眼鏡と煙草と君と私
好きなものは目と口。
綺麗に澄んだ目が好き。
私に向けた言葉を吐いてくれる口が好き。
嫌いなものは眼鏡と煙草。
綺麗で澄んだ瞳を隠すレンズに殺意が沸く。
言葉を煙と飲み込ませる煙草に腹が立つ。
だから彼が大好きで大嫌いって話。
目の前の彼を睨みつけて溜息。
その溜息は彼の吐き出す白い煙に巻き込まれて、言葉と一緒になって飲み込まれて消えてしまう。
それにすら腹が立つ。
お昼休み、いつも通り人気の少ないサブ教室のある棟へ向かえば、いつもの場所にいつもの彼がいた。
そこには彼しかいなくて、いつも一緒のイケメンくんは存在しない。
ベストのタイミング。
お弁当片手に彼に近づく。
向こうは私に気が付いていない。
「岡くん」
声をかけた瞬間、彼は大袈裟なまでに肩を揺らして振り返った。
その瞬間にウキウキしていた気持ちが一気に沈んだ。
天国から地獄の最下層まで急降下。
閻魔大王もビックリの超大型ジェットコースター。
だって眼鏡かけてたし。
視力が悪いのは知っているけど眼鏡だし。
コンタクトが良かった。
まだコンタクトの方が許せる。
基本は裸眼派だけれど。
それに眼鏡が黒縁。
ノンフレームじゃないのが頂けない。
ノンフレームならまだ顔が見やすいのに。
アラレちゃん型の大きめの眼鏡は、彼の顔を隠してしまって私はレンズを割りたい気分になった。
ゆらゆら漂う煙も不快だ。
彼は驚いているようで、吸いかけの煙草を隠すことなく持っている。
灰が落ちそうになっているが。
たまにそういう匂いしてたけれど、親が吸ってるから移ったとかだと思いたかったんだけど。
「あ、えっと、伊波……ちゃん」
ヒクリ、と口元を引き攣らせて私の名前を呼んだ岡くん。
しどろもどろになってて可愛い。
けど、やっぱり灰が落ちそう。
「落ちるよ?」
「え、あぁ!!」
煙草を指差して言えば、岡くんは視線を投げてから大慌てで携帯灰皿を取り出す。
ちゃんと常備しているってことは、定期的に吸ってるってことなんだと思うと唇が突き出る。
携帯灰皿に吸いかけの煙草を押し付けた岡くんは、私を見てからすぐに視線を逸らす。
今時の高校生の半分以上は煙草またはお酒を経験していると、私は勝手に考えている。
私はどちらも未経験だけれど。
「岡くんって喫煙者だったんだね」
「……言わないで下さい」
「バレたら停学だもんね」
言わないよ、と吐き出した私の言葉に、岡くんは安心したように眼鏡の奥の瞳を細めた。
何で眼鏡なんてかけてるのって言いたい。
外した方がカッコイイのに。
人気の少ない三階の隅っこの階段。
彼はよくここで煙草を吸ってるということを、私に教えてくれた。
煙草を吸ってることは聞きたくなかったけれど、ここによくいることが聞けたのは嬉しい。
「……吸ってい?」
聞きながらも早々に新しい煙草を取り出していた岡くんに、私は苦笑を見せることしか出来なかった。
そして話は冒頭に戻って不機嫌になる。
スパスパと煙草を吸い続ける岡くん。
そんなに煙草も眼鏡も嫌なら、この場から立ち去ればいいだけの話だけれど、それをしないのはやっぱり冒頭で言った通り、彼が好きだから。
岡 秀一くんが好き。
私は彼の横に座り込んで持っていたお弁当を広げていた。
煙草の煙に眉を顰めて、綺麗な焼き目のついた卵焼きを口の中に入れる。
甘い、美味しい。
彼は窓を開けて換気をしながら煙草を吸う。
匂いが残ってから問題だから、が理由だとは思うけれど窓から顔を出して吸ってたら、隠れて吸ってる意味が無い気もする。
「お前、禁煙するって言ってなかったっけ」
真っ赤なプチトマトを箸で持ち上げていたら、突然別の声がかけられて肩が跳ねた。
それと一緒にプチトマトもお弁当箱の中に落ちる。
私と岡くんがほぼ同時に声の主を見て、私は首を傾け、岡くんは「ゲッ」とウンザリしたような声を漏らす。
あぁ、ええっと、誰だっけ。
碓か同じクラスの。
ぐるぐると頭の中身をひっくり返して、声の主たる彼の情報を持ち出そうとする。
キラキラした金髪に猫目に人懐っこい顔立ち。
俗に言うイケメンくん。
「遅ぇよ、ハル」
そうだ、ハル。
高崎 晴臣だ。
いつも岡くんと一緒にいる親友くん。
岡くんしか見てないから覚えてなかった。
岡くんは携帯灰皿に煙草を押し付けて火を消しながら、高崎くんと言葉を交わしている。
私はまた箸で落としてしまったプチトマトを持ち上げた。
「あれ、伊波さん?こんなところでどうしたの?」
「ご飯、食べてます」
プチトマトを口の中に入れて答えれば、高崎くんはその綺麗に整った顔をキョトンとさせて「そっか」と言った。
岡くんは煙草と携帯灰皿をしまい込んで、思い出したかのように私がここにいる理由を問いかける。
「あぁ、今日は静かにご飯食べようと思いまして」
もそもそいそいそ、とおかずとご飯を口の中に詰めては、咀嚼して飲み込む。
普段は友達と食べているけれど、たまには一人で静かに食べたい時もある。
だからこそこうして人気の少ないところに来て、食べようと思っていたのだ。
岡くんはしばらく私を眺めてから「何かごめんな」と言って頭をグリグリと撫で回してきた。
謝っている理由は多分『静かにご飯を食べようと』という部分に対して。
私から声をかけたのだから、岡くんが謝ることなんてないのだけれど。
高崎くんも「シュウがごめんなぁ」と言いながら笑っていた。
この二人は本当に仲がいいらしい。
今も私の目の前で棒付きのキャンディーを開けている岡くんに、高崎くんが俺にもくれとたかっていた。
煙草を吸う人はやっぱり口寂しくなるものなのだろうか。
教室内でもよくガムを噛んだり、飴を食べていたりするのをよく見かけた。
最後に取っておいたもう一つのプチトマトを口の中に入れて、お弁当箱をしまう。
「もしかして、伊波さんも煙草吸うの?」
棒付きのキャンディー片手に、高崎くんが首を傾げていた。
私はお弁当箱を包み直しながら、ゆるゆると首を横に振る。
「いや、私は煙草好きじゃないので」
「あれ?そうだったんだ」
高崎くんが岡くんをチラリと見てから笑う。
むしろ煙草は嫌いだし、眼鏡も嫌い。
でも岡くんは好き。
その嫌いなことをされていると少しへそが曲がるような気分になるけれど、それでも好き。
それにしてもここにいて煙草吸うの、と聞かれるということは穴場なのだろうか。
変なことに巻き込まれないようにはしておこう。
チラッ、と付けていた腕時計に視線を流して、残りの昼休みの時間を確認する。
「二人はこれからお弁当ですか?」
「ん?んー、お弁当ではないけどご飯だね」
ニコッ、と効果音の付きそうな笑顔を見せた高崎くんは、持っていた購買の袋を掲げて私に見せた。
購買は利用したことがないけれど、美味しいんだろうか。
ちなみに岡くんも購買組らしい。
普段は屋上で食べるらしいが、今日は岡くんが喫煙をするためにここにいた為、ここで食べることになっているとのこと。
岡くんが喫煙しているってことは、高崎くんも喫煙者なんだろうか。
……まぁ、そうだとしても私には関係のない話か。
「……伊波ちゃんも、飴、食べる?」
立ち上がった私に岡くんが声をかけてくれた。
視線を向ければやっぱり眼鏡のせいで瞳が見えにくくなっている。
眼鏡がなかったらもっと良く見えるのに。
そんなことを思いながらも、私の口は「じゃあ、貰おうかな」と動いた。
ちょっと待って、と言う岡くんは片手で自分の食べていたキャンディーを持って、もう片方の手でポケットの中身を探る。
赤い赤いキャンディー。
何味だろう、あれ。
「伊波ちゃんって好きな味と……あ」
ポケットからいくつか飴を取り出した岡くんは、私の方を見てポカンとした顔をする。
あ、さくらんぼだ。
いちご辺りかと思ったけど違った。
モゴッ、と口の中で飴を転がして棒を揺らす。
目の前にはほんの少し煙草臭い岡くんが、驚いたように目を丸めて顔を赤くしていた。
その瞬間に心の底から眼鏡が邪魔だと思う。
「ご馳走様です」
そう言って、岡くんの眼鏡を外す。
眼福眼福。
ぽむっ、と手を一つ打ってから岡くんの食べかけの飴を持っていた手に、その眼鏡を乗せた。
私達の傍では、高崎くんが口を開けて目を見開いている。
イケメン形無しだ。
「私、眼鏡も煙草も好きじゃないですけど。岡くんのことは好きですよ」
にっこりと笑ってスカートを翻しながら教室へ戻る。
でも一度だけ振り向いて岡くんを見た。
さくらんぼ味の飴みたいに赤く染まった顔。
そんな顔を見ながら私は口の中の飴を指差す。
「これ、美味しいですね」なんて言葉を吐きながら。
翌日、岡くんが眼鏡を外して再度禁煙目標を掲げて学校に来ることを、この時の私はまだ知らない。