Page118:ゲームオーバー
「さぁ、ゲームを続けましょう。絵本の完成にはまだほど遠いんだから」
怒りに震えるラショウを気にも留めず、シャックスは後ろを向く。
そんな中、レイは強い焦りを覚えていた。
「(スピードだけじゃ解決できない。絵本を奪うどころか身体に触れない。影の大きな場所に立つとさっきみたいに無理矢理動かされる可能性もある)」
今残っているのはレイ、アリス、ライラ、ラショウ、サクラ。
それぞれが出来る事を思い返しながら、レイは対策を考える。
アリスの幻覚魔法はブギーマンの触手には有効であった。
しかしシャックス本体に錯覚をさせるには問題がある。
強力な幻覚魔法を撃ち込むには、アリス自身が射程範囲まで近づく必要があるのだ。
現在の状況でアリスがシャックスに近づけば、良くてブギーマンの妨害、悪ければ動きを見られて絵本の餌食だ。
「(ライラのスピードに頼ろうにも、ブギーマンが妨害する。恐らくラショウがやっても同様だ)」
残る戦力はサクラ。
任意の分身を作る魔法を使う操獣者だ。
単純にシャックスを惑わすならばサクラの協力を仰げば良いだろう。
しかしこれも問題がある。
「(シャックスの奴が強制的にかけてきた魔法契約。分身で表面だけを騙しても、本物が動いたらゲームオーバーになる可能性が高い)」
となれば残るはレイ自身だ。
レイは自分が出来る事について考える。
「(コンパスブラスターを棒術形態にして、マジックワイヤーを飛ばす。念動操作をすればブギーマンの反撃もある程度は回避できる……問題は、絵本を壊さずに奪えるかだ)」
基本的にマジックワイヤーは攻撃用の魔法である。
多少術式を変えたところで、鋭さは存在する。
鋭さを消した拘束用のマジックワイヤーでは、今度はブギーマンの反撃に対応できない。
「(となれば必要なのは協力か)」
絵本をシャックスの手から弾く事はできるレイ。
ならば弾いた絵本を他の誰かがキャッチすれば良いのだ。
「だーるーまーさーんーがー」
シャックスが文を読み上げ始める。
今の内にレイはコンパスブラスターを棒術形態に変形させる。
その時であった。
ラショウが一気にシャックスの元へと駆け出したのだ。
「兄者!」
「サクラは補助をしろ!」
サクラに指示を出しながら、ラショウは刀型魔武具である雲丸を抜く。
ラショウはそのままシャックスに突撃した。
「邪魔だ!」
シャックス影からブギーマンの触手が伸び出て、ラショウを攻撃する。
しかしラショウはそれらを容易く雲丸で斬り捨てた。
「斬られぬなど、思い上がるな!」
ブギーマンの反撃を退けて、ラショウはシャックスの真後ろに近づいた。
思わずレイは「やった!」と声を漏らした。
だが刹那、ラショウの身体を黒いスライムの棘が貫いた。
「ラショウ!」
思わず声を上げてしまうレイ。
しかし貫かれた筈のラショウは、煙のように消えてしまった。
どうやらサクラが作った偽物だったようだ。
では本物はどこにいるのだろうか。
ブギーマンの触手も混乱している。
「こーろーんー」
シャックスが文を読み終える、その直前であった。
先程まで感じ取れなかった気配が、突然シャックスの近くに現れる。
「……」
本物のラショウだ。
ニンジャ特有の気配遮断を用いて、機を伺っていたのだ。
居合の構えで、ラショウはシャックスに狙いを定めている。
「だっ!」
読み終え、振り返るシャックス。
同時にラショウが駆け出し、雲丸を抜刀した。
「ハァ!」
――斬ッ!――
肉眼で捉える事すら難しい速度で、ラショウはシャックスの右腕を斬り落とした。
絵本を持っていた右腕が上に飛ぶ。
ラショウはその場で飛び上がり、右腕ごと絵本をサクラの方へと蹴り飛ばした。
「サクラ!」
ラショウの声に応じて、サクラは絵本を拾い上げる。
これで絵本はこちらのものだ。
「よしっ! 絵本を奪えばどうにでもなる」
そう言ってレイも安心する。
しかし絵本を奪われた筈のシャックスは慌てる様子すら見せなかった。
「はぁ……酷いお兄様だわ。レディの腕を斬り落とすだなんて」
「ほざけ。血の一滴も垂れてないではないか」
「ごめんなさいね。そんな汚いもの、私の身体には流れてないの」
「だがこれで絵本はこちらの手に渡った。大人しく討たれるんだな」
ラショウは雲丸を構えてそう言うが、シャックスは落ち着いたものであった。
その落ち着きが、レイに強い不安を抱かせる。
「(なんでだ……閉じ込めるための絵本は奪ったのに、この落ち着き……)」
レイの心が何か引っかかりを感じる。
何か見落としているのではないか。
まだ何かがあるのではないか。
レイは視線だけをサクラに向ける。
現在サクラが手に持っている大きな絵本。そのページの隙間から黒いスライムが見え隠れしていた。
「ッ!? サクラ、絵本から離れろ!」
レイが叫び声を上げるも、サクラはその意味がすぐに理解できなかった。
「私を斬ってしまう悪いお兄様には……特別な罰ゲームよ」
絵本が強制的に開く。
その中からブギーマンが飛び出て、サクラに狙いを定めた。
「不味い!」
レイはルール違反を承知で動こうとする。
しかしそれよりも早く、ラショウが動いた。
「サクラァ!」
凄まじいスピードで駆け寄り、ラショウはサクラから絵本を奪った。
同時にサクラを蹴り、ラショウは自分達から離す。
絵本から飛び出ていたブギーマンは、ラショウの身体を飲み込み始めた。
「ぐっ! このっ!」
「兄者……兄者ぁぁぁ!」
ブギーマンの拘束から逃れようとするが、どう足掻いてもラショウは逃れられない。
魔法契約のせいで上手く力が出ないのだ。
「あらあら、お兄様ったら……そんなに絵本になりたかったのね」
「兄者! 兄者!」
「無駄よ。アナタのお兄様はゲームに負けた。魔法契約の元、素敵な絵本になってもらうわ」
必死に踏ん張るラショウ。
しかし徐々に絵本へと取り込まれていく。
「サクラ……逃げ」
手を伸ばして、妹に逃げるように言うラショウ。
しかしその言葉は全て口にされなかった。
「兄者ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
先程蹴られた衝撃で、地面にへたり込んでいるサクラ。
悲痛な叫びを上げるが、それを嘲笑うかのようにブギーマンはラショウを絵本に取り込んだ。
開いたまま地面に落ちる絵本。
白紙だったページには、ラショウらしき絵が浮かび上がった。
「あ……あぁ……」
サクラはただただ絶望に打ちひしがれていた。
尊敬する兄も姉も目の前で絵本にされた。
悪魔と戦った経験があるとはいえ、サクラの心折るには十分な惨劇であった。
「ふぅ……少し驚いたけれど、ページが増えたからいいのだわ」
歩み寄ってきたシャックスが、左手で絵本を拾い上げる。
そして切断された右腕の断面から、黒いスライムの触手が伸び出る。
触手は落ちていた右腕と接着すると、シャックスの身体に戻した。
「うん、ちゃんと元に戻ったのだわ」
接着した右腕を軽く動かして、シャックスは満足気な声を出す。
そして大きな一つ目で、サクラを見つめる。
「絵本を奪えば、絵本の人達を助けられると思ったのかしら?」
「……えっ?」
呆然とするサクラに、シャックスは嬉々として伝える。
「残念だけど、アナタ達にはどうすることもできないわ。だって……私がブギーマンに命じない限り、絵本の中身は出せないんだもの」
「そんな……」
全て無駄であった。その事実を突きつけられて、サクラの頭は真っ白になる。
そこにシャックスは追い討ちをかけた。
「それと……アナタもさっき動いたわね」
「え……あ……」
「お兄様に蹴られたからとはいえ、罰ゲームよ」
シャックスは絵本を開いてサクラに向ける。
サクラはその場で恐怖のあまり固まっていた。
レイ達は今すぐ助けに行こうとするが、今迂闊に動けば本当に全滅するかもしれない。
「サクラちゃん! 逃げるっス!」
ライラは必死に声を張り上げるが、サクラは動けない。
完全に折れていた。
何も抵抗できないサクラは、ただ絵本のページから出ようとするブギーマンを見つめてしまう。
「……あら?」
その時であった。
シャックスはふと、どこからか懐中時計を取り出した。
時間を確認するや、シャックスは絵本を閉じてしまった。
「いけないわ。もうお茶の時間じゃない」
そう言うとシャックス踵を返し、変身を解除した。
元の少女の姿になるシャックス。
彼女は絵本を抱えながら、広場を去ろうとする。
「あらそうだわ」
だがすぐにレイ達の方へと振り返った。
「今日の遊びはここまでよ。遊んでくれてありがとう、お兄様達」
心からの笑顔を浮かべて、シャックスは感謝の言葉を告げる。
しかしレイには底なしの嫌味にしか聞こえなかった。
「逃すと思うかよ!」
「もう、遊びはここまでって言ったでしょう」
仕方ないといった様子で、シャックスはダークドライバーを取り出す。
そして小さな黒炎を連射して、広場の地面で爆発させた。
「うわッ!?」
一瞬隙ができれば十分。
シャックスは空間に裂け目を作って、その中に入った。
「それじゃあお兄様達、ごきげんよう。また遊びましょうね」
そしてシャックスの姿は噴水広場から消えた。
残されたのはレイ、アリス、ライラ、サクラ。
他の仲間達は全員、絵本に囚われる事になってしまった。
気づけば結界も消えている。外から人がちらほらとやって来た。
「……クソっ!」
レイは強い苛立ちに頭を痛めながら、変身を解除する。
アリスとライラも変身を解除した。
そしてライラはサクラの元へと駆け寄る。
「サクラちゃん、大丈夫っスか!」
ひとまずサクラのグリモリーダーから獣魂栞を抜き取るライラ。
変身解除されたサクラは、無表情であった。
だがライラの姿を確認した瞬間、感情が決壊した。
「兄者……姉者……」
ライラの胸に顔を埋めて泣き始めるサクラ。
そんな彼女を抱きしめて、ライラは優しく背中をさすった。
サクラの契約魔獣であるカイリも、隣で悲しげな鳴き声を上げている。
「レイ、どうする?」
「わかんね……だけどどうにかしなきゃいけない」
サクラの泣き声を耳にしながら、レイは眉間に皺を寄せる。
何としてでも仲間達を取り戻さなければいけない。
そのためにも、今は体制を立て直そう。
サクラが落ち着くのを待って、レイ達は広場を去るのであった。