第二話 百合
そこには百合の花があった。
羽牟はこう言った。「私は羽牟。あなたは何て言うの?」
日摩はこう言った。「私は日摩。ごく普通の女の子よ。」
羽牟はまたもこう言った。「私達、友達に成れるんだと思うけれど、仲良く成らない?」
日摩は次にこう言った。「確かに私達は相性がいいみたい。」
羽牟は話題を持ち出す。
「ね。この新作のゲームだけれど。」
二人はゆっくり日常を過ごすのみであった。
エロヒーム、「聖書」で言う神(複数形)とは、暖格、冷格、浮格、重格、単格、全格の六人格の内、五人格である。神を加えて六人格から成る。
あくまでも、人格とされている事から、人基準である。それなので、彼女らの様に普通に話も出来るのだ。
いわば、「聖書」で言う神は、六人格で喋る事に成っているが、違和感を感じさせない自然な文体である。
あくまでも神として、威厳のあるキャラクターに成っているのは、何故だろうか?
ひとつの神として、私と自称している事にその秘密があるだろう。あくまでも、私とあなたであって、我々ですらない事から、あくまでも私的な対話である事がうかがえる。正式には我々なのだから。
という訳で、神としては私的であっても、我々にとっては公的な対話なのだ。
あくまでも契約でもない対話は、正式なものではなく、しかし、神が語りかける最善の言葉である。
神を敬う者には心地良く、心に響くものである。