を離れて二週間も経った頃。
その日も、彼らはラウンジで酒を飲み交わしながら語り合っていた。
「そういえば爺さん。この船の名前って何なんだ? 《鑑定眼》でも【三〇〇メテル級戦艦】とかいう味も素っ気もない名前が出てくるんだが」
「フォッフォ。まだ決まっておらんからのぅ」
「……処女航海はじまってんのにか?」
「ちょっとしたしきたりでな。周遊航海の最中に、船員が名前を書き、それを瓶に入れて波に流す。無事に都に辿りついた名前が、この船の名となる」
「……それさ。昔の船のために流した名前が採用されることや、変な名前が採用されることもあるんじゃないか?」
「フォフォフォ。そのときはそのときじゃのぅ」
「そんなんでいいのかねえ、……!?」
そのとき、突如として彼らが乗った船が大きく揺れ、遠くない場所から爆発音までもが聞こえてきた。
甲板に飛び出して周囲を見渡せば、護衛艦艇のうちの数隻が炎上していた。
「これは……何が起きた!?」
そうして水平線の果てを見て……彼らは気づく。
水平線の形は、直線ではなかった。
水平線の手前に、巨大な何かがあり……それは無数の砲門を生やしていた。
その砲門の全ては――この船団に向いていた。
「他国の戦艦か……いや!」
砲門を生やしたそれは船以外ありえないと思われたが、その姿が近づいてくるにつれて……そうでないことに気づいた。
「《遠視》により名前を確認! 対象の名は、【双胴白鯨 モビーディック・ツイン】!!」
「《看破》によるステータス把握不可能!」
「護衛役の<マスター>からの報告! <エンブリオ>による判定の結果、対象の脅威度――神話級以上!!」
「神話級以上、だと……!」
「まさか……、<SUBM>だとでも言うのか……!」
<SUBM>とは、ティアンの歴史でも時折名前が出てくるモノ。
あるいは、歴史にあえて呼称を残されたモノと言うべきか。
神話級を超える存在として歴史の中に喧伝されながら、実物を見た者はこの数百年でいなかったはずのもの。
しかしそれは今……彼らの前に確かに存在していた。
「爺さん、……どうする?」
醤油抗菌が、隣に立つ老人に問いかける。
「……退けぬよ。奴はこちらに向けて進み、こちらに砲門を向けている。我らが狙いならばそれでいい。だが、我らの後方……都が目的だとすれば、ここで退くわけには行かぬ。都は定期メンテナンス中で、向こう一ヶ月は動かせぬからな」
そこに立っていたのは老齢のティアンではなく、歴戦の超級職【大提督】だった。
「旗艦より各艦へ伝達。これより敵対的<UBM>、名称【双胴白鯨 モビーディック・ツイン】との遭遇戦を実行する。高速艦【マンダリン】は戦場を離れ、この状況を本国へ伝達。それ以外の全艦艇により、対象の殲滅を実行する!」
カイナルが宣言すると同時に、彼の体と周囲の艦艇からオーラが立ち上る。
それこそは提督系統超級職【大提督】の奥義、《無敵艦隊》。
範囲内の味方艦艇の全性能を向上させ、さらには与ダメージ上昇とバリア効果を付与する広範囲バフスキルである。
範囲はスキルレベルに応じて変動するが、カイナルは《無敵艦隊》のスキルレベルを五まで向上させている。これにより、半径五キロメテル……現状の全艦艇が効果対象となった。
「爺さん、俺もやるぜ。なにせ、護衛のクエストで来てるんだからな」
「ああ、頼んだぞ」
醤油抗菌がそう述べると、他の<マスター>も呼応する。
そうして<マスター>とティアンが一丸となり、<SUBM>【双胴白鯨 モビーディック・ツイン】との戦闘を開始した。
◇
戦いは熾烈を極めた。
砲弾が飛び交い、魚雷が放たれ、大海が爆烈した。
お互いの身を削りあう死闘。
なれど、被害は一方にのみ集約していく。
「……何なんだよ、こいつはよぉ!!」
彼らは幾度も【モビーディック・ツイン】にダメージを与えた。
艦砲で背中の艤装を吹き飛ばした。
海を爆薬に変えて腹部を抉った。
<エンブリオ>の必殺スキルで【石化】させた者や、その巨体を貫くほどの槍を投げた者もいた。
しかし、そのいずれも無意味。
【モビーディック・ツイン】はダメージを受けるたびにその部位を再構成し、不死身の如き有り様で一方的に人間を駆逐していく。
それこそは、この【モビーディック・ツイン】の固有スキル、《蒼海置換》。
周囲に水がある限り、それを自らの体や武装に置換できる。
ゆえに、この大海の全てが【モビーディック・ツイン】のHP。
海上において【モビーディック・ツイン】は真に不死身の怪物だった。
消耗を知らぬ怪物との戦いで、人間達は疲弊する。
艦隊を構成していた船は徐々に数を減らし、前線で戦っていた<マスター>も次々にデスペナルティとなる。
そうして、残るはただ一隻。
未だ名前も与えられていないというのに半壊した新造艦だけである。
それも艦底には穴が空いており、浸水によって既に沈没が確定している。
乗っていた乗員の多くは既にここにはいない。
そして、どこにもいない。
脱出艇で海に出た直後に、狙い済ましたかのような【モビーディック・ツイン】の砲撃で沈められた。
それはまるで……この海に自分以外の存在を許さないとでも言うかのようであった。
そうして……この海の生存者は新造艦の甲板に立つ二人だけ。
自らが降りるのは最後と決めていた老提督と、彼に付き合った醤油抗菌だけだった。
「<マスター>も……俺以外は全滅だ」
「そうか……」
醤油抗菌の苦渋を滲ませたような言葉に、カイナルは頷く。
既に勝敗は決した。
全滅……完全敗北である。
だが、これで終わりではない。
【モビーディック・ツイン】がこのままの進路を進めば、グランバロアの首都に到達するのだから。
何としても、それまでにあの怪物を倒さなければならなかった。
「なぁ、コーキン」
「なんだよ、爺さん」
「<マスター>は、三日後にはこの世界に戻れるのだったな。それは、持ち物も含めてか?」
「……ああ」
「なら、これを持っていけ」
それは、使い古した手帳のようだった。
「後ろのページにこの戦いで集めた奴の記録が書いてある。それと軍事船団の長である息子への言伝もな」
「爺さん、待てよ! それじゃ、まるで……!」
まるで、遺言のようじゃないかという言葉を……醤油抗菌は口に出来なかった。
「諦めるなよ!! まだ手は……!」
「それがこれじゃよ。このデータさえあれば、対策も打てるはずじゃ。奴が都に辿りつくまで、あの速度なら一週間は掛かろう。その前に御主が戻り、言伝と共に息子にそれを渡してくれ。あやつなら、それで万事進めてくれようさ」
「爺さんは、爺さんはどうするんだ!」
<マスター>である醤油抗菌は、三日で戻ってこれる。
だがカイナルは……ティアンは死ねば戻ってこない。
「爺さん……そんなこと、言わないでくれよ!」
醤油抗菌は、眼に涙を浮かべながら訴えた。
初期の彼にとって、ティアンとはNPCだった。
少し前の彼にとって、ティアンとは高度なAIだった。
しかし、今の彼にとって……。
「爺さん、死んじまうだろうが……死ぬなよ!!」
カイナルは……ティアンは友人だった。
「なに、天命という奴よ。軍人だが、ワシは長生きできたとも。ワシの父よりも、ワシが生まれる前に死んだ祖父よりもな。妻子を得て、こうして御主のような友も得られた。ワシは自分の人生に満足しておるよ」
「爺さん…………!」
彼の目からは、大粒の涙が零れていた。
「そうそう。データと言伝を届けるのはクエストだ。報酬を用意せねば」
「そんなの……」
醤油抗菌が何かを言い募ろうとしたが、それを制してカイナルは告げた。
「コーキン。御主、【大提督】になれ」
それが、友に遺す最後の贈り物だと言わんばかりに。
「それは、爺さんの……!」
「ワシと共に色々とやったからのぅ。条件は満たしておるはずじゃ。ワシが死ねば席も空く。三日のうちに取られることもあるまい。御主が就け」
「爺さ……」
それが、彼らの交わした最後の言葉だった。
直後に【モビーディック・ツイン】のこの戦闘での最後の……そして最も苛烈な砲撃が彼らを襲った。
その砲撃は、新造艦の上部にあった全てと共に彼らを吹き飛ばし、油と血に染まった海へと放り落とす。
名前さえ付けられなかった新造艦は、海の底へと沈み。
老いた【大提督】は、その命を海へと還し。
「畜生……畜生……!」
一人の、<マスター>は……。
「絶対に……」
爆風で四肢をもがれ、波間に消えながら、
「絶対にテメエは……俺が倒す……!」
片方だけになった目で、悠々と海を進む白鯨を睨み、
「テメエをブッ倒して……爺さんの守りたかったものを……俺が守ってやる!!」
その宣言と共に……アバターの命を散らして光の塵になった。
【――超級進化シークエンスを開始します】
そんな言葉を、消える直前に聞きながら……。
◇
三日後、醤油抗菌は<Infinite Dendrogram>に帰還した。
己の受け取った手帳を軍事船団長に届けた後、彼は提督系統のクリスタルへと向かった。
そうしてすぐに試練のクエストを突破し……彼は【大提督】となって戻ってきた。
その後、彼は軍事船団と共に【モビーディック・ツイン】迎撃のための会議に参加。
既に<超級>であった【盗賊王】ゼタや軍事船団と共に、迎撃へと出航。
そして、『海域全てを吹き飛ばして再生不能に追い込む』という……<超級>となった彼にしかできない戦術で、宿敵である【モビーディック・ツイン】を討伐した。
その後の彼は英雄として讃えられる自分の名を嫌がったこともあり、一時的に<Infinite Dendrogram>そのものから離れていた。
しかし、グランバロアに残っていたゼタが国宝の奪取と共に離脱したことを知り、復帰。
その後は自身の姿を隠しつつ、グランバロアの助けとなるクエストを受け続けていた。
始めたばかりの彼と、今の彼では大きくスタンスは違う。
今の醤油抗菌にとって、<Infinite Dendrogram>は『もう一つの世界』。
そしてグランバロアとは、『守りたい友の国』だった。
そのことが……後に<砂海事変>と呼ばれるカルディナとグランバロアの激突へと繋がることになる。
Episode End