二話
少し、昔話をする必要がある。
今から何百年も昔、魔女と教会がガチガチのガチでやりあってたころ――教会が本気で魔女を滅ぼそうとしていたころの話だ。
一部の魔女は、自分は魔女ではなく、聖女だと名乗るようになっていた。
神の奇跡を起こす、教会に従順な、力ない民の救い手だと。
まあただの詭弁だ。ぶっちゃけて言えば、魔女が教会側に寝返って「聖女です」と言ってただけにすぎない。
中には全く魔術の知識がなくても、魔術っぽい“奇跡”を起こしてた本物の聖女もいるらしいが、そんなのはごく一部だ。
まあ、ここまではいい。
その聖女って存在が教会や民に受け入れられると、当然悪い魔女もそれをまねするようになる。
すると、どうなる?
聖女を騙る魔女が、教会の権威をかさに、民をしいたげるようになる。
民は教会に直訴した。
「魔女が聖女を語ってるんだ、あいつを火あぶりにしてくれ」
それで困った教会は、民から報告があった聖女を調べて、魔女かどうかの裁定を下すことにした。
その結果起こった惨劇がある。
裁定を下すべく向かった神父と、教会に直訴した民達が、まとめて魔女に殺されちまったわけだ。
当然、教会は激怒した。
そしてすべての聖女を、最初から魔女であると疑うことにした。
その結果作られた集団がある。
<女神の浄火>
聖女を名乗る女の元に出向いて行って、そいつが魔女か聖女かを判断し、聖女なら教会に報告し、魔女ならその場でたたき殺すっていう、教会直属の戦闘集団だ。
<女神の浄火>の人間は裁定官と呼ばれ、どいつもこいつも“単機で魔女を狩る”訓練を施されてる。
魔女を、単機で狩る。
言葉にするのは簡単だが、尋常じゃない。
当然命懸けだし、懸けた命は九割がた落とすことになる。
数百年前に作られたその組織は、現代にいたるまで脈々と、人間離れした戦闘力を持つ裁定官を生み出し続けてきたわけだが――。
最近、魔女と教会が和平を結ぶことになった関係で、<女神の浄火>は解体された。
だが――解体されたからと言って、そこに所属してた連中が、急に煙のように消えるかっつったら、当然そんなことはないわけで――。
ここまで言えばわかるだろう?
俺が今、まったく状況が飲み込めていない変態店主を背後にかばって、全身の毛を逆立てている理由がよ。
「お、落ち着け神父! 誤解だ! お前は大きな誤解をしてる!」
「――誤解? そうですか。では釈明を聞きましょう。ですがその前に――」
ベキリ、と鈍い音がした。
神父が手にした木の杖をへし折ったのだ。その先端は鋭くとがり、神父の手にしっかりと握られている。
にっこりとほほ笑んで、次の瞬間、神父は地を蹴った。
「まず死ね」
「お前その性格なおってねぇんだなぁ! 最近穏やかにしてる感じだったが、基本的にそういう性格なんだなぁああぁ!」
俺は抱えていたリーリをいったん下し、正面から突っ込んできた神父の腕をつかんだ。
神父の戦法は基本、捨て身だ。
つまり腕を掴んだくらいじゃ、こいつは自分の腕をへし折ってでも追撃してくる。
なので――。
「そぉら一本!」
俺は神父が飛び込んできた勢いを殺さず受け流す形で、神父の体を背中から地面にたたきつけた。
だが、このくらいで神父が止まらないことも知っている。
俺はいったん下したリーリを即座に拾い上げ、立ち上がろうとする神父の腕の中に叩き込んだ。
「チビ! 説明!」
「はい! リーリがわるいです! リーリが! わるい! です!」
さきほどまで悲鳴を上げてジタバタしていたリーリが、今やキリリとして神父の抑止のため、全身全霊を込めて自分の非を主張していた。
神父は一瞬動きを止めると、死ぬほど嫌そうな顔をしてリーリを自分から引きはがし、ぽいと捨ててだらだらと立ち上がった。
「――で?」
神父が短く聞く。釈明の時間だ。
俺が早口で状況を説明している間、神父は自分がたたき折った杖の片割れを拾い上げ、両手に凶器という状況を作り上げている。
取り上げるべきだろうか?
いや穏やかにいこう。俺は神父と違って平和主義なんだ。
「つーわけで、少なくともチビが人気のない倉庫で変態に襲われたって状況じゃねぇことだけは保証する。殺していい状況ではねぇのは間違いない」
「なるほど? つまり、こういうことですか。リーリが自分の存在を秘匿したいがために剥製のふりをし、そのあまりのできの良さに感心した商人が、つい執拗に衣服の中までも検分してしまっただけであり、そこは神を冒涜する非道徳的な企みも村の風紀を乱す低俗下劣ないかがわしい思惑もまるで一切ほんの僅かも存在しないと――」
「そう、あなたたちは主張なさるわけですね?」
神父からの圧がすごい。
笑顔と言葉の圧力にほとんど質量を感じるほどで、俺と商人は、その圧力に押される形でじりじりとのけぞった。
「つーか、なんで鍵のかかった倉庫の中にチビが隠れてたのか、こっちのほうが聞きたいくらいなんだが……誰かに閉じ込められたとかじゃねえよな?」
「リーリ?」
神父に聞かれて、リーリはびくりと飛び上がる。
あのね、そのね、だからね、とひとしきりもじもじし、なぜかちらちらと変態店主のほうを見る。
「あの……新しい服、いいなぁって……思って……見てて……見てたらなんか、悲しくて、それで……教会に帰るのもなんかやで、あの、倉庫の裏に……リーリが通れるくらいの穴があって……」
「はっはーん! 道理で薄汚れた剥製だと思ったぜ!」
「馬鹿、黙ってろ……! 殺されるぞ!」
俺は商人を小突いて黙らせる。
ちなみに、怒らせると怖いのは神父だけじゃない。リーリも十分恐ろしい存在だ。というか、リーリのほうが怖い。下手をすると俺はリーリに勝てない可能性すらある。
俺が冷や汗をながすと同時に、神父が深く、深く溜息を吐いた。
「リーリ。服なら十分持っているはずでしょう? 私なんて毎日神官服です」
「あの……ごめんなさい……」
「謝罪が欲しいのではありません」
「あう……」
リーリはますます小さくなって、そのまま縮んで普通のネズミの大きさになっちまいそうな勢いだ。
そんな神父とリーリを交互に見て、恐れを知らぬ商人が、神父より数倍わざとらしいため息を吐いて沈黙を打ち破った。
「あぁあぁーーあぁーーわかってねぇ! わかってねぇなあ! わかってねぇ! 持ってても欲しいんだよぉ、新しいのがよ! なんなら、別に新しいのが欲しいわけじゃなくても買い物はしたいんだ。買わなくたって、見てるだけで楽しいもんだろ? いろんな商品ってのはよぉ! なあ毛玉!」
「俺にふるなよ。わかんねぇよ」
「なあネズミのお嬢ちゃん!」
「え、あの……その……し、知るかバーカ!」
「なぁ神父様!!」
「……まあ、わからないではないですが」
わかるのかよ神父。
っつーかこの流れで、よく自分だけわかるなんて答えられたもんだな。
「買い物がしたいなら、すりゃあいいんだお嬢ちゃん。大歓迎だぜ、俺の店は!」
「あの、でも……リーリ、お金持ってないし……リーリの服、普通の服と形が違うから、売れないし……」
リーリは小さな両手を握り合わせてうつむいた。
今リーリが着てる服は、遠くに住んでいる母親が縫ったものだったり、その母親の雇い主がリーリのために作らせたりしたものだ。
これ以上大きくならないリーリの体にぴたりと合うように作られていて、人間の子供ではあちこち大きさが合わなくて絶対に着られない。
「なぁに、古着ってのぁそのまま売るだけとは限らねぇ。布がよけりゃ、ばらして端切れとしても売れるんだ。リボンだって十分な売り物になるぜ? 服にレースが使われてりゃあ、レースだけでも欲しがるやつはいるからなあ」
「そ、そうなの……? でも……あの……でも……」
リーリはぎゅっとスカートを握りしめた。
「大事な服だから……やっぱり、売らない……」
ぽつりと言って、リーリはたっと駆け出した。
あっという間に森の木々に紛れてしまったリーリの後姿を見送って、残された男三人組はなんとも言えない表情でお互い顔を見合わせた。
「何とかしてやれよ、神父……」
「言われなくても、今考えてますよ。でもあれは、私が小遣いを渡したからと言って解決する話でもないでしょう……あの子は大人として扱われたがる」
「じゃ、雑用の報酬ってことにしちゃどうだ?」
「この騒ぎがあった直後に? 憐れみを感じ取るなと言う方が無茶ですね」
「なんだなんだ、なっさけねぇなあ。女に買い物一つさせてやれねぇとか、一体どんな生活してたんだよ、この村の連中はよぉ」
うるせぇ、殺すぞ、という言葉は、今回ばかりは口にのぼらなかった。
俺は十三歳からずっと傭兵として生きてきた。大半の娯楽はあきらめざるを得ない生活だったし、年頃の女がどんな娯楽をどれほど求めているかは想像もつかない。
神父はある程度想像できるようだが――。
「……少し、話をしてみます。そちらの商人はいつまで滞在を?」
「明日の朝、町までこの毛皮を売りに行く気だ。まあ、すぐに戻ってくるけどよ。なにせ、魔女様の作る薬を手に入れるのが、俺の今の一番の目的だからな!」
「魔女の薬……なるほど。本当にこの村で商売をする気なんですね、あなたは」
「あったりめぇよ!」
でっぷりとした腹をさらに突き出して胸をそらし、商人は鼻息荒く断言する。
神父はそんな商人に軽く会釈して、結局突然襲い掛かったことへの謝罪もしないまま、リーリを追ってふらりと森に消えていった。




