Page51:件の幽霊だーれだ①
生まれてから今まで、両親は家を留守にしがちだった。
メアリーという少女が生まれた環境はそういう所である。
両親は商船の船乗りで、幼いメアリーはバミューダシティで祖父と一緒に暮らしている。
港町なだけあって、両親が留守にしがちなのは他の家も一緒だった。
だからそれが普通の環境だとも思いこんでいた。
とは言え誕生日のプレゼントが配達で届き、お祭りの歌を聞いて貰えないのは幼いながらに少々堪えてはいた。
その日が来たのは、10歳の誕生日を終えてから数週間経ってからだ。
珍しく帰ってきていた両親から一緒に船に乗らないかと誘いが来たのだ。
そろそろ手のかからない歳になってきたので、両親も一緒に過ごしたいと考えていた。当然メアリーは了承。
お祭り前にはまたバミューダシティに戻ってくると言うことで、すぐに次の航海へ同行する事となった。
初めて乗る船にメアリーは随分と興奮した。
そして出航。船はバミューダシティを去った。
だがすぐに船酔いをしたメアリーを、一体の大型魔獣が心配げに見守る。
船と同じくらいの巨大な身体を持つ魔鯨、【水鱗王】バハムートである。
メアリーは気晴らしも兼ねて、バハムートに歌を聞いて貰った。
美しい歌声にバハムートも心地の良さそうな声を上げる。
両親と共に船に乗り、大好きな王様に歌を聞いて貰う。
そんな幸せな時間が過ぎて行き……そこでメアリーの記憶は途絶えた。
目を覚ますと狭く暗い樽の中。
蓋をこじ開けて外に出ると、そこはバミューダの端にある浜辺だった。
「……夢?」
両親と船に乗るのが楽しみでそんな夢を見てしまったのだろうか。
空はとっぷり暗闇空。こんな時間まで遊んでいたら祖父に怒られてしまう。
もう少し樽の中に隠れていよう。
そして朝が来る。
メアリーは何の疑問も持たない。何の違和感も持てない。
同じ夢を見て、同じ朝を迎える。
昼は歌の練習をして、夜は怖い幽霊から逃げて。
そして今を繰り返す。
もっと怖い何かから逃げるように、何かから逃がされるように。
彼女はただ、繰り返し続ける。
◆
ガミジンに逃げられた後、レイ達はボロボロになった教会の中を調べていた。
仮にも主犯が根城にしていた場所だ。何かしらの物はあるだろう。
そう思って教会内をひっくり返し始めたのは良いのだが、そもそもガミジン一人で運営していた教会。驚くほどに何も無い。
今のところ出てきたのはお守りに使う巾着袋の在庫のみ。
「そーらよっと!」
調べに調べて最後の部屋。
厳重に鍵がかかっていたが、そんなものは知らないと言わんばかりにレイはコンパスブラスターで扉を破壊する。
無理に扉を破壊したのもあるが、部屋は随分と埃っぽい。清貧な教会の中とは思えない汚さだ。
「これじゃあ教会って言うより学者の部屋だな」
レイ、オリーブ、マリー、アリスが部屋に入る。
床には物が散乱し、天井には蜘蛛の巣が張っており、改めて汚いとレイは顔を歪ませる。
一先ず手分けして中を調べる事にした一同。部屋は大量の本と紙、そしてペンがあるのみ。レイは本棚から適当に一冊を取り出す。
「(霊体研究の学術書……こっちは攻撃魔法の研究論文……どんな組み合わせだよ)」
いまいちチグハグとした本のジャンルに首を傾げるレイ。
他の本も目を通してみるが、何れも似たような書籍ばかり。
ルドルフがかつてガミジンは研究職だと言っていた事を思い出す。だがそれにしてもジャンルがすり合わない。
一通り本棚から本を取り出すレイ。
「ん、なんだこれ?」
全ての本を出し終えると、本棚の奥から小さな引き出しが出て来た。
引っ張り出して中身を確認する。
「……? 論文と、設計図?」
出て来たのは数十枚の紙束。
一枚は船らしき図に大量の魔方陣が描かれた物。残りは長々とした論文らしき物だった。
レイはその論文を読み始める。
「レイ君、何を読んでるんですか?」
「あの、レイさん?」
「呼んでも無駄。こうなったら人の声聞こえてない」
オリーブ達の声は聞こえず、レイは凄まじい集中力で論文を読み進める。
一枚、また一枚とページをめくる毎にレイはどんどん顔を険しくしていった。
その異様な様子に、心配そうな表情を浮かべるオリーブ。
そして数十分後、論文を読み終えたレイは溜息を一つついた。
「もしも外道の学問があるとすれば、こういうのを言うんだろうな」
「あの、何が書かれていたのでしょうか?」
「……知らない方がいい。碌でもない研究だったよ」
「レイ」
咎める様なアリスの視線が刺さる。
気遣いで伏せようとしたのだが、それを許さないと言われた気がして、レイは少し首の裏を掻いた。
「魂から得られるエネルギーの武器転用と、魔獣の死体を使った兵器の開発……その研究だとよ」
レイの言葉に言葉を失う一同。
「狩り取った人間の魂を動力源にして巨大な魔導兵器を動かしたり、魔獣の死体を活用した兵器の構想……そういう研究内容だった」
「人間の魂って……」
「それではあの巨大な幽霊船は」
「十中八九魔導兵器だろうな。それも大量の魂を積み込んだ悪趣味なやつ」
オリーブとマリーは何故レイが詳細を伏せようとしたのか理解した。
どれだけの人命を失わせたのか。まさに外道、悪魔の所業と呼んで差し支えない内容だった。
「じゃあすぐに犯人を倒さないと!」
「オリーブさん、その犯人が逃げてしまっているのですが」
「そうだった。じゃあ探さないと」
「空間超えて何処かに行ったのにか?」
口を噤むオリーブ。
「諦めて、もう来ないで欲しい」
「それは無いだろ。この手の奴は執念深いって相場は決まってる。少なくともこれだけの資料を用意して研究するような奴だ、折角の兵器をみすみす棄てるような真似はしないだろうよ」
「じゃあどうする?」
アリスの質問に少し考え込むレイ。
少なくとも逃亡先は分からない。幽霊船に執心しているだろうが、その幽霊船が隠されてしまっている。現在見つかっている資料からは次の行動は予測できない。
となると……
「待ち伏せるしかないなぁ。少なくとも動きが出るのは夜になってからだろう」
結局、受け身にならざるを得ない状況。
レイは他の部屋を探っていたフレイア達に連絡をして話し合い、夜まで各自自由行動とする事になった。
◆
街の中を一人で歩くレイ。
散歩がてら、街の住民から少しでも話を聞こうと考えていた。
大きな広場に出てくる。
他の場所は活気が少ない中、此処だけは精力的な声が聞こえて来た。
何だろうかと、レイはその集団に目をやる。
集団が組み立てているのは何かの舞台だろうか。周辺でも屈強な男達が屋台を組み立て、大きな魔道具を運び込んでいる。
「あぁ、お祭りの準備か」
バミューダに来る直前に読んでいた旅行記の内容を思い出す。
そう言えばあの本にも、水鱗祭は今くらいの時期だと書かれていた。
働く男達をぼうっと見ていると、向こうもこちらに気がついて来た。
「おう兄ちゃん! アンタGODから派遣された操獣者だろ」
「え、まぁ、そうですけど」
一瞬なんで分かったんだと思ったが、すぐに腰にぶら下げてあるグリモリーダーを見たのだろうと理解した。
「聞いたぜ、さっき教会の方で派手に戦ってたって」
「あの司祭が化物になったんだってな」
「あぁ、はい、とは言っても逃げられてしまいましたけど……」
自分の不甲斐なさにレイは唇を噛む。
「そう謙遜すんなって、俺らじゃ追っ払う事もできねーんだからよ!」
「そうだそうだ。前向きに考えようぜ兄ちゃん」
背中をバンバンと叩いてくる男達。
えらく前向きなものだと、レイは少し溜息をつく。
だがおかげで、なんだか心が少しだけ軽くなった気もした。
「事件が終わったら、兄ちゃんも仲間連れてお祭りに来てくれよ!」
「そうだぜ、水鱗祭はこの街の名物! これを見ずしてバミューダは語れねぇぜ」
「まぁ今年も王様と歌い手が居ないから、本調子って訳じゃあないけどな」
「え、歌い手?」
引っかかった。
レイの記憶が正しければ、確か今年の歌い手は……
「王が居なくちゃ次の歌い手も決められないからな」
「歌い手も水鱗王も五年前から居なくなっちまった」
「あの、歌い手って何か聞いても……」
「ん、あぁ。水鱗祭の恒例行事さ。毎年水鱗王によって決められた一人が、この舞台で賛美歌を歌うんだよ」
そう言って広場中央で建設されている舞台を指さす男。
水鱗王に送る賛美歌……その言葉にレイは聞き覚えがあった。
「水鱗歌」
「おう兄ちゃん、よく知ってるな」
「ちょっと待ってくれ、じゃあ今年の歌い手ってメアリーって娘じゃないのか?」
「メアリー? なんか聞いたことがある名前だな」
「ほらアレだよ、五年前に商船と一緒に消えた女の子」
「っ!? 消え、た?」
レイは慌てて男達から聞き出す。
曰く、五年前に起きた商船の海難事故で水鱗王と共に、その年の歌い手として選ばれた女の子も行方不明になってしまったのだとか。
現在でも見つかっておらず、ほぼ死亡が確定したと見ていいらしい。
「……スレイプニル」
『妙だな』
「メアリーは嘘をついていたか?」
『いや、それは無い』
スレイプニルの断言で、メアリーが嘘をついた可能性は消えた。
王獣クラスの魔獣に子供の嘘は通用しない。
では同姓同名の別人か。それにしては話が出来過ぎている。
「(なんだ、この胸騒ぎは)」
レイは走ってその場を後にし、メアリーと最初に出会った浜辺へと向かった。
焦る様に浜辺を探すレイ。だがそこにメアリーの姿は無く、あるのは近くの孤児院で暮らしている子供たちが遊んでいるだけであった。
「なぁ、ちょっといいかな?」
レイが近づくと、また玩具を作ってくれるのかと目を輝かせて、子供たちは寄って来た。
だが今は別件が重要。
「なぁ、メアリーって子について聞きたい事があるんだけど」
「……メアリーって誰?」
「そんな子いないよ」
背筋が凍りついた。
子供たちの言葉を理解するのに数秒を要してしまった。
スレイプニルからの指摘は無い、という事は彼らは嘘をついていない。
「(どういう事だ……)」
念のため子供たち全員に聞いてみたが、誰一人としてメアリーを知る者は居なかった。
レイは呼吸を整えて、落ち着いて今までの情報を整理する。
「思い出せ……これまでの情報を……」
『メアリーは歌い手ではない』『だがメアリーは今年の歌い手だと真実を言った』『幽霊船事件』『ゲーティアの悪魔』『ルドルフ教授の話』『五年前の海難事故』『ルドルフ爺さんの息子家族』『水鱗王の失踪』『霊体研究の論文』
「(なんだ……?)」
『魂を狩る幽霊』『幽霊の作り方』『彼の王が抵抗』『王さまの声を聞いたメアリー』『アリスの魔法失敗』『ガミジンの兵器研究』『ルドルフ爺さんの家の絵画』『水鱗歌』『制御呪言』『ハグレを探せ』
「(この嫌な感じは)」
『上手に歌うコツはね――』
バラバラだったピースが一気に繋がっていく。
レイはその塊を言葉で表すよりも早く、足を動かしていた。
行き先はルドルフの家。
確認しなければならない事がある。
「爺さん、おい! いるか!?」
「なんじゃ騒々しい」
「爺さん! ちょっと確認したい事があるんだけどいいか!?」
レイの気迫に圧倒されて、ルドルフは思わず頷いてしまう。
「爺さんの家に飾ってあった絵画。あの絵に描かれていた三つ編みの女の子の名前って」
「あぁ、ありゃ儂の孫娘じゃよ。名前は――」
ルドルフが孫娘の名前を告げた瞬間、レイの中で一つの疑念が確信に変わった。
「……じゃあ隣に描かれているのは」
「死んだ息子夫婦じゃよ」
確定した。
だが聞かねばならない事はもう一つある。
「なぁルドルフ教授、霊体研究の権威としてアンタに聞きたい事がある」
レイは教会で読んだガミジンの研究内容を包み隠さず告げた。
あまりの内容に流石のルドルフも初めは言葉を失ったが、次第にレイの話に聞き入ってくれた。
「あの男は……なんという事をッ!」
怒りに震えるルドルフ。
それを宥めて、レイはある質問をする。
「爺さん、今の内容を踏まえて少し聞きたい事があるんだ」
レイはこれまでの話からたどり着いた、ある仮説をルドルフに告げた。
外れて欲しい。できることなら、否定して欲しい。
だがレイの願いはあっけなく砕かれた。
「理論上だけで言えば、恐らく可能じゃろうな」
「……」
「しかしよくこんな発想に辿り着いたのう……いや、辿り着かせたガミジンの奴が悪いか」
「……スレイプニル」
『なんだ』
「最後に一つ聞いても良いか」
レイは震える声でスレイプニルに問う。
「水鱗王、バハムートは……人間と同じくらい複雑な術式を組むことができるか?」
『……雑作ないだろうな』
レイの中で、全てのピースが揃った。
それと同時に、最悪のシナリオがレイの脳裏に映し出された。
「クソッ! 最悪だ!」
レイは大急ぎでルドルフの家を後にした。
そしてグリモリーダーを操作し、チームの全員に通信を繋げた。
「みんな、聞こえるか!」
『レイ君、どうしたんですか?』
「オリーブ! ちょうどいい、皆と協力してメアリーを探してくれ!」
『メアリーちゃんがどうかしたんですか?』
「ガミジンの次の狙いが分かったんだ! アイツの狙いはメアリーだ!」
グリモリーダーの向こうからオリーブの驚愕の声が漏れ聞こえる。
『なんでメアリーちゃんが!?』
「あの子がハグレだったんだ! 幽霊が一番探し回っていた魂なんだ!」
『ハグレ?』
「いいかオリーブ、落ち着いて聞いてくれ」
そしてレイはオリーブに,辿り着いた真実を告げた。
「あの子は……メアリーはもう、死んでいる!」




