PageEX08:ギルド特捜部独立隊
気がつけば、空に星が輝く時間帯。
レイとフレイアは工房の中でへたり込んでいた。
「これで実験器は全部だな」
「つ、疲れたぁ〜」
あれから数時間。フレイアは十七本の実験器を使い、十本を爆破させ、五本を溶かし、一本を凍結させた。
諸々とトラブルと引き換えにデータは得られたが、代償として二人の体力がごっそり持っていかれる羽目になったのだ。
疲労が溜まったフレイアは工房の床で大の字になって倒れ込む。
「こらフレイア。床で寝るな。汚いぞ」
「ぶー、だって疲れたんだもーん」
「まぁ。あれだけインクチャージすりゃあ、そうなるか」
「ロキもお疲れ様」
「キュウ〜」
アリスの腕の中で、ロキもぐったりとしている。
魔武具へのインクチャージは、人獣共にそれなりに体力を持っていかれるのだ。
フレイアの手に握られている赤い獣魂栞からも、イフリートの弱々しい声が聞こえてくる。
『グォ〜ン』
「イフリートもお疲れ様」
「まぁ必要なもんは手に入った。あとは今日のデータを元に新型魔武具を作るだけだ」
レイの頭の中で構想が纏る。
今日はもう夜も遅い。続きの作業は明日以降だ。
「アリスー、フレイアをシャワー室に案内してやってくれ」
「りょーかい」
「え、この家シャワーあるの!?」
「あるぞ。しかも俺のお手製だ」
フレイアは気の抜けた声で「すっげー」と漏らす。
シャワーと言えば基本的に貴族階級しか持たないような高級品というのが常識だ。
一応ギルドの女子寮や模擬戦場にもあるが、個人の家にシャワーがあるというのは非常に珍しい。
ちなみに女子寮や模擬戦場にあるシャワーもレイのお手製だ。
「汗かいただろ。遠慮なく使え」
「じゃあ遠慮なく使わせてもらおうかな」
「おっ、自宅のシャワー室に女の子を連れ込むたぁ。良いねぇ、スケベの香りがプンプンするねぇ」
突然工房内に響いてきた声に、レイは振り向く。
そこには、黒い前髪が片目を隠している三十代くらいの男がいた。
「よっレイ、久しぶり」
「なんだ、アランの兄貴か」
「なに。レイの知り合い?」
「俺のっつーか、父さんの知り合い」
先代ヒーローの知り合いと聞いて、フレイアは微かに目を輝かせる。
それを見逃さなかったアランは、無精髭の生えた顎に手を当てて、少し格好をつけ始めた。
「いかにも。こう見えて自称エドガーさんの弟子だった男、アラン・クリスティとは俺の事よ」
「ヒーローの弟子!?」
「フレイア気付け、こいつ自分で自称とか言ってるぞ」
レイの言葉など耳に入らず、フレイアは無邪気に目を輝かせている。「もう少し言葉の細部を拾え」と、レイは心の中で突っ込むのだった。
「ねぇねぇ、ヒーローの弟子ってホント!? 色々聞かせてよ!」
「あぁ勿論だとも可愛子ちゃん。あちらのシャワー室でゆっくりと話を――」
「ドラァ!」
ゴンッッッ!!!
レイの投げた鉄屑が、容赦なくアランの頭にぶち当たった。
「ッッッ痛ゥゥゥ!?!?」
「ウチの中でセクハラしてんじゃねーぞ」
「レイ。か、可愛子ちゃんに手を出さないのは、この世で最も無礼な事だと――」
「そんな矜持、肥溜めにでも捨てちまえ」
「え? な、何が起きたの?」
工房の一角で頭を押さえるアランと、汚物を見るような目でそれを見下ろすレイ。
突然目の前に広がった光景に、フレイアはただ混乱していた。
「気をつけろよフレイア。アランの兄貴は腕は立つけど、中身はギルド長に次ぐスケベだからな」
「エロはこの世の真理だ」
「うるせぇ」
「あー……なるほど、理解したわ」
苦々しい表情を浮かべて、アランを見てしまうフレイア。
何故この街の強者はエロに惹かれてしまうのだろうか。レイとフレイアは不思議で仕方なかった。
「それで兄貴。今日はこんな時間に何の用事で?」
「あぁ一応特捜部の仕事だ」
「ゲッ……特捜部」
特捜部という単語を聞いた瞬間、フレイアは露骨に嫌な顔を晒した。
レイも誤認逮捕の一件を思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「あぁそっか、そういえばウチの馬鹿共がやらかしたんだったか。悪いな、嫌な事思い出させちまって」
「いや、兄貴が悪いわけじゃないから」
「あの事件の時にセイラムにいなかった俺が言うのもなんだが、あの馬鹿共なら特捜部の中で始末したから、安心してくれ」
「始末って……何したんだよ」
「おっ。聞くか?」
「やめとく。どうせ碌な話じゃないだろ」
「ご明察だレイ。聞かない方がいい事もある」
ケタケタと笑いながら語るアランに、レイとフレイアは些か邪悪な闇を感じた。
「あれ? アランさんは特捜部なのに、セイラムから離れてたの?」
「あぁ、兄貴は特捜部の中でも少し特殊なところにいるんだ」
「その通り。俺の所属はギルド特捜部独立隊だ」
「どくりつたい?」
フレイアは頭の上に疑問符を浮かべる。
だがそれも無理はない。基本的にギルド特捜部はセイラムシティ内における警察組織のようなものだ。
原則的にセイラムシティに常駐して、街の治安を維持するのが仕事である。
だが世の中には何事も、例外というものが存在する。
特捜部独立隊もその一つだ。
「独立隊ってのは、簡単に言えばセイラムに縛られず、世界各地で操獣者の起こした揉め事解決をする特殊部隊みたいなもんだ」
「ほえー、なんかすっごい」
「で。その独立隊が今日はなんのご用事で?」
「あぁそれなんだけどな……ゲーティアの話を聞きにきた」
瞬間、工房の中の空気が張り詰めた。
レイ達の脳裏に浮かぶのは、ついこの前の苦々しい記憶。
そして、これから戦わなければならない敵の再認識。
「まぁ、動いてるのは特捜部だけじゃないよな」
「そうだ。例のゲーティアによる宣戦布告で、今世界中が混乱している。ギルドとしても、総力を持って対応したいのさ」
「で、そのゲーティアと戦った俺たちの体験談を聞いて、対策を練りたいと」
「そういう事だ」
そう言うとアランはポケットから煙管を取り出して、刻み煙草を詰め始めた。
「あ、今更だけどここ禁煙?」
「タバコくらい好きに吸ってくれ」
「そりゃどーも。朝から忙しくて吸う暇も無かったんだ」
煙管に火をつけて一服するアラン。
「レイ。ゲーティアってのはどんな奴らだった?」
本題に入る。
レイとフレイア、そしてアリスはこれまで戦ってきたゲーティアの話をした。
バミューダシティでの幽霊船事件。
ブライトン公国での巨大化現象。
そして、フルカスという強敵に敗れた事。
一通りの話を聞き終えたアランは、口から煙を吐き出し、くしゃくしゃと頭をかいた。
「んあぁぁ、だいたいギルド長から聞いた話と同じだな」
「そりゃあまぁ、俺もギルド長には全部話したからな」
「しっかし、改めてゲーティアって奴は厄介この上ないな」
煙管の中身を捨てて、力任せに踏み潰すアラン。
「普段は人の姿で、必要な時には悪魔に変わる。これじゃあどこにでも潜めるじゃないか」
「そうね。実際バミューダで戦ったガミジンって奴も司祭になって潜り込んでいたし」
「それに加えて凶獣化だって? 鎧装獣の攻撃も碌に効かないって、それもう反則だろ」
「スレイプニルの攻撃もほとんど効いてなかった。あれは強すぎる」
「王獣クラスでもそれって、なんだよ……」
敵の想像を上回る強さに、アランは頭を抱えてしまう。
特に王獣であるスレイプニルの攻撃が効かなかったという事実は、彼に大きな衝撃をもたらしていた。
「けどよ、そのガミジンって蛇野郎は倒したんだよな?」
「あぁ。俺じゃなくてフレイア達がだけどな」
「アタシ達のVキマイラで大勝利!」
「Vキマイラに鎧巨人……そして王の指輪か」
無精髭を触り、しばし考え込む様子を見せるアラン。
「その王の指輪ってヤツが、今のところ数少ない対抗札って訳か」
「俺とフレイアも指輪の力に関してはよく分かってないんだけどな」
「だが現状、その力に頼る他ないな。少し安心したよ、お前達がゲーティアと戦う意思を持ってくれて」
レイとフレイアは何とも言えない顔になる。
自分達が勝手に持った意思とはいえ、こうやって面と向かって言われるのは少し照れ臭かった。
だがその一方で、アランは難しい表情を浮かべる。
「レイ、フレイア、アリス。お前達には少し嫌な事を聞いてしまうかもしれないが、どうか答えて欲しい」
真剣な眼差しと表情だった。
レイ達は無意識に固唾を飲んでしまう。
「セイラムシティの中で、ゲーティアらしき人間を見た事はないか?」
「おい兄貴……それどういう事だ」
「質問の仕方を変えようか? 今セイラムシティに、ゲーティアが紛れ込んでいる可能性が極めて高いんだ」
「うそ……セイラムに」
考えてもみなかった可能性。
レイは唖然とし、フレイアは言葉を失った。
「お前達は医務室で寝ていたから知らないかもしれないが。あの宣戦布告の日、上空に浮かんだビジョンは世界各地、地上から放たれていた。その内の一つが、セイラムシティの中から放たれていたのが目撃されているんだよ」
「セイラムに潜んだ、ゲーティア?」
「でもでも、そいつがずっとセイラムにいたとは限らないんじゃない? たまたまその日に来ていたとか」
「それなら良いんだけどな……残念ながらセイラムは世界一の操獣者ギルドの城下町だ。世界に喧嘩を売るような奴らが無視するとは到底思えない」
ここまで来て、レイはアランの本当の仕事を察した。
一種の暗部。特捜部の汚れ仕事。
「兄貴……もしかして、ネズミ探しをしてるのか?」
「悲しい事に、イエスだ」
「ネズミ? どゆこと?」
「要するに裏切り者探しだ」
レイに説明されてようやく理解したフレイアは、再び露骨に嫌な顔をする。
同じ街に住む者を裏切り者と仮定して探る、そういう行為に忌避感があったのだ。
「まぁ、こういう汚れ仕事をするのが独立隊なんだけどな。今回は本当に手掛かりがなくてよ。ゲーティアを知るお前に意見を聞きたかったんだ」
「意見って言っても、俺はそんな怪しい奴知らねーぞ」
「アタシも」
「同じく」
三人全員に「心当たり無し」と告げられたが、アランは想定内といった様子だった。
「そう簡単にはいかないか。キースの奴なら何か知ってたかもしれないけど、もうお陀仏だからなぁ」
「兄貴はこれからどうするんだ? ゲーティアの事とか色々と」
「俺か? 俺はとりあえずネズミ探しの仕事をするさ。もしもゲーティアと交戦しそうになったら、その時は戦うさ」
腰に携えたグリモリーダーに手を添えて、アランはそう答える。
戦う者は確実にいる。目の前の事実だけで、レイは少し安心感を覚えていた。
「なぁお前達、もしもセイラムでゲーティアを見つけたら、俺に教えてくれないか?」
「それって……アタシ達にネズミ探しを手伝えってこと?」
「まぁ、そうなるな」
不服そうな様子を隠さないフレイア。
頭では理解していても、心の中では仲間を売るようで嫌だ、という感情が渦巻いていた。
「兄貴、正直俺はネズミ探しなんて積極的にやりたいとは思わない。多分それはフレイアとアリスも同じだと思う」
「レイ……」
「だから、決定的な証拠を偶然見つけた時。その時以外、俺達が兄貴に連絡する事は無い」
「……それで十分だ。こんな汚れ仕事、本当は独立隊《俺達》だけで完結するのが一番なんだ」
そう言うとアランは、工房の出入り口へと足を運び始めた。
「今日は邪魔したなレイ。また何かあったら連絡するよ」
出入り口の向こうには、美しい緑の羽根を持った巨大な鳥型魔獣が待っていた。
アランの契約魔獣、シャンタクだ。
「そうだレイ」
「なんだよ」
「お前は、仲間を信じろよ。心の底から信じ切るんだぞ」
「……言われなくてもそうするさ」
「そうか、ならいい」
そう言い残すとアランはシャンタクの背に飛び乗り、セイラムシティの夜空へと姿を消していった。
「なんか、嵐みたいな人だった」
「そうだね〜……ってあぁぁぁ!? アタシ、ヒーローの話全然聞けてない!」
「いや、それ重要か?」
追ってでもアランからヒーローの話を聞こうとするフレイアを、レイは必死に止める。
そんな二人を、アリスはどこか微笑ましく見守っていた。
「ねぇレイ、フレイア、一つ質問してもいい?」
「ふぇ?」
「どしたアリス」
「もしも、もしもね。セイラムに潜んでいたゲーティアが、一番身近な人だったら、二人はその人と戦える?」
唐突な質問。
だがアリスが言いたい事は、二人とも何となく理解はできた。
「戦わなくちゃいけないだろ……相手が誰であっても。なぁフレイア」
「……」
「フレイア?」
「え、あぁうん。そうだね。相手が誰であっても戦わなくちゃね」
「そっか……うん、きっと今はそれでいいんだと、アリスも思うよ」
二人の答えを聞き届けたアリスは、表情は変えずにそう返す。
だがレイには、そんなアリスがどこか悲しげな様子を出しているようにも見えた。




