表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

第8話 魔王様、御婦人の悩みを解決される

 アンとメアリは困り果てていた。


 アンとメアリは友人である。

 アンは初老の婦人で若い頃から痩せていたが歳を経るにつれますますと肉は落ちていき、また常に澄ましたように背筋を伸ばした姿は見る人に気難しい印象を与えたが顔をよく見てみれば垂れ目がちの表情は温和な性格を物語っているようであった。

 メアリは既婚であるのが信じられないようなうら若い華麗な少女で、クリッと大きな瞳と髪を後ろで束ね、おでこをさらけ出した姿は活発なお転婆娘のイメージを人に与えた。

 見た目でいえば二人は親子のように見える。

 だがヴァリエント伯爵夫人のアンは人族(ヒューマン)で、ラストリアス子爵夫人のメアリは魔族(デモノイド)で二人は共に48歳。同年齢である。


 二人の夫は共に軍に所属しており、そのために領地を離れて王都に移り住んでいたという境遇も似ていたし、アンの夫は騎兵科所属でメアリの夫は魔導士隊付きと夫同士が直接的な関係に無かったことも二人が友情を育む要因の一つになっていた。


 アンは王都に移り住んで30年以上が経っており、2年と少し前に移り住んできたメアリの面倒を見ることから二人の交際は始まった。屋敷の中の事は使用人がやってくれるが、領地から連れてきた使用人たちはメアリと同じく王都に不慣れであったのだ。

 貴族の妻が王都に移り住むということは、王都の社交界と密接的に関わることと同義だ。流行りのファッションを着こなして、流行の音楽や文学、歌劇などは一通り押さえておかなければ自分ばかりでなく夫まで笑い者になってしまう。メアリにとって気優しい老いた同年の友人に頼るのは自然であったし、アンもよくそれを受け入れた。

 それにメアリの実の母はメアリを産むときの難産が原因で彼岸へ渡っていた。そのせいか同年齢のハズのアンが母のようにも思えたのだ。


 アンにとっても若い感性に触れることで自分も若返ったような気持ちになれたし、自身の3人の息子たちは成人してからは王都の屋敷には寄り付かなくなっていた。

 別に子育てに失敗したという訳ではない。その証拠に年末年始に領地で顔を揃えた時などは屋敷から笑い声が絶えることがないほどだ。だが、それが逆に離れて暮らす時の淋しさを増していた。

 長男は領地を離れて久しい父のために領地経営に励んでいたし、次男は副都の大学で教鞭を取っていた。末息子の三男も北方の雪獅子騎士団の中隊長になったという。皆、立派になったと思う。それでもアンは娘が一人くらいいても良かったと思わずにはいられない。

 アンにとって友人のメアリと出歩くのは人生の後半に訪れた穏やかな幸福であったのだ。


 二人はいつものようにお伴もつけずに町を出歩く。

 だが、その日は目的があった。それが二人が困り果てた理由だ。


 彼女たちは今度のパーティーで着るドレスを新調しようとグリドー通りを訪れていた。

 昨年末の先代魔王様の崩御より社交界では自粛ムードが続いていたが、この度のパーティーは国家騎士団記念日に軍関係者を集めて日頃の苦労を労うために開かれるもので、魔王様の裁可により例年通りに行われるものだ。

 これはローヴェの軍事国家としての側面を示すものである一方、国民に対し喪が明けたことを示す機会でもあった。

 数ヵ月ぶりに開催されるパーティーとあって二人が気合を入れてドレスを新調しようと思うのは当たり前のことだった。

 そこまではいい。


 だが、この国で一番の高級服飾店が立ち並ぶグリドー通りにおいて新作のドレスはどれも黒一色であった。

 元々は馬具屋だったという店はお得意の革細工をあしらった新作を出していたし、美しいレースを前面に押し出した店もあった。光輝くような光沢のある布地を贅沢に使った店もあれば、ベルベットを用いた落ち着いた装いを提案する店もある。だが、どこもかしこも「黒」、「黒」、「黒」。ショーウィンドーの中はまるで喪服の見本市のようだった。


 それというのも先代の崩御の後、後を継いで即位した魔王様は才色兼備を謳われた華麗な女性で、この国の王族らしく魔族の血が濃い彼女は銀髪(プラチナブロンド)の髪と赤い瞳を持ち、それらに合わせるかのように黒を好んだ。

 若く美しい新魔王の誕生に沸いた国民は彼女のトレードマークでもある「黒」を殊更に好むようになっていた。流行の最先端を自負するグリドー通りの被服職人たちがこの動きに追従するのも無理はない。


 困ったのはアンとメアリの二人である。

 アンは若く可愛らしいメアリには黒ではなく、もっと華やかな明るい色のドレスが似合うと思っていたし、メアリもアンが黒尽くめの恰好をしては辛気臭くなると感じていた。

 つまりお互いに流行の黒(モード・ノワール)を勧められないでいたし、友人の考えていることが分かってしまって自分も黒を選ぶ気が無くなっていたのだ。


 その日は午前中からこっちの店でああでもないこうでもないと言っては次の店に行き、というのを繰り返した挙句に5件目の店でルビオン公爵夫人につかまり、彼女の長話に付き合わされる羽目になってしまっていた。公爵夫人は良い人であるものの話が長いのが玉に瑕で、アンとメアリが店に入ったのは昼頃であったハズが店を出たのは午後3時近くになってしまっていた。

 結局、二人は5件目の店では何も見ないで店を後にした。店員も「なんか疲れた」と言う二人を同情するような目で送ってくれる。


「夫人、服屋さんを見てても埒が明かないし、『武器庫』にでも行きませんか?」

「ええ、そうね。お昼も食べそびれちゃったし、軽く何か食べさせてもらいましょう……」

 貴族の夫人である二人に武器庫というのは不釣り合いな話だが本物の武器庫の話ではない。二人の行きつけの「喫茶 アーセナル」の事だ。

 春とはいえ曇りで薄ら寒いグリドー通りをとぼとぼと二人は歩いていく。




 カラン、コロン、カラン。

 お馴染みのドアに取り付けられたベルの音を聞きながら店内へと入る。店内に他に客はいない。

「いらっしゃいませ~」

 スーちゃんが出迎えてくれる。彼女は先日、ナントカエルフの弓とやらと一緒に里帰りをして、もしかしたらもう王都には戻らないかもしれないと思っていたがいらぬ心配であったようだ。

 店も空いているようだし、と4人用のテーブルへ座るとカナちゃんがユノミ・カップで熱いホージ茶を持ってきてくれる。熱いが飲むのに苦労しない丁度良さ。寒い日には最高にありがたい。


「私は今日は紅茶にしようかしらね。貴方は?」

「私もですね。ミルクと砂糖で甘くして飲みたい気分です……」

「そうよねぇ……。ねえ、食事はどうする? 中途半端な時間になっちゃったし、サンドイッチを二人で分けない?」

「あっ、いいですねえ。そうしましょう!」

 注文をカナちゃんに伝えると店の奥から店主の少年、アズマ卿が出てくる。


 カウンターの下の冷蔵庫から茶葉の入ったポッドを2つ取り出し、ガラス製のサーバーに2種類の茶葉を入れる。なんでもストレートティーとミルクティーにレモンティーとそれぞれ産地の違う茶葉をブレンドしているらしい。

 なんでも店主の出身のチキュー地方のニホンという国では紅茶は単一産地の物が人気だそうだが、紅茶に馴染みのないローヴェ人のために飲み方に合わせたブレンドをしているそうな。


 茶葉を入れたサーバーにお湯を注ぎ、カップにもお湯を入れて温めておく。コーヒーを淹れるときのようにかかりきりではない。抽出はゆったりと時間任だ。壁際の席のアンには茶葉がサーバーの中で踊る様子も良く見える。以前に店主に聞いたところ、陶器のサーバーの方が保温性の点では優位であるそうだが、客に茶葉がジャンピングする様子も楽しんで欲しいとガラス製の透明なサーバーを使っているそうだ。


 十分に色が付いた所で、カップを温めていた湯を捨て紅茶を注ぎ込む。サーバーの注ぎ口にメッシュが付いているのでカップに茶葉が入ることはない。

 紅茶のカップが2つ乗ったトレーをスーちゃんが受け取ったところで、タイミング良く厨房からカナさんがサンドイッチを乗せたトレーを持って出てくる。

 二人のテーブルに並べられる紅茶とミルクのミニポッド、サンドイッチ。砂糖はテーブルに備え付けの物を使う。


 今日のサンドイッチはツナサンド、タマゴサンド、レタスとトマトのサンドの盛り合わせだった。日により照り焼きチキンサンドやポテトサラダサンドが入ったりもするし、タマゴサンドも今日はマッシュしたゆで卵をマヨネーズなるソースで和えたものだが、薄焼きタマゴにオーロラソースが添えられたものだったりと日によって違う。

 更に言えば客の好みにも合わせてくれるようで、二人の大好きな刻みタマネギの辛味の効いたツナサンドは必ず入っている。


 二人は合わせたように紅茶へたっぷりのミルクとティースプーンに山盛りの砂糖を入れ良くかき混ぜて一口。それからサンドイッチを1切れ取って食べてみる。

「…………」

「…………」

 サンドイッチの切り方も客によって変えているようで二人に出されたサンドイッチは2口程度で食べきれるような大きさのサンドイッチだ。

 だが二人は2個目のサンドイッチに中々、手が伸びない。

 それも例の悩み事のせいだ。

 紅茶ばかりが2口、3口と進んでいく。


「何かお悩み事でも?」

 二人の様子があまりにも普段からかけ離れていたのか店主が声をかける。

「実は……」

 ………………

 …………

 ……

 店主の今日の経緯を説明する。カナちゃんもスーちゃんも興味深げだった。

「そう言えば、この辺りの服屋さんの店先は黒いドレスばかり並べられてましたね」

「先代魔王様が亡くなって半年も経ってないから喪中ムードなのかと思ったら、好き好んで黒いのばっか着てたんですねぇ……」

 年頃の娘であるカナちゃんもスーちゃんも流行には気付いていたようだ。

 一人納得がいかず憮然とした表情を浮かべているのは店主だった。

「え? この国の人たち、ファッションリーダーがアレでいいの?」

「マスター。前に鑑定スキルで魔王様の称号に『黒の魔王』って付いてるって言ったの自分じゃないですか!?」

「あ~、そうだっけな……」

 鑑定スキルで表示されるということは「世界の理」に認められるほどのということで、「黒の魔王」の称号は「黒を着こなすファッションリーダー」ということだった。


 ガランカランコロン!

 噂をすれば何とやら。勢いよくドアを開けて現れたのは魔王様だった。

「マスター! カップヤキソバ大盛! 目玉焼きも付けて! 後、こないだのハッポー酒も頂戴!」

「……こんな時間にそんなに食うと晩メシ食えなくなるぞ!」

「いいのよぉ、今朝は二日酔いで朝は抜いたし、昼は忙しくて食べれなかったんだから。それに夜も外国のお客さんの相手しなきゃならないし味わって食事をしてる暇もないわぁ」

「え、これから外国の賓客の相手するのに今から酒飲むの? ……まぁ、いいけどさ。相変わらずお前一人来るだけで店の雰囲気が台無しなんだよなぁ……」

 魔王様の好むカップヤキソバという料理はマスターの手はいらないのかカナちゃんとスーちゃんだけが厨房へ入っていく。


「陛下もご機嫌麗しゅう」

「あらぁ、貴女たちは相変わらず仲が良いわねぇ!」

「今日は二人でドレスを見に行ってたんだってさ」

「ホント、仲が良くてうらやましいわあ」

 嫌味のない笑顔を魔王様は向けるが、アンもメアリも反応は鈍い。

「はあ……」

「そう言えば貴女たちの旦那さんは軍人だったわね。それじゃドレスって今度の記念日のパーティーの?」

「はい……」

「だったら皆で揃って黒一色みたいなお葬式状態は止めて欲しいわよねぇ~。最初の御前会議で皆して黒いの着てるのを見た時は、私って歓迎されてないのかな~って思ったわよぉ!」

「実はその話をしてたんだよなあ~」

「え?」

 ………………

 …………

 ……


「なるほどね~」

 事情を説明すると深く溜め息をつく魔王様。だが、どことなく自慢げでもある。自身が流行の原因ともしれば当然だろう。

 その様子を見た店主が「コイツは役に立たないな……」と思いアンとメアリに話を振る。


「同調圧力って言うのかな? 女の人の世界ってそういうの厳しいんですか?」

「そうですねぇ……極一部ですけどあると思います」

「ただ極一部と言っても、影響力の強い人の中にもその極一部の人がいるのが問題ですねぇ」

「それで夫の仕事にも差し障りがあるかと思うと……」

「あ~、それで嫌でも無難なトコに収めておこうと?」

「マスター! ハッポー酒! ハッポー酒!」

「……いや、この後も公務があるんだから空きっ腹に酒を流し込むのは止めといたほうがいいと思うけど。そうでしょ!?」

 マスターがお付きの近衛騎士に問いかけると、肯定の意味であろう会釈で返される。


「お待たせしました」

 カナちゃんがトレーに乗せたカップヤキソバを魔王様の元へ持ってくる。

「はい! 待ってましたぁ。おっと、目玉焼きも良い半熟具合ねぇ! マスター! 一味を頂戴!」

 スーちゃんが持ってきたイチミなる調味料をバッ、バッ! と2、3度振りかけ、2本の棒を片手で器用に操って玉子の黄身を潰してメンに絡め……

 ズゾォ!!

 ズゾゾ!

 ……ゴホッ! ゴホッ!

 ズゾゾォ!

 途中、咽ながらも盛大に音を立ててカップヤキソバを啜っていく。


「あっ! マスター! ハッポー酒!」

「……フゥ……」

 もはや諦めの境地でアイテムボックスから銀色の缶を取り出し、開封して中身をグラスに注いでいく。ここで冷やしたグラスを用意しないことがマスターの最後の抵抗らしい。もっとも、この国では冷やしたグラスに酒を注ぐという習慣が無いので無意味な事であったが。


 カナちゃんがハッポー酒の入ったグラスを魔王様の元に運んでから、店主はアンとメアリに話しかける。

「この国の人々は可哀そうだ……」

「と言いますと?」

「魔王様が音を立てて食べ物を啜るのを見たら、貴女たちも明日から音を立てて食事をするのですか?」

「そ、そんなの嫌です!」

「それにほら、アレを……」

 店主が指差す所を見ると、ハッポー酒のグラスを呷った魔王様が恍惚の表情を浮かべていた。ただし口元に白い泡が付いて白髭のようだった。

「あの姿を見て可愛らしいと思う人はいると思いますが、アレを真似して白い付け髭を付けようなんて人

 はいないと思いますよ?」

「そうよねぇ……」


「ねぇ、メアリさん。私はね、貴女には黒よりも2軒目のお店の奥にしまってあった若草色の生地なんか㈡似合うと思うの」

「私も夫人にはそのお店の深い緑のベルベットが素敵だと思います!」

「ふふ、それじゃ緑で揃えてみましょうか?」

「それじゃ二人で手分けして陛下が『皆で黒一色は止めて欲しい』って言ってたって広めてみましょうか?」

「そうですね! 知り合いの数では夫人に負けますが私も頑張ってみます!」

「それじゃサンドイッチを食べたら、もう一度、あのお店に行きましょう」

「はい!」

 それから二人は急いでサンドイッチを口に放り込んでいく、その顔は晴れやかで、食事を楽しんでいるわけでは無かったが、楽しみを前に活力を補給しているようだった。


 食べ終わると食休みもそこそこに会計を済ませ、魔王様に挨拶をして足早に店を後にする。

「それでは陛下。本日はありがたいお言葉をありがとうございます!」

「え? ええ? よきにはからえ?」

 呆気に取られて二人を見送る魔王様。




「どうしたの? あの二人、あんなに急いで……」

「お前、凄いな……。あの二人の悩みを解決してしまって」

「え? そ、そう?」

「まあ、悩みの原因もお前なんだけどな!」

「良く分からないけど、私が影響力のある人間だってのは分かるわぁ」

 箸を止めて胸を張る魔王様。


「……ところで」

「ん? 何?」

「軍の記念日のパーティーって話だったけどさ……」

「ええ、そうよ」

「僕、第0軍の軍団長の任を解かれた覚えは無いんだけどさ」

「うん?」

「僕んとこに招待状もなんも来てないんだけど?」

「…………」

「おい! こっちを向け!」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ