16 謝罪
オスカー様に謝る前に、もう1人、謝らなくてはいけない人がいる。
エルザ・バートレットが一番傷つけてしまった人。私の姿を見るだけで怯え、肩を震わせ、誰かの後ろに隠れてしまう、可哀想な少女。
その姿を見るのが嫌だった。怯えた瞳で見られるたびに私も泣き出しそうだった。
『私』のせいじゃない。
私がこの世界に来てから何度も思ったことだ。
だから、ずっと逃げてきた。ソフィアと、私がエルザであるという現実と向き合おうしなかった。
けれどもう逃げるのはやめにしよう。ソフィアをいじめたのは『私』じゃない。けれど、私は今、エルザ・バートレットなのだ。
朝1番に部屋を飛び出して、ソフィアの姿を探す。彼女の姿は簡単に見つかった。その隣にはフレッド様の姿もあって、私はあの鋭い瞳から発せられた敵意を思い出して尻込みする。
——怖くても、辛くても、悲しくても、逃げてはいけないよ。頑張って
レオン様のその言葉を握りしめて、私は力一杯叫んだ。
「ソフィア!」
ソフィアの翡翠色の瞳とフレッド様の鋼色の瞳が、勢いよく私に向けられる。私の姿を認めたソフィアはびくりと肩を震わせ、フレッド様はそんなソフィアを私から庇うようにソフィアよりも一歩前に出た。
「何用だ、エルザ・バートレット」
鋭い鋼色が私を射抜く。膝が、震える。けれど逃げるわけにはいかなかった。逃げたく、なかった。
「......っ、貴方には用はないわ。ソフィアに用があるの」
フレッド様の背後に隠れるソフィアに向けて声を張り上げると、ソフィアはもう一度体を震わせ、そして脱兎の如く逃げ出した。
咄嗟の方に動けないフレッド様の横をすり抜け、ソフィアの後を追う。背後から私の名を呼ぶ声がしたけれど、振り返りはしなかった。
逃げる彼女の手首を掴むと、びくりと、その細い肩が跳ねた。
「ソフィア、こっちを向いてちょうだい」
そんな私の言葉に、ソフィアはそろそろと顔をこちらへ向けた。大きな翡翠色の瞳には涙が浮かんでいる。彼女が瞬きをするとその涙はぽろりとこぼれ落ちて、私の手首へと落ちた。
掴んでいる手首がか細く震えている。涙でいっぱいになった瞳は、私への恐怖で染まっている。
「エルザ、様」
小さな唇がそっと開かれて、そんな声が絞り出された。
朝からたくさん考えてきたはずの言葉が、すべて真っ白になっていくのを感じていた。私はソフィアに何を言いたいんだっけ。何を言えばいいんだっけ。
——そうだ、謝らなきゃ、いけないんだ
「あの......ごめんなさいっ!」
がばりと、勢いよく頭を下げる。顔を上げることはできなかった。ソフィアがどんな顔をしているのか、見るのが怖かったから。
「ど、どうして今さら」
今さら。その言葉に唇を噛む。そうだ、その通りだ。乙女ゲームプレーヤーにとっては短い時間でも、ソフィアにとっては2年半。長い間、ソフィアはエルザ・バートレットにいじめられてきた。
けれど、私は違う。
意を決して、私は顔を上げた。そこにいたソフィアの表情は、私の想像していた通りのものだった。怯え、憎しみ、悲しみ、恨み、戸惑い、怒り、色々な表情が混ざり合って、すべてが涙として流れている。
その、すべての感情をはらんだ翡翠色の瞳を見つめて、私は告げた。
「信じてもらえないかもしれないけれど、私、エルザではないの」
「......え、」
「信じられないでしょう、でも本当のことなの。この体は確かに貴女をいじめていたエルザ・バートレットのものよ。けれど、この体の中のどこにも、エルザの心はないわ。どうしてかは私も分からないのだけれど、私は記憶をなくし、ずっとエルザの体の中で眠っていた。そして記憶を取り戻したことで、エルザの心はなくなり、私の心が蘇った」
どうにかして信じて欲しくて、必死に言葉を連ねる。けれどソフィアは私の言葉が飲み込めないようで、何度も目を瞬かせていた。
まあ、話しながら私も意味わからん話だなとは思っている。異世界転生だなんて、そんなこと。
けれど、真実なのだ。
「私は貴女をいじめたりなんかしないわ」
ソフィアの手首を掴んでいた手を離す。もう彼女は逃げたりしなかった。
その翡翠色が、私を射抜く。
「私の、友達になってほしいの」
そんな私の言葉に、ソフィアは大きく体を震わせた。
「そんな、こと、いきなり言われたって」
私はソフィアの瞳から目を離さなかった。私たちはしばらく見つめ合い、先に目を逸らしたのはソフィアの方だった。
「正直、信じられないです。エルザ様は取り巻きの方達にも見限られて孤独になったから、今さらそうやって私にすり寄ってきてるんですか?」
「私だって、信じられなかったわ。けれど信じて欲しい。打算なんて何もないわ。私はただ、貴女と友達になりたいだけ」
信じられなかった、自分が悪役令嬢だなんて。たくさん泣いたし、世界を恨んだ。どうしようもなく孤独で、寂しくて、けれど死にたくなくて。がむしゃらに突き進んできた。右も左も分からないこの世界で、どうにかして生き残ろうとしてきた。
けれど、『私』のことを抱きしめてくれる人たちがいたから。友達だと呼んでくれる人たちがいたから。私は孤独ではなくなった。
だから、胸を張って言える。
「私の名前はエルザ・バートレット。悪役令嬢なんかじゃないわ、貴女と仲良くなりたいただの女の子よ」
そんな私に、ソフィアは胸の前で手を握りしめた。
「......でも、でも、私はやっぱり、エルザ様のことをすぐには許せません......!」
「ソフィア、」
「私、ずっと辛かった、悲しかった、寂しかった、痛かった!全部全部貴女のせいです、それなのに、いきなり友達になりたいだなんて、そんな、そんなこと」
翡翠色の瞳から、ぼろぼろと涙が溢れる。
「......少し、考えさせてください」
そう言って、ソフィアは私の返答も待たず踵を返しどこかへ駆けて行った。




