小さな試練と、最初の選択
神社を背にして歩き出したはずなのに、気づけば俺はまた同じ境内に立っていた。
足元の石畳、苔むした灯籠、朱の剥げた鳥居――見覚えはある。だが、どこかが微妙に違う。
空の色が淡く滲み、輪郭が曖昧だ。風の音も、木々の揺れも、現実より一拍遅れて耳に届く。
この感覚は知っている。条件付きエリアへの移行――つまり、クエスト専用空間だ。
「なるほど……そう来たか」
呟いた瞬間、背後から足音がした。
振り返ると、あの白い着物の人物が、拝殿の前ではなく境内の中央に立っていた。距離は近い。だが、不思議と威圧感はない。
「ここから先は、あなたの選択が形になる場所です」
そう告げると、彼女は境内の端を指差した。
そこには三つの道があった。
ひとつは、森の奥へと続く獣道。
ひとつは、崩れかけた石段を下る薄暗い道。
そしてもうひとつは――神社の裏手、社殿の影に溶け込むように存在する、ほとんど見えない道。
「どれを選んでも、正解でも不正解でもありません」
淡々とした声。だが、その奥にわずかな期待の色が混じる。
「あなたが“どう振る舞うか”を、私は見ています」
説明はそれだけだった。
クエストログを開いても、追加情報は一切ない。マーカーも、推奨レベルも、ヒントすら表示されない。
――つまり、完全にプレイヤー任せ。
俺は少しだけ考える。
獣道は素直だ。敵が出るなら正面から対処すればいい。
石段の道は不穏だが、罠や探索向きだろう。
だが、社殿の影に溶ける道は……最も情報がない。
「……まあ、そうだよな」
俺は迷わず、三つ目の道へ足を向けた。
派手さも安全もない。だが、この神社に隠されているものがあるなら、表には出てこないはずだ。
影の中に足を踏み入れた瞬間、空気が一変する。
冷たい。
音が消える。
足音すら、自分のものか分からなくなる。
社殿の裏手には、小さな祠があった。
朽ちかけた木製の祠。供え物はなく、ただ静かに、誰にも見られずそこにある。
近づいた瞬間、視界に小さな文字が浮かぶ。
『祠に触れますか?』
選択肢は、はい/いいえ。
罠の可能性もある。
だが、俺は一瞬も迷わず「はい」を選んだ。
祠に触れた瞬間、視界が白く弾ける。
次いで、耳元で小さな音がした。鈴の音にも、笑い声にも聞こえる、不思議な響き。
「……見つけた、か」
振り返ると、あの白い着物の人物が、少しだけ驚いた表情で立っていた。
ほんの一瞬だが、確かに“感情”が揺れたのが分かった。
「この祠は、誰にも選ばれないことが多いのです」
「まあ、目立たないからな」
俺は肩をすくめる。
すると彼女は、小さく――本当に小さく、笑った。
その瞬間、視界の中央に通知が走る。
『妖狐クエスト進行度:微増』
『NPCからの信頼度が上昇しました』
数字は表示されない。だが、確実に何かが前に進んだ感覚があった。
「ここまでで、今日は終わりです」
そう告げると、周囲の景色がゆっくりと溶け始める。
神社も、祠も、光も影も、すべてが淡く薄れていく。
「次に来るとき、あなたはまた選ぶことになります」
「いいね。嫌いじゃない」
俺がそう返すと、彼女は何も言わず、ただ静かに頭を下げた。
次の瞬間、視界が切り替わり、俺は東天大陸の裏路地に立っていた。
あの小さな神社は、もう見当たらない。
だが、確かに何かは始まっている。
派手な演出も、明確なゴールもない。
それでも、この世界が用意した“道”は、確実に俺の前に開かれ始めていた。
「……さて」
俺は歩き出す。
次にどんな選択をするか――それを考えるだけで、少しだけ胸が高鳴った。




