サンタトリア
路地を進むうちに様々な物が目に入ってくる。空にある蓋に近づくように建つ高い建造物の数々、その建造物を繋ぐのは自分よりもはるか上空にある橋だ。きっと高所恐怖症の人は渡れないだろう。
そして建物があるからに、そのに住む人が居るのは当たり前で、さっきから様々な人と俺はすれ違った。
長いエプロンスカートのような服に、頭に籠を乗せたご婦人。パイプ煙草をふかして一服する紳士。そんな人々が俺を見てぎょっとした顔をする。
そりゃそうだ、俺だって街を歩いてシーツにくるまった幼女が走ってきたら驚く。
水路をたどるように走ってきた俺は、一度息を整えるために立ち止った。
以前の俺はもう少し持久力があったはずなのに、体力まで幼児化してしまったようだ。
少しの間水路の水のせせらぎに耳を傾けていると、ピチョンと魚か何かが水面を跳ねた音がした。その音に誘われるように何気なく水路を覗き込む俺。
「え!?深!この川ありえないくらい深ッ!」
エメラルドグリーン色の透明度の高い水の中にはさっきの音の原因だと思わしき小魚が泳いでいた、それよりも驚いたのは、水中に建物があることだ。上空から見たようにこの街とよく似た建築の建物が、水中に広がっている。
「お嬢ちゃん、サンタトリアに近づいちゃ危ないよ」
少ししゃがれた男性の声が背中から聞こえ慌てて振り返ると、そこには作業着のような服を着た40代くらいの男がいた。その服の所々はすり切れてあまり清潔そうには見えないが、顔に刻まれた皴はなんだが優しげに見える。
「迷子になったのかな?」
「あ、え、う」
迷子…というか、自分が死んだと思ったら幼女になって知らない街に居たんだが、これを馬鹿正直に話す気になれなくて俺は言葉にならない声を漏らす。
「家族に会わせてあげよう、おいで」
そう言っておじさんは俺の手を掴んで歩き出した。
本当に迷子と間違えられてそうだなコレ。
「あの、どこへ向かうんですか?」
「お役人が居る役所だよ」
役所…警察署か市役所にでも連れてってくれるつもりなんだろうか。
純粋に親切な人なんだろうか疑わしいが、知らない場所でしかも今は幼女になっているのである。ここは素直について行ってみるのも悪くないのかもしれない。
「さっき言ったサンタトリなんとかって何ですか?」
俺は気になっていた単語を男に聞いてみる。
男は驚いたように自分よりずいぶん下にある俺の顔を見た。
「お嬢ちゃんサンタトリアを知らないのかい?」
「…はい」
幼児の歩幅に合わせてゆっくりと歩く男は人がよさそうににっこりと笑った。
「サンタトリアはね、この街の下にあるこの街よりも大きな水中都市の事だよ」
「水中都市…」
男はすいすいと路地を抜け、ぱっと開けた場所に出た。
大通りの脇には露店が並び、見たことのない果実や革細工を売っている。通りは中世ヨーロッパテイストの老若男女であふれかえっており、そのファンタジーさにも驚くが、俺が目を奪われたのは違う個所だった。
「うわぁ大きな川!」
道の真ん中に当然の様に流れるのは先ほどの水路とは比べ物にもならないくらい大きな川で、そこには一定間隔に橋が架かっていた。
当然橋を渡る人も多いのだが、川を渡る船も大小様々で、豪華絢爛な船もあれば漁用なのか簡素な船もちらほら見える。
そしてすぐ近くを日傘をさした外見お嬢様ちっくな女の子が、豪華な船に揺られていった。
シーツにくるまった幼女を見て怪訝な顔をされたのは言うまでもないが…
「ここからならよく見えるだろう?」
男と橋の上から川の中を覗き込んだ。
エメラルドグリーン色に染まった水中都市は幻想的で、建物の合間を小魚達が泳ぎ回っていた。
そして川をなぞるように視線を動かすと、空から流れ落ちる滝へとぶつかる。もしかして川を流れる水はあの滝から流れているんだろうか。
滝から視線を戻し、再びサンタトリアと呼ばれた水中都市を覗き込んで俺は気づいた。
それまで群れをなして泳いでいた魚たちが、何かから逃げるように散らばっている。
相当水深が深くなるためよく見えないが、キラリと鱗が反射して大きな魚がそこに居る事が分かった。
「おじさん大きな魚が居るみたい」
「…そろそろ行こうか」
俺の言葉に何故か表情を硬くしたおじさんは、俺の手を引いて足早に橋を渡る。
いつの間にかその手は汗で滲んでいた。