一話 近づく春、来たる燕(つばめ)
一連の出来事を終えた揺戯と柚凪は、終業式を終え、春休みを迎えた。
三連休の初日。春まつりへの招待を受けた二人は、校門で待ち合わせするー。
お世話になった先輩方がいなくなり、閑散とした三階の廊下は時間が止まったようにみえる。対照的に、高校の敷地に沿って植えられている桜は徐々に咲き始め、無機質なクリーム色の校舎に彩りが添えられた様子に春の到来を感じさせてくれる。終業式を終え、俺たちは最高学年になる前の最後の春休みに突入しようとしていた。
迎えた三連休初日の土曜。携帯のカレンダーを開くと、『春分の日』の文字が目には入ってくる。そういえば、今朝のテレビでもピクニック日和なんて謳っていたっけ。
今日は呼び出されたため、昼下がりに高校の校門前で奏邨さんを待っていた。春休みということで、校門から覗く校舎の廊下には人の姿はなく、校舎奥のグラウンドからは野球部の声や、吹奏楽部の個人練習であろう、トランペットの音が午後の陽気とともに流れ込んでくる。
校舎を見上げていたわずか数分後、遠くから呼ぶ声が聞こえてきた。
「ゆらくーん!」
春らしく薄手のカーディガンに身を包む奏邨さんは、手を振りながら歩み寄ってきた。そういえば、私服で会うのは初めてかもしれない。俺は応じて手を振り返した。
「早いんだね」
「そんなことないよ。ほんの数分前に来たところ。それに、人を待たせるって、なんだか悪いしね」
「私も。どちらかというと、約束の時間より少し前派かな。あっ、そうだ。お願いしてたもの、持ってきてくれた?」
「うん。持ってきたよ」
俺はポケットからお守り袋を取り出した。これは、先の事件での感謝のしるしとしてクラスメイトの榎本さんから貰ったものだ。しかし、袋の中にはまだ何も入っていない。
「よかった。昨日話したと思うんだけどね、今日会いに行く御鏡さまが、お守りの中身をくれることになってるからね」
そう。今日は自分にとって新たな神様である、御鏡さまに会うことになっている。奏邨さんによると御鏡様は女性の神様らしく、俺と出会う以前から親交があってお世話になっているようだ。今回、この三連休の間に御鏡神社で春まつりが開催されるということで、遊びに来ないかと招待を受けた。初日は午後から開催されるということで、この後、徒歩で御鏡神社に向かうという約束だ。
「じゃあ、行こうか」
目的地へと踵を返したその時だった。そよ風とともに、人影がふわりと俺を通り抜けて行った。去っていた風のほうへと振り返る。白いロードバイクにまたがる男子生徒がブレーキをかけ、自転車から足を下ろした。
「あ、園田君!」
奏邨さんの知人のようで、彼女に呼ばれた園田と呼ばれる人物は振り向いた。
「やぁ。奏邨さん」
まるで人形のような造形の表情。すらりと伸びた華奢な体型。印象的な薄めの顔立ちとスタイルに見覚えがあった。確か、二つ隣のクラスの園田花燕だ。奏邨さんに微笑んだ後、俺を見た。
「君は…」
一瞬、不思議そうな顔をした後、何か閃いたように目を見開いた。
「ああ! 例の本条君か。よろしく、園田花燕だよ」
例の、とはどういうことだろうか。握手を求められ、はぁ、と戸惑いながらも手を差し出すと強く握られた。
「本条揺戯、です」
訳がわからず奏邨さんに視線で説明責任を求める。
「園田君とは、一、二年の頃にクラスメイトで親交があってね。同じ部活だったんだ。二週間ぐらい前かな。たまたま道端でバッタリ会ってね、ゆらくんのことを話したの」
「ああ、そうなんだ。最近仲良くなったらしいね。なんでも、初詣で話したのがきっかけとか」
「あ、あぁ」
あの日の出来事が一瞬頭をよぎる。心を読み通された挙句、奏邨さんから口頭で言われたことが、今となっては遠い日のように思えるはずが、なぜか未だに恥ずかしく感じてしまう。思わず何と言おうかと口ごもってしまうと、園田君は腕時計で時間を確認し、いけない、とつぶやく。
「これから御鏡神社のお祭りを見に行くんだってね。僕はこれから手伝いがあるからこれで。じゃあ、気をつけて」
「うん。園田君も気をつけてね」
園田君はすらりと伸びる脚で流れるようにロードバイクにまたがり、立ち去っていく。ロードバイクを優雅に乗りこなす後ろ姿が絵になっており、まるでパリの街を優雅に流れてゆく現地人のようだった。
目的地に向かいながらも、俺は風が流れていくような一連の出来事に呆然としていたが、奏邨さんの声で我にかえった。
「いきなりで驚いたよね。園田君のこと」
「あ、ああ。なんだか蚊帳の外で戸惑っちゃったよ。園田君って一体どんな人なの?」
「園田君はね、華道部に入っていた頃の友達なの」
「へぇ、華道部。何だか珍しいね」
この珍しいとは、奏邨さんと園田君の両方を指すのだけれど、園田君が華道部に入っているという驚きの方が強かった。なぜなら、第一印象では、園田君は型にはまらない自由さを持った、部活に縁のない人物に見えたからだ。自分の周りで男が華道部に入っているという話はない。
「どうして華道部に?」
「お母さんが華道の先生をしているみたいで、先輩に頼まれて二年間くらい入っていたの。ただ、実家が遠いってことや、お父さんのお店の手伝いもあって、大体私と同じ時期にやめちゃったんだ」
「なんだかもったいないね」
「でも、部員のみんなが理解してくれて。円満に退部したこともあって、部活を辞めてからも何人かでお茶に行ったりもしてるの」
「そうなんだ。園田君のお父さんは、何のお店をされてるの?」
「駅の向こう側にショッピングモールがあるでしょう。その中で個人経営ブランドの服屋さんをやってるんだって。最近は複数店舗を経営していることもあって、人手が足りないときに手伝いに行ってるんだって」
「なんだか、すごい家庭なんだね」
「何人かで園田君のお家に行ったことがあるんだけど、立派な一軒家でね。由緒正しい家系だなって」
「どの辺なの?」
「東乃地区ってわかる」
「東乃から? どおりでいいバイクに乗っていたわけだ」
東乃地区は学校から十五キロ以上離れており、電車も通っていない。山沿いの田園地帯だ。豪農の家庭が多く、奏邨さんのいう、由緒の正しさがなんとなく想像できた。
予定通り三十分ほど歩くと、祭り特有の囃子とカラフルな幕が石段の先に見えてきた。
「いくつになっても、この祭りの醸し出す浮ついた雰囲気にはワクワクしてしまうよ」
つい、口に出してしまうと、
「ゆらくんもまだまだ子供なんだね」
奏邨さんは嬉しそうに微笑んだ。
「そんなこと言ってるけど、奏邨さんもそう思わないの?」
「…実は、ね」
「やっぱり」
自然と笑みがこぼれてくる。
御鏡神社は緩やかな坂の上にある。階段を登って境内に入ると、道を挟んで屋台が軒を連ねており、活気が満ち溢れていた。街の神社ということで侮っていたが、境内は思った以上に広く、巨木が境内を覆っており、神聖さが伝わって来る。しかし一方で、たくさんの子供達がワイワイと走り回る様子が雰囲気を相殺していた。
「ついたね」
「思った以上に大きな神社なんだね」
「私も最初に来た時びっくりしちゃったよ。それじゃあ、まずは御鏡様のところへ挨拶に行きましょうか」
「そうだね」
臨時で作られたのであろう、『本殿』と達筆に書かれた看板にしたがって、石畳の道を辿ろうとすると、待ってと奏邨さんに手をつままれた。
「そっちは一般用だから。裏から回るよ」
「え、そっちなの?」
「そう!」
指差す先は、森のような木立。奏邨さんに従い、木々の合間を抜けていくと、神社裏の小さな小屋にたどり着いた。
次話に続く。