兆し
竹林の中は、相変わらず静かだった。
風が吹けば葉が擦れ合い、視界の端で影が揺れる。だが、それだけだ。
敵の気配はない――少なくとも、表層には。
「……来い」
足元の影が、僅かに歪んだ。
幻尾が反応する。
尾の先端に走る、あの“違和感”。
見える。いや、見えすぎる。
敵が動くよりも先に、動線が浮かぶ。
竹を蹴り、こちらへ飛び込んでくる軌道。
爪が振り抜かれる角度。
その後に続く、もう一撃。
分かっている。
だが――
「っ……!」
身体が、半拍遅れる。
回避は間に合った。
致命傷ではない。
それでも、肩口を掠める衝撃が伝わり、竹が数本、まとめてへし折れた。
「今のも……ズレたか」
尾は正確だ。
敵の動きは、寸分違わず予測している。
問題は、俺自身だ。
情報を受け取る。
判断する。
身体に命令を出す。
この“流れ”が、まだ滑らかじゃない。
転生前の感覚が、邪魔をしている。
あの頃の身体なら、この程度の敵は怖くもなかった。
だから無意識に、余裕を持って動いてしまう。
――だが、今は違う。
妖狐の身体は、軽い。
反応も速い。
それなのに、思考が追いついていない。
「……合わせろ」
息を整え、尾を意識の中心に置く。
腕や脚ではない。
尾を起点に、身体全体を動かす。
敵が再び踏み込んでくる。
幻尾が示す予測は、さっきと同じ――だが。
今度は、考えない。
尾が動く。
それに引きずられるように、身体が滑る。
間合いが、僅かにずれる。
敵の爪が空を切り、代わりに腹部ががら空きになる。
「――そこだ」
反撃。
深追いはしない。
一撃入れて、即座に距離を取る。
心臓の鼓動が、少しだけ速い。
だが、さっきほどの乱れはない。
「……悪くない」
幻尾の情報量に、身体が慣れ始めている。
まだ完全じゃないが、“噛み合い始めている”感覚は確かにあった。
その瞬間――
尾の根元に、熱が走る。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だが、確実に。
「……?」
ステータスが変わったわけじゃない。
新しいスキルが解放されたわけでもない。
それでも、分かる。
何かが、近づいている。
幻尾の先が、微かに揺れた。
今までよりも、僅かに“先”を映している。
未来が、深くなる。
予測の解像度が、上がる。
「……そういうことか」
これは解放じゃない。
兆しだ。
尾を使いこなそうとするほど、
妖狐という存在そのものが、次の段階へ進もうとしている。
「焦るな……まだだ」
敵はもう動かない。
竹林には、再び静寂が戻る。
だが、俺の内側は違った。
感覚のズレは、確実に縮まっている。
そして、その先に――




