15 だきしめて
また来週と約束したとはいえ、具体的に待ち合わせ時間を決めていたわけではないし、待ち合わせ場所を決めていたわけでもない。
とりあえず、と私は先週レオン王子と会話したベンチの上に座っていた。レオン王子の姿はまだ見えない。早く会いたかった。会ってどうしたいのかは分からない。けれど、あの朗らかな笑顔を向けられるだけで、この心が少しは救われるような気がした。
空を見上げると、先ほどの夕焼けはすっかりと夜の帳に覆われていて、先週と違って雲ひとつない美しい夜空が広がっていた。
月が、星が、綺麗だ。
ひとつ、青く光り輝く星が目に入った。あれはなんの星なのだろうか。残念ながら星には詳しくないから分からないけれど、とても美しいことはわかる。その星に見惚れていると、ふと、オスカー様の瞳を思い出した。あの星と同じように青く輝く、美しい瞳。
無言で去っていったあの後ろ姿。
軽蔑しただろう、私のことを。もう二度と話しかけてはくれないだろうし、あの瞳を私に向けてくれることももうないのだろう。きっとレオン王子やフレッド様のように私をにらんで、私を無視して、私からソフィアを守ろうとする。
私はなぜエルザ・バートレットなのだろう。なぜ悪役令嬢なのだろう。なぜこの乙女ゲームの世界に来てしまったのだろう。
考えれば考えるほど、思考は深みにはまっていく。底はない。際限なく沈んでいって、やがて暗闇に包まれて息ができなくなる。辺りが見えなくて、自分でさえも見失ってしまう。
「君はいつも泣いてるね」
突然耳に飛び込んできたその声に、私の思考は引きずり戻された。見ると、私の横に座るレオン王子が相変わらず紅の瞳を煌めかせてこちらを見ている。隣に座られたことに、気づかなかった。
「......泣いて、ない、です」
驚きのあまりしばらく言葉を失っていた私は、なんとかそう絞り出す。先週出会ったときも、私は泣いてはいなかったはずだ。......心の中では別として。
だって、涙は心の中で凍りついて、一粒だって流れようとはしてくれない。
そんな私に、レオン王子は手を伸ばす。顔を見られるわけにはいかないので、私は彼の手を避けてベンチの端まで後ずさった。行き場をなくした手を、レオン王子はどこか寂しそうに見つめる。
「泣いてないのと泣きたいのに泣けないのは違うよ。君は今日も、先週も、泣きたそうだった」
泣かない。泣けない。私にはその二つは同じことのように思えるけれど、レオン王子にとっては違うのだろう。
そういえば、レオン王子はあまり泣かない人だったな、と前世の記憶を思い出す。なんでも背負って立ててしまう彼は涙を流さない。けれど乙女ゲーム終盤のイベントで、ソフィアにだけ、涙を見せるのだ。ソフィアはその涙を拭って優しく笑う。
——ああ。
ぶんぶんと頭を振って、その記憶を頭の中から追い出す。悪役令嬢である私には関係のない話だ。
「だって、私が泣いても、涙を拭ってくれる人なんていないわ」
「寂しいことを言うね」
僕が拭ってあげるよ、と言うレオン王子に、思わず自嘲した。貴方がエルザを嫌う限り、私は何度でも泣きそうになる。そう言えば、どんな反応を返してくるのだろう。言わないけれど。
「私は幽霊だもの。貴方は私に触れないわ」
貴方では私の涙は拭えない。
そんな私の言葉に、レオン王子は紅の瞳を見開いた。それから、真剣そうな目つきになって私に向き直る。自然と、私の背筋も伸びた。
「僕、今日会ったら君に言おうと思ってたことがある」
紅の瞳が、私を射抜く。
「君に、僕の友達になってほしいんだ」
友達。その響きは、奇しくも今日の昼にも聞いたものだった。——もう、友達ではなくなってしまったけれど。
昼の一件がなければ、私はレオン王子の言葉を素直に受け入れて喜べただろう。なんだかんだで、私の最推しはやっぱり彼なのだから。けれど、オスカー様の放った「友人」という言葉は、思ったよりも私の心に深く根付いているようだった。
「ともだち」
そう反復する私に、レオン王子は一つ頷いた。
「うんそう、友達。君には友達はいる?」
友達。
その言葉で思い出すのは、やっぱりあの青水晶の瞳だった。
「友達は一人、いるんです。......向こうはもう、私のことを友達とは思ってないだろうけど」
「なんで諦めてるの」
「え」
「喧嘩したのかなんなのか知らないけどさ、諦めちゃダメだよ。その子とまた仲良くしたいんでしょ?なら、仲直りしないと」
仲直り。
思っても見なかった単語に、私は目を瞬かせた。
「......でも、私が悪いんです」
「なら謝りに行きなよ」
「でも、」
怖い。
どう謝ればいい。何を謝ればいい。ソフィアをいじめたこと?彼がソフィアを大切に思っていることは知っていたのに、ソフィアを傷つけた事実を隠して彼のそばにいたこと?友人だと呼んでくれた彼の心を踏みにじってしまったこと?
謝ったところでどうにかなるとは思えなかった。私だって信用できない。ずっと悪役令嬢だった女がいきなり頭を下げてきても、受け入れてもらえるはずがない。昼間の令嬢が言っていたように、オスカー様に媚を売っていると思われるのがオチだ。
私の、せいじゃ、ないのに。
「ほらまた、泣きそうだ」
黙り込んでしまった私に、レオン王子はそう囁くように言った。
「ごめんなさいってたった一言言えばいいんだよ。まだ会うのが2回目の僕だって、君が友達のことを大事に思ってるのは分かる。その友達にその気持ちが伝わらないはずはないよ」
「そんな、簡単なことじゃ」
「いいから、謝ってきなよ」
紅の瞳から目が離せなかった。
「......、だきしめて」
気がつけば、その言葉が唇からこぼれ落ちていた。
そんな私に、レオン王子はそっと私のことを抱きしめた。顔が見られないように必死にローブを目深に被りなおす。けれど彼はもう、私の顔を覗き込もうとはしなかった。ただ、その紅の瞳を閉じて、私のことをまるで大切なものに触れるかのように抱きしめているのだった。
「怖くても、辛くても、悲しくても、逃げてはいけないよ。頑張って」
「どうして」
どうして、そこまで。
そんな私の困惑が伝わったのか、レオン王子は私の背中に回した手を握り締めた。そうすると彼の体温がじんわりと心に広がっていって、凍っていた涙が溶けていくような感覚がした。今ならきっと泣けるような気がした。
「僕は君の、2人目の友達だからね」
そう言って、彼は笑った。




