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06 幽霊の噂


「お嬢様、ご存知ですか?最近学園で流れてる噂」


朝。いつも通り私の着替えを手伝ってくれているメイドのリリーが突然そんなことを言い出した。


リリーは私が前世の記憶を思い出す前までは一言も喋らずに粛々と仕事をこなす敏腕メイドだったのだけれど、前世の記憶を思い出した私が話しかけると驚きながらも応えてくれた。そして時間を重ねるうちにリリーから話しかけてくれるまでになったのだ。


リリーとこんな風に噂で盛り上がれるなんて。私は感激のあまり涙してしまいそうだったけれど、そんな感情はおくびにも出さず、私はお上品に首をかしげる。


「噂?知らないわ、どんなものなのかしら」


そう返すと、リリーはきょろきょろと辺りに誰かいないか確認するようにしてから、ずいっと私との距離を詰めた。人に聞かれてはいけない話なのだろうかと耳を近づけると、リリーは言葉にするのも恐ろしいとでも言うように身を震わせて、ぼそりと囁いた。


「......実は、出るらしいんです」


「出るって、なにが?」


「幽霊ですよ!」


興奮したように胸の前で両手を握りしめるリリーに、ホラーが苦手な私はひえっと小さく悲鳴をあげて後ずさった。えっこの学園幽霊出るの!?


「い、いつ...?」


嫌な予感を抱えながら恐る恐るそう問いかけると、リリーは「幽霊が出ると言ったら夜でしょう」と腕を組みながら言った。


「夜、学園の庭で出るらしいんです。部屋の窓から光が動いているのを見たって方が何人もいらっしゃるんですよ」


「庭!?」


「ええ。お嬢様は見たことありませんか?幽霊」


「あるわけないじゃない!夜は寝てるし...」


そう言いながらも、私はドレスの下で冷や汗をだらだらとかいていた。


夜の庭。毎日私が通っている場所だ。光が動いているということは人魂のようなものなのだろうか。私は幸い今までそれに出くわしたことはないけれど、今後も出くわさないで済むとは限らない。


そんなこと聞いてないよお、と私は内心でべそをかいた。乙女ゲームの中でもそんな話はなかったはずだ。あったら絶対に覚えてる!


というかなんでよりにもよって私が通る場所に出るんだ幽霊。前世のお姉ちゃんみたいに人が怖がっているところを見て喜ぶタイプの人間(?)なのか。そうなのか。そうなんだろ!


「しばらく図書館に行けないじゃない...」


怖くて。


ぼそりとそう呟くと、話を終わらせ掃除に取り掛かっていたリリーが「なにかおっしゃりました?」と視線をこちらに向けた。それに「いいえ、なにも?」と笑顔を返すと、リリーも素直に掃除に戻る。


「それよりお嬢様、そろそろ出ないと遅刻してしまいますよ」


そんなリリーの言葉に、私は幽霊へと飛ばしていた意識を浮上させた。部屋の壁にかけてある時計を見る。遅刻ぎりぎりだ。


「行ってきます!」


私は慌てて部屋を飛び出した。


たとえ遅刻ぎりぎりでも、校舎内を走るなんてはしたない真似をするわけにはいかない。ああもう、貴族ってめんどくさい!


心の中で悪態をつきながら廊下の角を曲がると、ソフィアの姿が目に飛び込んできた。慌てて角に隠れる。ソフィアは一人ではなかった。その隣には、これまた見知った姿が。


「ソフィア、久しぶりだな」


燃えるような赤い短髪に、鋼色の鋭い瞳。頰にはまだ新しい切り傷ができていて、彼の凄みをさらに引き立たせていた。けれど、ソフィアに向けられる視線は柔らかく、彼らの親密さがそこに現れている。


フレッド・ジョーンズ。乙女ゲームでは攻略対象の一人である。彼はその強さから、学生でありながら国の精鋭部隊である騎士団に所属しているれっきとした軍人であった。普段はレオン王子の護衛をしているけれど、今日は彼の隣にレオン王子の姿は見当たらない。ソフィアと二人っきりだ。


「フレッド様!久しぶりですね、しばらくどちらに行かれてたんですか?」


「隣国で内戦が起こっていてな、派遣の人材が足りず召集されていた」


「内戦?」


隣国で内戦があったなんて、知らなかった。あれほど国外追放に備えて周辺諸国のことは調べていたというのに...。また調べなくてはいけないことができたと、頭を抱える。頭がずきずきと痛むのは睡眠不足のせいだけではないだろう。


「はあ...」


そっと、ため息を吐く。と、五感の鋭いフレッド様にはそれが聞こえたのだろう、ばちっと鋼色の瞳と目があった。


交差する視線。


次の瞬間、先ほどまでソフィアに向けられていた柔らかな瞳はなりを潜め、敵意を含んだ鋭い視線がこちらに飛んできた。彼はばっとソフィアを後ろに庇い、私を睨みつける。


突然のことに状況が把握できなかったのかフレッド様の行動に目を丸くしていたソフィアも、私の姿を認めた瞬間、びくりと肩を震わせさらに一歩フレッド様の後ろに隠れた。


嫌われて、いる。


だって今の私は悪役令嬢なのだ、そんなことはわかりきっていたはずなのに、彼らの反応に私はひどく傷ついていた。自分でも驚いてしまうほどに。


気がつけばきびすを返していた。今すぐ教室に行かないと遅刻だと分かっているのに、もう行かなきゃとは思えなかった。だって、教室に行くにはあの廊下を通らなければいけない。ソフィアとフレッド様のいるあの廊下を。


すれ違った時にはきちんと挨拶するのがこの学園のルールだ。けれどきっと、私が挨拶をしても彼らはレオン王子と同じように私のことを無視するだろう。


連日の睡眠不足で精神が弱っている私には、そんなことは耐えられそうになかった。


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