Page79:足音の進む先は
身体を走る痛みを気にする程、心に余裕はなかった。
衝動的に医務室を抜け出したレイは、屋上へ続く螺旋階段を登っていた。
急に動いたせいで、身体に巻かれた包帯がほどけかかるが、気にはならない。
屋上に続く扉を乱雑に開けると、冷たい風が身体を撫でていく。
だがそれすら気に留めず、レイは屋上で銀色の獣魂栞を掲げた。
獣魂栞が輝きを放ち、一つの像を形成していく。
瞬く間に光は収まり、レイの目の前にはスレイプニルが実体化していた。
「レイ……」
「スレイプニル、俺をブライトン公国まで連れてってくれ!」
「やめておけ。彼の地には最早救いはない」
「まだ生き残っている人がいるかもしれないだろ!」
「あの悪魔共が生き残りを許すと思うのか? それにレイ。今のお前の身体では、万が一ゲーティアと交戦した場合、命の保証はできんぞ」
諭すように告げるスレイプニル。しかしレイの心はぶれなかった。
確かにギルド長から聞いた話に加えて、新聞による情報もある。生存者よりも死者の方が圧倒的に多いだろう。
だがそれでもレイは足掻きたかった。自分が目で見た範囲での取りこぼしを、少しでも減らしたかったのだ。
今ならまだ間に合う。今ならまだ生きている人もいる。
そう自分に言い聞かせながら、レイは叫ぶように、何度もスレイプニルに頼み込んだ。
しかしスレイプニルは首を縦には振らない。
歴戦の猛者であるが故に、彼は今ブライトン公国がどのようになっているのか粗方検討がついていた。
だからこそ止める。もう手遅れなのだと。
それを告げてもなお、レイは諦めなかった。
「頼むスレイプニル! 俺は――」
≪そんなに行きたいなら、連れて行ってあげようか?≫
後方から突如声が聞こえてくる。
いや、声というよりは脳内に直接文書が入ってくるような感じであった。
この感覚を与える者を、レイとスレイプニルは一人しかしらない。
振り返る。そこには巫女服と仮面に身を包んだ、黄金の少女がいた。
「黄金の……なんでここに」
≪どうせスレイプニルは連れてってくれないんでしょ? それに今のレイの身体じゃあ、長旅は無茶だよ。だから私達が連れてってあげる≫
「レイ、やめておけ。もう手遅れだ」
「そんなの行ってみなきゃ――」
≪スレイプニルの言う通りだよ≫
レイの言葉を遮って、黄金の少女は淡々と続ける。
≪連れてってあげるけど、今のブライトン公国には絶望しか広がってない。生き残りもいない。完全に滅んだ状態。きっとそれを見たら、レイは深く傷つく……正直私達はそれを望んではいない。だけど、それでも良いって言うのなら、私達がレイをブライトン公国まで連れてってあげる≫
どうする、と黄金の少女は首を傾けて聞いてくる。
スレイプニルは無言だが、難色を示していた。
しかし、レイの意思は変わっていなかった。
「頼む。俺を連れてってくれ」
「ならば我も同行しよう。万が一敵が現れてはいかんからな」
そう言うとスレイプニルは、再び銀色の獣魂栞へと姿を変えた。
一連の返答を見届けた黄金の少女は、どこか諦めのような様子を出しながら、言葉を続けた。
≪……後悔はしないでね≫
獣魂栞を手に持ったレイに、黄金の少女は手を添える。
すると彼女の身体から、黄金色の魔力が湧き出てきた。
≪転送、ブライトン公国≫
短く唱えられた呪文。
次の瞬間、レイと黄金の少女の姿は、屋上から完全に消え去っていた。
◆
瞬きをする間もなく、目の前の景色が変わる。
辿り着いた場所は、ブライトン公国首都。
かつてはそう呼ばれていた土地である。
「……なんだよこれ」
突然ブライトン公国まで飛ばされた事もだが、それ以上にレイは、眼前に広がる景色が信じられなかった。
建物という建物は崩れ去り、原形を留めていない。
瓦礫の中からは、未だ炎が噴き出している。
首都の象徴とも言えた宮殿は、もはや見る影もない。
だがそれ以上にレイの心をざらつかせたのは、人の声が全く聞こえなかった事だ。
否定したかった。その事実を受け入れたくなかった。
レイは無我夢中で瓦礫の山へと駆けだした。
何度かこけるが、傷の痛みなど認識できない。ただ必死に、生存者を探すだけだ。
「誰か……誰か生きてないのか!」
叫ぶ。しかし返事は聞こえない。
それでもレイは諦めず、瓦礫の山を進む。
すると、何か弾力のあるものを踏んでしまった。
レイは恐る恐る、踏んだソレを見る。
それは、長さ二十センチもない、真っ白な子供の腕だった。
腕から先は無い。爆風か何かでもげたのであろう腕が、瓦礫の山に転がっていた。
レイの心に氷水のような何かが流れていく。
いざこうして目にする事で、レイはようやく自身が救えなかった存在を、認めざるを得なくなったのだ。
無力感と絶望が、レイを覆い隠そうとする。
「まだだ、まだ誰か……」
『……レイ』
まだ心は折れていない。
レイは諦めず、瓦礫の山を進んでいく。
気がつけばその足取りは、宮殿の跡地にまできていた。
その道中で見つけた生存者は存在せず、目にしたのはバラバラになった遺体ばかりだった。
宮殿の跡地で声を張り上げるレイ。だが返事はこない。
風の音ばかりが、虚しく耳に入ってくる。
本当に生存者はいないのだろうか。レイの心が折れかける。
その時だった、瓦礫のすき間から、見覚えのある金色の髪が見えた。
微かに見える服にも見覚えがある。間違いない、ジョージ皇太子だ。
「皇太子様ッ!」
レイは大急ぎで瓦礫を除け始めた。
怪我をした身体が悲鳴を上げるが、そんな事は気にならない。
とにかく今は、目の前の人を救助する事が先だ。四苦八苦しながらも、レイは瓦礫を除け終える。うつ伏せになったジョージ皇太子の上半身が見えてきた。
「皇太子様、大丈夫ですか!? 今出しますからね!」
『レイ……やめろ』
返事はない。気絶しているのだろうか。
スレイプニルが何か言ってきたが、聞こえてこない。
レイはジョージの両腕を掴んで、力いっぱいに引っ張った。
――ズルリ――
「……え?」
『……だから、やめろと言ったのだ』
無かったのだ。瓦礫の下から出てくると思われていた下半身が、無かったのだ。
引きずり出されたのは、真っ白な肌と、冷たくなった上半身のみ。
流れ出る内臓と腐臭が、レイに現実を叩きつける。
「あ……ぁ……」
ジョージの腕を掴んでいた手から、力が抜ける。
レイは瓦礫の山の上で、膝から崩れ落ちた。
「う、うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
絶叫。あるいは咆哮。
大粒の涙と共に、レイの叫びが瓦礫の山に響き渡る。
『レイ……』
「何が……何が操獣者だよ。何がヒーローだよ!』
拳を握りしめ、レイは瓦礫に叩きつける。
「口先ばかりで、何も守れてないじゃないか!」
完全なる敗北、そして自身の弱さ。それらが洪水と化して、レイに襲い掛かる。
自分はただ、父親を模倣しようとしていたに過ぎなかった。背中を追う事すら出来ていなかったのだ。
それを認識した途端、悲しみと怒りが込み上げて、レイ自身に矛先を向けてくる。
「目に見えるものすら、救えやしない……」
声は徐々にか細くなる。
レイが打ちひしがれていると、背後から黄金の少女が現れた。
≪だから言ったでしょ。絶望しかないって≫
そう言うと黄金の少女は、レイの身体に手を添えた。
≪転送、セイラムシティ≫
◆
ギルド本部の屋上へと戻って来たレイ。
だがその心は絶望が支配していた。
項垂れるレイの頭を、黄金の少女は優しく撫でる。
≪レイ……無理して戦わなくていいんだよ≫
「……え」
≪戦い続けても、その先には絶望しかない。それにね、レイが無理して戦わなくちゃいけないなんて決まりは無いんだよ≫
戦いから降りるように諭す黄金の少女。
その言葉にレイの心が微かに揺れる。
≪レイが戦わなくても、他の誰かが戦ってくれる。ゲーティアから逃げても、誰も責めないよ≫
「俺は……」
≪怖いなら、逃げちゃえばいいんだよ≫
黄金の少女はレイのポケットから銀色の獣魂栞を取り出し、レイに握らせる。
≪契約を破棄すれば、レイは操獣者じゃなくなる。もう戦わなくていいんだよ≫
レイは何も言わず、手に持った獣魂栞を見つめる。
黄金の少女が言うように、契約を破棄すれば操獣者としての力は失う。
ゲーティアと前線で戦う必要はなくなるのだ。
戦わなければ、絶望はしない。
自身の無力さに、思い悩む必要もなくなる。
レイの心が揺れる。ここで逃げてしまった方が楽なのではないのかと。
だがそれで良いのだろうか。
心の奥底に眠る何かが、レイを引き留めようとする。
「俺が……戦おうとした理由は……」
レイの脳裏に、これまでの戦いが想起される。
フレイアとの出会い、キースとの戦い。バミューダでの戦い、ゲーティアとの戦い。ブライトン公国での戦い。
そしてそれらの中で出会った人々の表情。
「(あぁ……そうだ。俺が戦おうとしたのは)」
ヒーローと呼ばれた父親に憧れた。
仲間と共に夢を掴みたかった。
そして何より、目に見える範囲で誰かが傷つくのが嫌で仕方なかった。
思い出すのは、誰かを救った時に見る表情。そして「ありがとう」の言葉。
「(俺が、進みたかった道は……)」
レイは獣魂栞をぎゅっと握り締める。
その目にはもう、絶望は灯っていなかった。
「俺は……戦う」
≪……どうして? どうやったって、この先には絶望しかないのに≫
「もしかしたら、そうかもしれない」
だけどさ、とレイは続ける。
「戦わないという事は、誰かに戦いを押しつけるという事だ。そんな事をしたら……俺は、俺自身を許せなくなっちまう」
立ち上がり、レイは黄金の少女へと向き合う。
「絶望も何も、全部背負ってやる。そんで過去に顔向けできるように、未来へ進んでやる」
覚悟は決まった。
レイは目尻についた涙を拭い、宣言する。
「ゲーティアと戦う。こんな悲劇、もう繰り返させたくない!」
≪それが……レイの答えなの?≫
「あぁ」
≪どうしてそこまでして、戦おうとするの?≫
「自称、ヒーローだからな……それに、ここで逃げたらフレイアの奴に笑われちまう」
それが嫌なんだよ、とレイは笑う。
すると黄金の少女は、どこか寂しげな様子で、言葉を紡いだ。
≪やっぱり、レイはそう答えるんだね≫
踵を返し、立ち去ろうとする黄金の少女。
レイはそれを呼び止めた。
「待ってくれ、黄金の! お前は何者なんだ?」
ずっと気になっていた事を質問する。
黄金の少女は数秒立ち止まった後、振り返ってこう答えた。
≪……私達は神様モドキで……レイの味方だよ≫
「神様モドキ? それって――」
それってどういう事だ。
そう聞くよりも早く、黄金の少女は屋上から姿を消してしまった。
「行っちまったか」
『そうだな』
黄金の少女。
謎は多いが、少なくとも敵ではないのだろうと、レイは結論付けた。
「なぁ、スレイプニル」
『何だ?』
「強くなりたい。もう、誰も取りこぼさない為に……」
『それは……お前の心持ち次第さ』
冷たい風が身体を撫でるが、その心は屈しない。
前を向こう。前に進もう。
喪った魂に向き合えるように、戦い続けよう。
もう絶望には屈しない。
思い描いた未来へと進む為に、この足音を進めよう。
レイはそう決心するのだった。
【第四章に続く】




