29話 舞
発酵の途中だった酒を搾り、清らかな液体が桶に満ちる。
「……これで完成だ」
俺はできたばかりの清酒を樽に詰め、ほっと息をついた。
通常なら発酵に何週間もかかるがスキルで短縮した。
さらに、神社の環境のおかげか、さらに早く半日で仕上がったのだ。
「不思議なこともあるもんだな……」
俺が肩を回しながら後ろを振り向くと——
「……っ!」
思わず言葉を失った。
ミコが正式な巫女の装束に身を包み、狐のお面を外し神妙な面持ちで立っていたのだ。
初めて顔を見た。とても綺麗だ。
白と赤の衣が清廉な空気を纏い、まるで別人のような神々しさを放っている。
「驚かせてしまいましたか?」
ミコは静かに微笑みながら、清酒の入った瓶を両手で受け取る。
「……いや。あまりにも似合ってるからな」
俺がそう言うと、ミコは少し顔を伏せ、控えめに微笑んだ。
「この姿は、神様にお酒を捧げるときに着るものです。……すぐにでも神前に供えたいのです」
「そんなに急ぐのか?」
「はい。神様が……このお酒を待っている気がするのです」
——神が待っている?
俺はその言葉の意味を測りかねながらも、神事の準備を手伝うことにした。
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境内の奥にある神殿の前に、真新しい白木の台が用意された。
「お供えを並べます」
ミコの指示のもと、俺は清酒の瓶を神前に置き、その横には白米や塩、果物などの供物を添えた。
そして、ミコは小さな盃に清酒を注ぎ、静かにそれを高く掲げる。
「——神々よ。この酒は、異邦の者がこの地にて醸し、神前に捧ぐもの」
澄んだ声が境内に響く。
「どうか、その恩恵を賜らんことを」
——風が吹いた。
霧が晴れ、陽の光が差し込む。
まるで、神がこの酒を受け入れたかのようだった。
「……ありがとう」
ミコが俺を見つめ、静かに礼をする。
「神様も、きっと喜んでいます」
ミコの柔らかな微笑みとともに、神前への供物の儀式が終わった。
——その瞬間、ミコはふわりと袖を広げ、静かに舞い始めた。
白と赤の衣が風に揺れ、袖の動きがまるで雲が流れるような優雅さを帯びる。
鈴の音が静かに響き、足元から伝わる鼓動が境内を満たしていく。
「……すごいな」
俺はただ、その舞に見惚れていた。
ひとつひとつの動きが洗練され、まるで神々への感謝を体現するかのような神聖さを纏っている。
それが終わる頃には、境内の空気がどこか清らかになったように感じられた。
「美しい舞だった」
俺がそう言うと、ミコは穏やかに微笑んだ。
「ありがとうございます。この舞は、神に喜びを伝えるもの。きっと、神様も満足してくれたと思います」
「そうか……」
静かな余韻の中で、俺たちはしばし言葉を交わした。
神社の由来や、ここが長らく人の訪れを失っていたこと——
それでも、ミコはこの場を守り続けていたこと——
「……さて、そろそろ戻るか」
俺は境内を見回し、名残惜しさを感じながらも足を踏み出した。
ミコも軽く頷き、鳥居の方へと俺を見送る。
「また来てもいいか?」
「ええ。いつでもお待ちしております」
そう言って、彼女は微笑んだ。
俺は手を振りながら鳥居をくぐり、ふと気になって後ろを振り返った——
——そこには、何もなかった。
「……え?」
神社は、影も形もなくなっていた。
あるのは、風に揺れる木々だけ。
さっきまで確かに存在していたはずの神社が、まるで最初からなかったかのように消え去っていたのだ。
「夢……だったのか?」
いや、そんなはずはない。
確かに清酒を作り、神前に供えた。
ミコとも話し、舞を見た。
それなのに——
「……神隠し、か?」
呟いた俺は、懐から取り出した小さな鈴を見つめた。
それは、ミコが袖に忍ばせていたものと同じだった。
「……また、いつか」
俺はそっと鈴を握りしめ、霧が晴れゆく街を後にした。
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霧が少しずつ薄れ、静かな街並みへと戻ってきた。
さっきまでの出来事が夢だったのかと錯覚しそうになるが、手の中には確かに小さな鈴がある。
「……気のせい、じゃないよな」
そう呟きながら宿の扉を開けると——
「ケンイチ!」
怒りに満ちた声が、俺の耳をつんざいた。
ドンッ!!
次の瞬間、俺の胸元にエスメラルダの拳がめり込んでいた。
「いったぁ!?」
「いったぁ、じゃありません!半日以上も何も言わずにいなくなって、どれだけ心配したと思っているのですか!」
「そ、そうだぞ!一体どこへ行ってたんだ!」
ベアトリーチェも腕を組み、険しい顔で睨みつける。
「ケンイチがいなくて、寂しかったの……なの」
フェリシアは涙目で袖をぎゅっと握っている。
「いや、ちょっと散歩してたら……その、神社を見つけてさ」
「神社?」
セラフィーナが眉をひそめる。
俺は静かに、森の奥にあった神社と、そこで出会った巫女のことを話した。
——しかし、それがまずかった。
「……また女、ね」
セラフィーナの表情が、一気に曇った。
「いや、違うぞ!?別にそういうんじゃなくて——」
「もう聞き飽きたわよ。『違う』って言うくせに、次から次へと新しい女が増えていくんだから」
「お、俺だって好きでそうなってるわけじゃ——」
「じゃあなんで巫女と二人きりだったの?」
「それは……」
「しかも、めちゃくちゃ綺麗に着飾ってたとか言ってたよね?」
「ぐっ……」
セラフィーナの怒りがどんどん募っていく。
背後ではエスメラルダが「確かに妙な偶然が多すぎるのです」と頷き、ベアトリーチェが「まったく、ケンイチは隙が多すぎるんだよ!」と拳を握りしめている。
「……次からは、私たちを連れて行くこと」
「わ、わかった……」
「本当にわかってるの?」
「わかってる、わかってる!」
俺は大急ぎで頷いた。
セラフィーナはじとっとした目で俺を睨みながら、ふぅっと小さくため息をついた。
「まったく……せっかくの旅行なのに、気が休まらないわね」
「……ごめんな」
「……もう、いいわよ。とにかく今日はしっかり休んで。明日からまた忙しくなるんだから」
そう言って、セラフィーナはふいっと背を向ける。
ベアトリーチェとエスメラルダも、まだ納得していないような顔をしていたが、ひとまずこれで落ち着いたようだ。
「ケンイチ……もうどこにも行かないでほしいの……なの」
フェリシアが袖を引っ張る。
「大丈夫だよ。次はちゃんと言ってから行くから」
そう言って頭を撫でると、ようやくフェリシアも笑顔になった。
——こうして俺は、無事に宿へと戻ったのだった。




