Page78:完全なる敗北
目覚める。
レイが目を開けた先に広がっていたのは、見知った天井だった。
「……あれ、俺……」
頭がぼうっとして、中々状況を把握できない。
頭のもやが数秒滞在した後、レイはようやく頭がハッキリしてきた。
辺りを見回す。やはり知っている場所だ。
「ここって、ギルドの医務室か?」
ベッドシーツにギルドの紋章が刺繍されている。
間違いない、セイラムシティのギルド本部医務室だ。
しかし何故だろうか。
そもそもブライトン公国からセイラムに戻った記憶はない。付け加えれば、ブライトン公国からセイラムシティはそれなりに距離があった筈だ。
なのに何故、今自分は医務室のベッドの上なのだろうか。レイには理解できなかった。
「ハッ! そうだ、ゲーティアのやつがッ!」
ここに来てようやく、レイはブライトン公国で戦ったゲーティアの存在を思い出した。
そしてもう一つ、自分がゲーティアに敗北した事も……。
レイは急いでベッドから飛び降りようとするが、全身に激痛が走り、うまく動けない。
だがここで立ち止まっている訳にはいかない。
レイが痛む身体を抑え込んで、起きあがろうとしたその時だった。医務室のカーテンが開き、大きな人影がレイの元にやって来た。
「おぉレイ! 目ぇ覚ましたか!」
「親方? じゃあやっぱり、ここはギルドの医務室」
「調子の方はどうだ?」
「いやまぁ、身体中痛いけど……って親方、俺何でギルドの医務室にいるんだ!? 他のみんなは!?」
「……何も覚えてないのか?」
一先ず話を進めるために、モーガンはレイをベッドから出ないよう諭した。
「お前達がセイラムシティに戻ってきて、今日で四日が経った」
「四日!? て言うか戻ってきたって、俺達はセイラムに戻ってきた記憶なんてないぞ!」
「まぁ、それもそうだろうな……なんせ四日前、お前達は全員、急に空から降ってきたんだからな」
「……どういうことだよ親方」
レイがそう言うと、モーガンはポツリポツリと語り始めた。
四日前。レイ達がフルカスと交戦したあの日の夜。
変身が強制解除され、気絶したレイ達は、突然ギルド本部前に落ちてきたのだ。
大怪我を負った若者が七人、いきなり現れた事でギルド本部前は軽いパニックになった。その騒ぎを聞きつけたモーガンとギルド長が、大急ぎでレイ達を医務室に運んだそうだ。
そしてその時だった、モーガンやギルド長を含む本部前に居た者達全員が、空に浮かぶ黄金の少女を目撃したのは。
「黄金の少女……」
「あぁ、多分レイが以前言ってたやつだと俺は思ってる」
『それは間違いなく黄金の少女だろうな』
「スレイプニル」
『レイ。我々はあの時、黄金の少女に命を助けられたのだ。セイラムシティへも、黄金の少女が魔法で運んでくれたのだよ』
そしてスレイプニルは語り出す。
レイがフルカスに敗北した事。間一髪のところで黄金の少女が助けに入った事。フルカス達が去り、黄金の少女がセイラムまで魔法で転送してくれた事。
レイはそれらを聞いて、改めて自分が敗北した事を実感した。
「……親方、他のみんなは?」
「他の奴らも医務室だ。全員酷い怪我をしているが、命に別状はない」
「そっか……ならよかった」
一先ず安心できたレイは、胸を撫で下ろす。
他の皆もきっと。黄金の少女が助けてくれたのだろう。
しかしそうなると新たな疑問が出てくる。レイがモーガンに質問しようとした、その時だった。モーガンの後ろから、新たな来客が姿を現した。
「ほっほ。一番重症じゃったのに、一番最初に目を覚ますとはのう。これも日頃怪我慣れしとった賜物かのう」
「ギルド長」
「調子はどうじゃ、レイ?」
「全身痛いです」
「なら大丈夫そうじゃな。良かった良かった」
顎鬚を弄りながら、ギルド長は軽く笑い声を上げる。
「というか、なんでギルド長がここに居るんですか? またサボりか?」
「違うわい、ちゃんとした仕事じゃ……レイ、戦騎王から聞いた。ゲーティアの悪魔と戦ったそうじゃな」
いつになく真剣な眼差しで聞いてくるギルド長に、レイは静かに頷いた。
「その時の事を、詳しく話してはくれんかのう」
そう言うとギルド長は、近くにいたモーガンに書記用の紙とペンを押し付けた。
重々しい雰囲気の中、レイはブライトン公国での出来事を話し始めた。
裏クエストの依頼主がブライトン公国の皇太子、ジョージであった事。
皇太子の依頼が、ウィリアム公の暗殺の幇助だった事。
依頼の背景に、ゲーティアによるブライトン公国の乗っ取りがあった事。
国を取り戻す為に、ジョージと共に宮殿へ乗り込んだ事。
そしてそこで、ゲーティアと戦った事。
思い出せる限り、全ての出来事をレイは話した。
「その日の夜、俺達はセイラムに戻ろうとして……フルカスと戦った」
フルカスとの戦いの記憶は、レイの中に痛々しく突き刺さる。
それでもレイは、フルカスとの交戦結果、そしてグラニの存在をギルド長に伝えた。
「……戦騎王の弟、じゃと」
『うむ。あれは間違いなく我が弟、グラニであった』
銀色の獣魂栞越しに、スレイプニルが語り出す。
グラニの強さと、その性質。そして戦騎王の目線から見た、フルカスという悪魔の強さを。
その話を聞くにつれて、ギルド長の顔は徐々に強張っていった。
全ての話を聞き終えたギルド長は、しばし沈黙をした。
「なるほどのう……ゲーティア、我々の想像以上に恐ろしい敵らしい」
「そうですね……って、そうじゃない! ギルド長、ブライトン公国に操獣者を派遣できませんか!?」
「ブライトン公国にか?」
「あそこにはまだゲーティアがいるんですよ! 皇太子様はそんなに強くないし、魔僕呪の副作用で動けない住民が沢山いるんです!」
レイがそこまで言うと、ギルド長とモーガンは口をつぐんでしまった。
何か嫌な感じがする。レイは恐る恐る二人に声をかけた。
「親方……ギルド長?」
「レイ、そのな……」
「モーガン。儂が説明する」
意を決したように、ギルド長はレイに一部の新聞を手渡した。
レイは恐る恐るその新聞の一面記事を読む。
書いてあった内容は、ゲーティアが全世界に宣戦布告をしたこと。
そして……ブライトン公国で虐殺が起きた事であった。
「……なんだよ、これ」
日付は三日目の朝刊。
レイ達がセイラムシティに戻って来た翌朝の記事だ。
心が震える。受け入れがたい内容に、脳が拒絶反応を起こす。
「お主達がセイラムシティに降ってきた直後じゃった。上空に謎のヴィジョンが浮かんできてのう。ソロモンとかいう奴が宣戦布告を――」
「そうじゃねぇ! 虐殺ってどういう事だよ!」
「……記事に書いてある通りじゃ」
「書いてある通りって……あの国にどれだけ人が――」
「もう既に調査の者を出しておる。残念じゃが今のところ、生存者は一人も見つかっておらん」
それから先の言葉は、レイには遠い何処かの声に聞こえた。
呆然となる。無力感が全身を支配する。
それはレイにとって、始めての敗北だった。
それは、初めて救えなかった者達でもあった。
そしてその事実は、レイにとってあまりにも重く圧し掛かってきた。
「助け……られなかった……」
ブライトン公国で出会った人間の顔が脳裏に浮かんでくる。
敗戦国と言えど、彼らは懸命に生きようとしていた。
ジョージ皇太子は、絶望的な状況でも国を再興しようとしていた。
未来に繋がったであろう、子供たちもいた。
それら全ての命が、既に喪われてしまったというのだ。
悔いと絶望が、レイの中で広がっていく。
気がつけばその瞳からは、大粒の水滴が落ちていた。
何か行動が違えば、変えられたのではないか。
自分がもっと強ければ、変えられたのではないか。
測りきれない罪悪感が、レイの心を飲み込んでいく。
「レイ……」
レイに何か声をかけようとするモーガン。
しかしギルド長がそれを制止してしまった。
「モーガン。今はそっとしておいてやろう」
「……わかりました」
ギルド長とモーガンは、静かに医務室を後にする。
医務室には、声を押し殺した嗚咽が虚しく響くばかりだった。




