有り体に語りすぎの悪役令嬢
「マルヴァジア・ノワール、おまえとの婚約を破棄する!」
ペランツェ市きっての顕貴であるフェディニ家の御曹司ロレンツォからそう突きつけられたとき、ノワール家令嬢マルヴァジアはハッと表情を変えた。
驚きや失望、怒りではなく、安堵と感謝、解放を悦ぶ顔に。
「わたくしの罪深さに対して、じつにご寛大なるご処置、万謝に堪えません。よろこ……いえ、慎んで婚約破棄お承りします!」
「な……なんだその物言いは。私との婚約がなくなるのがそんなに嬉しいのか?!」
想定外の反応に鼻白んだロレンツォへ、マルーは羽扇子で顔を隠し、さめざめと泣くポーズを取りながらも、はきはきとした声を隠すことなく応じる。
「フェディニ家の殿がたに目をつけられたが最後、愛のない結婚を強要されて、それでも身体だけはむしりにむしられ、さんざん弄ばれた挙げ句に、子供の2、3も生まれればあとは用なし、宮殿の薄暗い一室に放置されるのはまだいいほうで、でっちあげの罪を着せられて修道院送りか、ひどいと急病をよそおって暗殺されたり、取り巻きの小姓たちの慰みものとして投げ与えられる……それが、ペランツェに美少女として生まれてしまった、わが身の罪深さゆえの末路と覚悟していましたから、まさか婚約途中できれいな身体のまま解放していただけるとは思いもよらず……ああ、父も感動で泣いています」
いまは執政主催の園遊会のさなか。ペランツェ市のみならず、ヴェネッタ、セノヴァといった周辺商都からも参列者がある。
居並ぶ名士の中に、たしかにマルーの父である、ノワール商会現会長ジローラモの顔があった。男泣きに泣いている。
その涙は、フェディニ家との縁を結ぶことができなかったという失着への悔いや、マルーの不始末を咎めるものではないのが明白だった。愛娘が死地から逃れたことを素直によろこぶ、父の涙であった。
ノワール家がわは自分との結婚をまったく望んでいなかったと気づいて、ロレンツォはあ然となる。
「いやちょっとまて……おまえは、わがフェディニ家のことをいったいなんだと思っているんだ?」
「人の皮被った悪魔の群れ。性欲モンスターの系譜」
ずばり言ってのけたマルーの科白に、聴衆の多くがうんうんとうなずく。
さすがにロレンツォもこれにはショックを受けた。
「どういうことだよ!?」
金切り声をあげるロレンツォの様子に、マルーはきょとん、と小首をかしげた。
「もしかして……ロレンツォさまには、フェディニ家父祖のみなさまのご行状を、ご存知ない?」
「わ……わがフェディニ家は、貿易を保護し、産業を振興し、建築家、音楽家、美術家のパトロンとなり、文化を花開かせた、西方文明の擁護者にして救世主であると……」
学校というものはまだない時代、家庭教師からフェディニ家の輝かしい業績を教えられて育ったお坊ちゃまロレンツォは、青くなったくちびるから声を絞り出した。
ロレンツォの実家擁護にうなずきつつも、マルーはものごとには表と裏があると指摘する。
「たしかにそれも正しい一面ではあります。フェディニ家の経済的、文化的功績を否定することは、なんぴとにもできないでしょう。それゆえに、昏い性的倒錯の数々、背教的ハレンチにも、ペランツェの人々は目をつぶってきたのです」
「背教的ハレンチて……」
「家督は継げない次男のゆえに枢機卿となっておきながら、兄嫁に情交をせまり、拒絶されるやでっち上げのスキャンダルの数々をバラ撒いて、夫婦仲を冷え切らせた果てに、最後は兄夫婦を毒殺したばかりか、その罪を全部兄嫁になすりつけたフェルナンドさまのお話、聞きます?」
「全部聞かせてからなんで確認とるの!?」
尊敬するご先祖さまの、家庭教師は教えてくれなかった鬼畜エピソードを不意討ちで披露されて、泣き顔になったロレンツォへ、マルーはまだまだと指を振る。
「ちなみに枢機卿フェルナンドさまは、修道女に生ませた8人の私生児がいたそうです。修道院(隠語)になったのって、だいたいこの人のせいじゃないのかと、わたくしは思っているのですが」
「もうやめてー!」
乙女のように悲痛な叫び声を上げながら、ロレンツォはマントをひるがえして園遊会会場から走り去っていった。
なお、臨席していたロレンツォの父であるペランツェ執政コジモは、マルヴァジアが大演説をはじめるなり激高して止めようとしたが、玉座のごとき執政の椅子から立ち上がりかけたところで、夫人のエレオノーラにうしろから羽交い締めを食らって椅子に逆戻りした。
口をぱくぱくさせながら、じょじょに顔色が蒼白になっていったようにも見えたらしいが、会場内のほとんど全員がマルーとロレンツォに注目してばかりであったために気づかれることはなかった。
フェディニの血筋の男であるコジモもまた、絶世の美女と評判のビアンカをはじめ、公然と複数の愛妾をはべらせ、女盛りをすぎたエレオノーラの寝所に近寄らなくなって久しかった。
翌日、執政コジモの急逝が、エレオノーラによって公表されることになる。
・・・・・
このあと、ロレンツォは父コジモを継いでペランツェ市のさらなる発展に尽くしたが、生涯独身を貫き、歴代フェディニ家当主のように愛妾をそばにおくこともなかったという。
ロレンツォの跡目は甥のピエトロが継ぎ、フェディニ家とペランツェ市の輝かしい時代はなおもつづくこととなる。
「フェディニ家は偉大。フェディニ家は無謬。フェディニ家は至高。フェディニ家は完全。フェディニ家は潔白」
そう、ときおりロレンツォがぶつぶつつぶやいていた、という証言が残っており、フェディニ家の異端児は、なにかの強迫観念に突き動かされていたらしい。
マルーこと、ノワール家令嬢マルヴァジアとの婚約はなぜ破棄されたのか、記録は時代の流れの中で失われており、フェディニ家の男でありながら女性に近寄らず、泣かせることもなかったロレンツォの潔癖症の理由は、ペランツェ史のひとつの謎となっている。
了
※誤字報告において「フェルナンドは兄を毒殺してその罪を兄嫁に着せた」という解釈での修正申請をいただきました。
ネタ元の枢機卿は兄夫婦を毒殺した上に、亡くなった兄嫁に罪を被せたとされるEX外道なんです…。
近年の研究によれば、兄の死因はマラリアが有力で、毒殺説は後退しているらしいですけど。
講談社学術文庫
『メディチ家の人びと』著:中田耕治
ISBN:9784061595521
を読んで書きました。