第9話 「偽りのペルソナ」
ほー!ほー!ほっちゃーん!
ほわぁぁぁぁぁ!ほわぁぁぁぁ!
「正史? ああ、前にちょっと困ったことがあって、助けてもらったんだよ。何があったって? ちょっと恥ずかしいことなんで、勘弁してくれい」
「田渡くん? よく分からないわよね彼。よく寝てるし、何考えてるのかわからないし」
「あいつの名前は出すな! ちくしょおおおお!」
「田渡ってあれだろ。親がヤクザから借金があってあいつのところに取り立てに来てたのみたぜ」
「キモいオタクな奴だろ。なんか変なコスプレとかしてる連中と一緒だし」
「私より部長のほうが詳しいんじゃない? たまに部室きて話してるし。……接点はわからないんだけどね」
「……恩人、かなぁ。……いやでもあれは恩っていえるのかなあ? 」
「殺す」
「あ、気にしないでよ神奈森さん。 こいつが惚れてるお嬢様学校の清音女子の合唱部の部長と田渡がデートしてってのを見て嫉妬してるだけだから」」
――人物像がつかめない。
先週の木金、そして今週の月曜に、正史の人となりについて聞き込んだ結果である。
文からそれなりに交友がありそうな人、噂をしていた人を教えてもらい、さらにその人から紹介された人に聞いたりしてみても、やはり正史がどんな人物なのか、何か特別なことがないかということは、わからなかった。
彼のことを深く知ってそうな人は、たいてい「恩人」というようなことを言っているが(何人かは明らかな敵意を出していたが
)、では彼が何をしたのかを聞くと言葉を濁す。
クラスメイトのような「接触はあるけど特に興味がない」という人からは、「何を考えているかわからない人」というのが一般的である。もっとも、それは蛍も以前は思っていたことなので納得できるが。
遅刻や欠席はよくあるものの、不良と言うわけではないし、教師からも注意されている様子はない。いや、彼が休むことをよろしく思ってない教師はいない訳ではないのだが、ではそれが問題になっているかと言うとそうでもないのである。
このようによく分からないが――ただ、文がいっていたとおり、彼が非常に顔が広いのは間違いなさそうである。
友好関係……というのとは少し違うようではあり、また、彼と接触を持つ人間に部活や委員会などのカテゴリめいたものはない。
とにかく、所構わずといった感じである。
結局――蛍は彼のことは何もわからなかった。
そもそも、こういった調べ物は自分の得意分野ではないので当たり前と言っては当たり前である。
【ホコロビ】に関わる調査はあくまで霊脈やその場に残る淀んだ空気の残痕を追うことであるし、秘密を知られた人間を探し出しての記憶操作などは、現場でもなければ本来別の者が担当しているのである。彼らに頼めば何かわかるかもしれないが――「なんとなく気になる」「夢で見たから」などで動いてくれるかわからないし、逆に不必要に彼を危険視されても正史に迷惑であろう。
やはり、彼のことは気にするべきではないのだろう。
変わった人ではあるが、それだけだ。
自分が記憶を消しておいて、自分がまた関わろうとしてしまっては本末転倒である。
彼女はそう思い、今日からは彼のことは忘れていつもどおり過ごそうとして――
「うーす、神奈森。頼みがあるんだが」
「えっ」
昼休み、蛍は正史から声をかけられた。
そのあまりの唐突な接触に蛍は息を詰まらせたが、彼からしてみれば自分に声をかけるのは特別なことではないはずである。
ここで動揺するわけには行かないと、一度大きく息を吸って
「あ、はい。なんですか、田渡君」
「今度の土曜、暇か? 空いてたらでいいんだが、おまえさんの『お役目』用の服と道具一式もって、俺と一緒に来てくんね?」
ピシリ、と、蛍の周囲の空気が固まる。
彼は今、何を言ったのかと。
役目――といえば、魂守の一族の役目である【ホコロビ】などの殲滅くらいしか思い当たらない。
当たらないが、何故彼がそれを今口に出しているのか。
いや、落ち着きなさい蛍、と少女は自分に言い聞かせる。
自分が勘違いしてるだけで、きっと何か別のことなのだ。
たとえば日直とか、委員会の手伝いとか。
それでジャージに着替えろとかそういうことではないだろうか。
自分は日直でもなければ委員会や部活には参加していないが、そういう類の何かに違いない。
うん、大丈夫私、と蛍は脳内で頷いて、
「えと……役目って、なんの? それに服や道具って?」
「ん? ほら、おまえさんの一族の――魂守の一族だっけ? それのことだよ」
直球であった。
もうこれっぽっちも誤解を招く要素もなく、「裏」のことについてである。
慌てて周りを見渡したが、幸いにもこちらの会話に注目している者は一人も――文が何故かとても楽しそうな目で見ている以外はなかった。
そしてあわあわと口を開いたまま正史に向き直ると、
「んで、あのときなんか札とか道具使ってただろ。その辺も普段使ってる奴は一通りあるといい。服はほら、こいつだ」
次から次へと「裏」のことを言ってくる正志に蛍は目を回しながら、彼の差し出したそれに反射的に目を落とすと――
彼が取り出したのは、一枚の写真だった。
それに映っているのは、どこかで見たことのある女で、どこかでみたことがある衣装で、どこかでみたこと――というか「したこと」があるポーズをしている。
それが何のポーズなのかはすぐにわかった。
ホコロビに対して極めて有効な、そして攻撃術の基本である、「魂砕き、一の矢――光針」である。
その写真の女は、ちょうど術式を放った直後なのか、弓で矢を放った様な手足の運びをしており、真剣な目で遠くを見つめている。
その型の完成度は非常に素晴らしく、まさに教科書どおりといえる。
衣装は――鍛錬のとき、そしてお役目をするときに彼女が着ている霊服に似ている。
白を基本としたの布地に赤い帯、巫女服に近いその服は、動きやすいように袴の部分は短めに切りそろえられている。
蛍は、ああ、一族にこんな素晴らしく錬度の高い術者がいたんだー、お友達になりたいなー、としばらく呆けて――
(いや逃げちゃ駄目でしょ私!)
……やはりそれは、どこからどうみても、先日の日曜一族が借り受けている山林にて鍛錬をしている自分であった。
「え、へ、なんでぇ?」
え、え、と言葉にならない声を上げながら、写真と正史を交互に見ている蛍。
このときの蛍の表情を見ていたのは正史だけだったが、のちのち彼は「あのときの顔こそ写真に撮って置けばよかった」と漏らし、蛍からきついお仕置きをされることになる。
が、それはまた別の話である。
「ど、どうしてこれ……というかなんで私のこと覚えて――」
「あれ、神奈森さんと正史君、どうしたの――ってなにこれ!」
二人が話し合っていることに興味を持ったらしい文が近寄り、正史のもっていた写真を見る。
(見られた! )
しまった、と蛍がそれを止めるまもなく、文は正史から写真を受け取って――
「うわぁぁぁぁ! 可愛い! どうしたのこれ!」
「えっ」
反応が思ったのと違っていた。
「ねえ、これなに? 神奈森さん、なんでこんな格好しているの?」
「ああ、文ちゃん。これは神奈森が変な化けモンと戦うための――」
「ちょ、ちょっとまって! こっち来て田渡君!」
慌てて立ち上がり、正史の手を取って廊下へと連れ出していく。
引っ張られた正史は、おおお? と声を上げつつも、その手を振り払う事無く少女についていった。。
そのまま蛍たちは廊下に出るが、当たり前であるがそこにはまだ人が何人もいたため、彼女は屋上へと続く階段を登る。
ちなみに、この階段から続く屋上への扉は開放されていない――鍵は開いているが規則上――ため、少女は扉の前で振り返って正史を見た。ここはちょうど下の階からの死角になるため、大声を出さない限り誰にも見られないし、話も聞かれないし、気づかれないはずであった。
……二人が手を取り合ってこの階段を登っていったこと事態は、多数の人間に目撃されていたのだが、蛍はすでにそこまで気が回っていない。
「……」
「神奈森、急にどうしたよ」
「どうした、じゃないです……貴方、なんなんですか!?」
「え、何が? ……あー、もしかして『あのこと』をいっちゃうとまずいってこと? 大丈夫大丈夫、ちゃんとそれは周りにはごまかすつもりだったし」
「え、そうなの? ……ってそうじゃなくて! そもそもなんで私のことを覚えてるんですか?」
「ん? 不思議なことを言うな神奈森。まるで、俺が覚えていたらおかしいみたいな言い分じゃないか」
「……くっ!」
有無を言わさず正史の記憶を奪ったのは、間違いなく蛍である。
いくら助けた相手とはいえ、そのことを責められたら、蛍は何も言い返せない。
「ああ、別にそれを責めるつもりはないんだがな。事情があるんだろうし。
まあ記憶を消されるってのは『そのときの俺を消して別の俺になる』ってことだから、やられるんなら抵抗しただろうけどさ」
されちまったもんは仕方ないしな、と正史は軽く言う。
「で、お前さんが記憶を消した……ってことでいいんだよな。
催眠術で思い出せないだけなのか、物理的に脳の中身がいじくられてそうなってるのか知らんけど」
ずいぶんと物騒な物言いである。
まるで、「脳の中身をいじくる」方法を知っているかのようなそぶりだ。
だが、蛍が気にするべきはそのことではない。
「貴方は、なんなんですか? なんで、記憶があるの? 記憶は消えていたと思ったけど、あれは演技だったってこと?」
「んー、まあその辺一通り説明するのは構わないんだが、俺自身もお前から聞きたいことがいろいろある。
どうだろう、ここは一旦、お互い情報交換と行かないか?
こんなところじゃなくて、落ち着いて座って話せたほうがいいだろう。」
そうだな、と彼は一旦声をおいて
「お前さんの都合の良い日でいい。喫茶店にでも行こうぜ。
落ち着いて話せる良い店がある。まあ、一品くらいなら奢るから」
「驕りじゃなくていいです……ですが、わかりました。
私としても、このままでいるわけには行きませんから。一刻も早く説明を求めたいので今日の放課後でいいですか」
「OK、それじゃそういうことで。んじゃ、話は終わりってことで戻るか」
「そうですね、わかりました」
そして教室に戻った二人であるが、途中、何人かの生徒が蛍を優しい眼で見ていたり、逆に正史に敵意の目線を送っていることに気づき、少女は少し訝しがる。
しかし、それを聞く必要もないのでそのままにてして、二人で教室に入ると文が蛍の席で待っていて――
「あ、帰ってきた。正史君、神奈森さん、急にどうしたの?」
「ああ、今日、神奈森とデートすることになった」
ステーン、と。
昭和の笑いの神々である某5人組コメディグループの「誰か」が憑依したかのような見事さで、蛍が盛大に足を滑らせた。
文が「えええ!」と声を上げ、何人かの生徒が三人に注目してくる。
「ちょ、ちょっと! 田渡君!」
「俺はいつでもいいといったんだが、神奈森がどうしても今日がいい、といってな」
「神奈森さん、意外と積極的だったんだ……」
「田渡君! こっちへきて!」
そしてまた正史の手を取り、先ほどと同じように階段を登って向き直る。
途中また視線を感じてはいたが、蛍は気にしている余裕がない。
「何言ってるんですか貴方!」
「え、『二人きり』で話すわけだしデートと違うのか?」
「違います全く持って違います! 別に二人きりがいいわけじゃありません! ただ話がしたいだけです!」
「そうか……違うのか。それじゃ仕方ないな」
「……ええ、わかってもらえて何よりです。私は貴方からちゃんと話を聞きたいだけです。
貴方の秘密を。
私も、この前のことをちゃんと話しますから」
蛍はそうは告げたものの、実際は事の次第がわかれば改めて正史の記憶を消すつもりではある。
手に負え培養であれば、一族の助けが必要かもしれないが、まずは情報収集に専念するつもりだった。
「秘密を打ち明けてくれるってことね、了解」
正史は、そんな蛍の心のうちを知ってかしらずか、そう答える。
そして再び戻ってきた教室にて。
「まいった、デートじゃなくて告白したいから時間を取ってほしいらしい」
「貴方絶対わざとやってますよね!」
告白――秘密を打ち明けること。
間違ってはいないが、さすがの蛍もここまでされればどういう誤解を受けるかはわかる。
慌てて周囲を見渡したところ、ここまで動揺する蛍というのが珍しいのか、大勢の生徒が好奇の目を向けていた。
「まあまあ、神奈森さん。大丈夫だって、さすがに正史君の冗談だってみんなわかってるから。……正史君、あまり、神奈森さんをからかっちゃダメだよ!」
文が「め!」と、なぜかお姉さんぶった様子で正史を注意して、その後「もう大丈夫だからね」と慰めるように蛍に言ってくるが、その目がどことなく優しく――というか生暖かく見えるのは蛍の気のせいだろうか。
「ああ、冗談だ、皆、驚かせてすまん」
その正史の言葉で、どうにか周囲が落ち着きを取り戻して言った。
それを確認して、蛍は一度ほうっと安堵の吐息を漏らした。
すると文が「じゃあ改めて」と一度、前置いて、
「んで、さ。この写真なんだけど――結局なんなのこれ」
そうだ、と蛍は改めて現状を思い出した。
今は、まずクラスメイトにこのことを説明しなければならないのだが、蛍にはどうごまかしたらいいか皆目検討がつかない。
とりあえず、ちゃんとごまかすと言っていた正史のほうを見上げると――
「神奈森ってさ、退魔師になって化け物と戦うんだよ」
「え、神奈森さんが?」
「ちょ、なんで……!」
全くフォローになっていなかった。
蛍がすぐに詰問しようとするが、正史はそれを手でやんわりと押さえて、
「――っていう設定の、ゲームキャラのコスプレなんだ」
「……コス……プレ?」
蛍は、聴いたこともあるしその意味も知っているが決して自分とは接点のなかろうその単語を、思わず反芻する。
「え、そうなの? へー、神奈森さんってそんな趣味があったんだ!」
文が、なぜかすごくうれしそうというか、同士を見つけた、というような顔で蛍を見る。
いや、違う。
私にはそんな趣味はない、と、蛍は言いたかったが、そのタイミングがつかめない。
「ねえねえ、こんなゲームキャラっていたっけ? でもこの杖みたいなのとお札みたいなのを投げてるポーズとか、決まってるよね!」
いつの間にか文の手には、先ほどの写真だけではなく、様々な「術」を行使している蛍の写真が大量に握られている。
見ると、隣に居る正史が次から次へと写真を出していた。
「ああ、今度知り合いが同人で格闘ゲーム作るんで、宣伝用とモーション取るのにモデルやってもらったんだよ。
そのときの写真なんだ。魂守っていう一族の巫女でさ、悪霊みたいなのと戦うって設定。
まあ、最初は恥ずかしがっていたけど本人もノリノリだったんで、そのときの写真もってきちゃったけど、みんなに知られるのは恥ずかしいかったんだな。
ごめんな、神奈森」
「え、え、え?」
蛍の理解が及ばないところで、何故か話がどんどんとまとまっていっているようである。
さらに何故か一族の名前が堂々と人前で出てきてしまっているが、全員、気にもしていない。
「うわぁ……かっこいい。可愛い」
「ちょ、ちょっと見せて! ……いいじゃん! 神奈森さん、なんかすっごく様になってる!」
「コスプレってオタクの趣味って感じでちょっと引いたけど、コレはかっこいいよね」
「え、神奈森さんが!? マジで! やっべ、すっげー意外な一面!」
「ぶっひぃぃぃぃぃ! とか叫ぶべきかコレ、オタク的に」
「オタク女か……アリ、だな」
「ただし美人に限る」
いつの間にか、人だかりができていた。
にやにやと生暖かく見ている女生徒、なぜかキラッキラに光り輝いた目で見ている文、さらになぜか鼻息を荒げている男子生徒までまきこんで、自分の周りにぐるりと囲みができていた。
「すまん、田渡、焼き増ししてくれ。金なら出すぞ」
「それは本人と交渉してくれ」
さらにバカも多かった。
――なんだこれ。
蛍は開いた口がふさがらないまま、となりでさらに別の写真を取り出してはクラスメイトと盛り上がっている正史を見る。
すると正史は自分を見つめていた蛍に気づき、親指を立てて「コスプレ、いいよな!」と、とてもいい笑顔で彼女に語りかけた。
周りの視線が、蛍に集まった。
どうやら、皆は蛍の回答がすごく気になっているようである。
少女は、今までの戦いでも感じたことがないような、言いようのない冷や汗が出てきたのを感じた。
どんな困難も、どんな危機も切り抜けてきた己の術が、一切通じそうもないこの空間。
そのとき――蛍は、幼きころ修行中に父から伝えられた、戦いにおける一族の極意のことを思い出した。
父は、たしかこう言っていた。
「蛍、どんな苦境に陥っても、決して諦めるな。敗北とは、腕が折れることでも、霊力が尽きてしまったことなどではない。心が折れ、闘うことを諦めたときが、本当の敗北なのだ」
そうだ、そのとおりだ。
たとえ、今、どれだけ苦しかろうと、万策尽き果てようと、心さえ折れなければ、敗北ではないのだ――!
思い出の父の残影に背中を押され、蛍は顔を挙げた。
決意とともに皆をぐるりと見渡して――
「……コスプレって、楽しいわよね!」
彼女は、すでに心が折れていた。
わっと、クラスが沸いた。
同時に、午後の授業の予鈴がなった。
そして蛍は――
授業中、机に伏せて、泣いた。




