Page100:誰のための夢か
サン=テグジュペリの屋敷では、伯爵が騒動の指揮に追われていた。
「変身できる者を早急に集めよ。女子供は領地の外へ避難させるのだ」
伯爵の指示に従って動く従者達。
長男のクラウスと次男のルーカスもその手伝いをしている。
マリーはその光景を静かに見つめていた。
「マリー、ここに居たのね」
「お母様」
「グスタフが馬車を用意してくれたわ。先に逃げましょう」
逃げる。母ユリアーナの言葉が、マリーの心臓に鋭く突き刺さる。
本当にここで逃げて良いのか。
きっと普通に考えれば、ここで逃げる事が正しい選択なのだろう。
だがマリーの脳裏には、どうしても離れないものがある。
先程戦いに赴いたオリーブ。そして盗賊を退治しに行ったフレイア達だ。
「マリー、どうかしたの?」
心配そうに見つめてくるユリアーナ。
マリーは母と共に逃げるという選択肢を躊躇っていた。
仲間が戦っている。
大切な友が領民を守ろうとしている。
それなのに自分はどうなのだ。
マリーは自問自答する。
「お母様……わたくしは」
ゲーティアに対する恐怖。無力感。死への恐れ。
様々なマイナス感情がマリー襲う。
だがそれでも、マリーの中には折れたくないという意志が芽生えていた。
何かないのか。何か抵抗の策はないのか。
マリーは思考を巡らせ続ける。
ユリアーナは、そんなマリーの気持ちを察したようであった。
「マリー」
ユリアーナはマリーの手を握る。
「貴女の夢は、今もそこにあるの?」
「わたくしの、夢……」
マリーの夢。
民を守る存在になる事。強い操獣者になる事。
今もその気持ちに偽りはない。
しかし、動く事に躊躇いがある。
恐怖がある、ローレライのダメージもある。
今自分が戦いに赴いても、仲間の足を引っ張るだけなのではないか。マリーの中に、そういった感情が湧き出てくる。
「わたくしの夢は、今もこの胸にあります……ですがわたくしは」
「怖い事からは逃げても良いわ。だけど自分の夢に背を向けてしまうくらいなら、思い切って戦ってみても良いのではないかしら?」
「お母様……」
「わたくしはマリーの意思を尊重するわ。そして、マリーの夢を信じる。だってお母さんですもの」
母の言葉が、マリーの心に優しく染み渡る。
恐怖が和らいでいくのを、マリーは感じ取った。
仲間が戦っている。彼らの元に行きたい。
自分の夢に、背を向けたくない。
マリーの中で、強固な意思が構築されていった。
『ピィー!』
「ローレライ。一緒に戦ってくれるのですか?」
『ピィピィ!』
「ですが貴女の傷はまだ」
『ピィー! ピィー!』
白い獣魂栞から、ローレライが声を上げる。
その気持ちは、契約をしていないユリアーナにも伝わったようだ。
「ウフフ。ローレライもマリーのために頑張りたいのね」
『ピィ!』
「ローレライ……本当によろしいのですか?」
マリーの問いかけに「任せて」と言うように、返事をするローレライ。
ならば後は、パートナーを信じるのみ。
マリーの目には、強い決意が灯っていた。
「マリー、ユリアーナ。早く馬車に乗って逃げろ」
「領地の事は僕とルーカス、それに父上に任せてくれ」
マリーとユリアーナの背を押すように言う、伯爵とクラウス。
しかし、マリーは動かない。
「何をしているマリー。ここは危険だ。お前も早く馬車に」
「お父様、わたくしは逃げません」
「何を言っているマリー!」
声を荒らげる伯爵。しかしマリーは動じない。
「お母様は先に逃げてください。わたくしは、仲間と共に戦います」
「何を馬鹿な事を言い出すんだマリー! お前にもしもの事があれば」
「クラウスお兄様。わたくしも一人の貴族です。だからこそ、今戦わなければならないのです」
強い意志を瞳に宿し、マリーは言い返す。
今までにないマリーの強固な様子に、クラウスは心底驚いていた。
「マリー、お前は貴族の娘なのだ。ならばその役目は」
「嫁に行って、政の道具になるだけが、わたくしの役目ではありませんわ。お父様」
「では他に何があると言うのだ!」
強い口調で問いただす伯爵。
マリーは静かに、腰に下げていたグリモリーダーを手に取った。
「領民を守ること。そのために戦うこと。それは他の誰かに押し付けるものではなく、わたくし達貴族がするべきことですわ!」
マリーの決意、そして勇気を目の当たりにして、ルーカスは彼女の成長を感じ取った。
しかし伯爵は折れない。
「貴族の娘が戦いに赴く必要などない! お前は大人しく避難すれば良いのだ!」
「お父様。わたくしには戦う力があります。そして今、このサン=テグジュペリ領でわたくしの仲間が戦っているのです!」
「荒事は私やその仲間に任せれば良いのだ!」
「できません。ここで逃げることは、わたくしの貴族としてのプライド、そしてマリー=アンジュという個人の夢に反する行為です!」
大切な夢、大切な仲間、大切な民。
全てを守るという意思が、マリーの心を強くする。
「お父様、クラウスお兄様……わたくしは操獣者です」
「違う! お前は貴族の娘だ!」
「そうだマリー。まずはお前自身の安全を」
「貴族である前に戦士です! わたくしは、チーム:レッドフレアの操獣者。マリー=アンジュですわ!」
声を張り上げて、自分の意志を示すマリー。
その様子に、伯爵とクラウスは彼女の強い決心を感じ取った。
「わたくしの目に見える範囲は、誰であろうと守ってみせます。それが、わたくしの夢ですから!」
もう迷いはない。
マリーの心には、一切の曇りがなかった。
「民のため、わたくし自身のため……この夢と信念、折ることなどできませんわ!」
「マリー、何故お前は……」
何故分かってくれないのか、伯爵は頭を抱える。
それはクラウスも同じであった。
しかし、二人に追撃するように、ユリアーナがマリーを援護する。
「あなた、クラウス。マリーを信じてみては良いのではないですか?」
「母上、何を言っているのですか!?」
「クラウス。マリーももう立派に成長したのです。自分の道は自分で決める。そういう年頃になったのですよ」
「しかしユリアーナ。マリーは」
「貴族の娘である前に、わたくし達の家族です。無事を祈り、その道と夢を応援するのも家族の役割ではないのですか?」
有無を言わさぬ笑顔で、ユリアーナは語る。
伯爵とクラウスは、上手く言い返せない状態になっていた。
ユリアーナはマリーに向き合う。
「マリー」
「お母様……」
「必ず生きて帰ってくるのよ。それだけは約束して」
「はい、必ず生きて、勝利してきますわ」
母と約束を交わし、小さな笑みを浮かべるマリー。
その直後だった。執事のグスタフが、ホルダーに入った二挺の銃型魔武具と、一本の大鎚を持ってきたのだ。
「マリーお嬢様、こちらを」
「クーゲルとシュライバー。それにオリーブさんの魔武具」
「お部屋から持ってまいりました。オリーブ様がお忘れになった物もございます」
グスタフから魔武具を受け取るマリー。
それを見た伯爵は大層驚いた。
「グスタフ、何をしているのだ!」
「父上、僕が持ってくるように命じたんだ」
「ルーカス。何故だっ!?」
「僕はマリーの夢を尊重する。大切な妹の意思を、踏み躙りたくないからね」
ルーカスはマリーの前に歩み寄ると、彼女の頭を軽く撫でた。
「大きくなったね、マリー」
「ルーカスお兄様」
「必ず無事に戻ってくるんだよ」
「はい。約束しますわ」
そしてルーカスは伯爵とクラウスの方へ振り返る。
「父上、クラウス兄さん。もしまだマリーの道を邪魔するというのならば、僕が二人の相手をするよ」
「ルーカス!」
「クラウス兄さん、いい加減認めたらどうなんだ。もうマリーは、あの頃の小さな存在じゃないんだよ」
「しかしだなルーカス!」
「やめろクラウス」
「父上!?」
伯爵はクラウスを制止し、マリーの元へと歩み寄る。
「マリー、一つ聞かせてくれ。お前のその夢は、誰のための夢なのだ?」
「守るべき民のため。そして、わたくし自身の誇りのためですわ」
数秒の沈黙が場を支配する。
その後、伯爵は小さく「そうか」と呟いた。
「必ず生きて帰れるのか?」
「ご安心ください。わたくしには頼もしい仲間がいますわ」
「信頼できるのか?」
「絶対的に、ですわ」
仲間を信頼しているからこそ、マリーは堂々と伯爵に対して答えた。
「マリー、忘れるな。お前は貴族の娘であることを」
そして……と伯爵は続ける。
「お前は私の、大切な娘なのだ」
「お父様」
「生きろ。これは家長としての命令だ」
「はい。その命令、確かに受け取りましたわ」
意思は通じた。もうマリーを縛るものは何もない。
マリーは二挺の銃が入ったホルダーを装備して、動きにくいドレスのスカートを破った。
「それでは……行ってまいります」
屋敷の扉が開く。
マリーは家族に見送られながら、仲間の元へと駆け出した。