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第6話 ハイエルフの森でアイス

 王都ロヴェルの南東に位置する「神代の森」。

 その名の通り1万年以上昔の「神代」と呼ばれる時代から存在していると言われるその森の中を馬車の一行が進む。

 神代の森はハイエルフの住む森としても知られ、その規模は小規模な国ならまるまる入ってしまうほど広大にして、排他的な慣習を持つハイエルフたちの存在もあり「1度入ったら2度と出ることが出来ない」と言われるほどであった。


 一行は1輌の2頭立ての4輪馬車を中心に護衛の騎乗騎士が前に3騎、後ろに2騎という構成。深い神代の森を進むのにはあまりにも小規模な集団であった。

 馬車に乗っていたのは4名。御者を任されている騎士と箱型の客室の中に3名。


 彼らはハイエルフの里へのローヴェからの使節団である。

 その年の夏に起きた大規模な反乱。隣国である「聖教国家ノーデンス」の支援を受けた反乱軍、また反乱軍の後押しをするために介入してきたノーデンス軍の中に組織的なハイエルフの姿があった。戦においてハイエルフたちは「小隊で1軍に匹敵する」とまで言われた恐怖の的であった。

 元来、ハイエルフは神代の森の外の事には徹底的に不干渉であった。そうであればこそローヴェ国内にありながら半ば独立国家のような扱いを受けてきたのだ。

 この度の使節団の目的はハイエルフたちの真意を問い質すこと、そして彼らをローヴェ魔王へと帰順させることにあった。


 使節団の団長はアズマ将軍。

 大規模反乱の直前に起きた魔王暗殺未遂事件の実行犯である勇者を取り押さえた猛者である。その功績により魔王に召し抱えられたアズマはその後の反乱においても数々の武功を成し、遂には第0軍団長として将軍位を授かるほどになっていた。

 反乱において最後まで組織的な抵抗を続けてきた都市が降伏したのが10日程前、魔王よりその翌日にハイエルフたちの里へ往くよう命じられたアズマ将軍はたった7日で準備を終わらせて神代の森に入っていったのだ。

 これはアズマ将軍が大容量の「アイテムボックス」のスキルを保有していたことが大きい。亜空間の中に物品を収容できる「アイテムボックス」は人によりその容量は様々で、アズマ将軍のように馬の分まで含めた水や食料を3カ月分も収容できる者は前代未聞と言ってもよかった。また亜空間の中では時間経過による劣化もない。そうでなければ馬車1輌と騎馬5頭で神代の森に入ることなどできはしなかっただろう。


 馬車の客室の中にはアズマ将軍の他に2名。

 法務書記官であるアゼレアと法務官助手であるオズワルドである。

 法務官の二人は召し上げられたばかりの元流浪の旅人であるアズマ将軍がローヴェ国内の法に疎いために同行することになったのだ。


 使節団の護衛部隊である近衛騎士のリーダー格は半土妖精人(ハーフドワーフ)であるスターリング。真っ白な髪と髭が特徴的な老齢の騎士でどっしりと構えた安心感のある騎士であった。騎馬には向かぬドワーフの血の濃いハーフドワーフながら幾度も馬上試合大会で優勝したほどの騎兵戦術のエキスパートにして、「馬と会話をしている」と評されるほどの軍馬の専門家であった。

 彼が前人未到の神代の森を進むにおいて旅程の進行をアズマ将軍より任されたのはむしろ必然といえた。


 また護衛騎士の中には第一王位継承権を持つラトニル王女の姿もあった。

 王女は王立大学を卒業後、修行のために近衛騎士団に入団していたのだがメキメキと頭角を現し周りの騎士たちの信任を集めていた。今では彼女を「お客様」扱いする近衛騎士は一人もいない。

 本来であれば第一王位継承権をもつ王族が前人未到の地へ赴くなど正気の沙汰ではない。しかも相手は敵対の意思を示したハイエルフなのだ。だが王女はそれも「ノブレ・ソーブ・リージュ」であると魔王の前で説き、次代の王として何故ハイエルフたちが反乱に加わることを選んだのか自らの目で確かめたいと一行に志願したのであった。




「……おい! 過去を捏造するなよ?」

「あらあ、何のことかしらぁ?」

「喫茶 アーセナル」の店主アズマ卿のツッコミが入る。

 ミリーの簡易職業チェックシートで各人の職業を見た後、魔王様が即位前はメイン職業がロイヤル・ナイトであったという話から魔王様が近衛騎士時代に店主のお伴で神代の森を旅をした時の話になったのだ。

 魔王様の語る神代の森の話に店内の全ての人が注目していた。同卓のミリーやルイスは言うに及ばず、ヴァルさんもカウンターから椅子を動かして話を聞いていたし、隣のテーブルの貴族風の2人の婦人も夫が現役の騎士であると言うし、学者風の老人も神代の森の話に興味があるという事だった。遊び人風の男や商人風の男も同様。

 それほどまでに神代の森や魔王様の近衛騎士時代、またアズマ卿の過去の話に皆が興味があるのだ。


 そんなわけで店内はテーブルをくっつけて魔王様の話を聞きやすいようにめいめいに席を動いていたのだ。テーブルの上には大皿の上に乗ったドーナッツの他に、魔王様が「しょっぱい者が欲しくなった」と言い出したので用意された「ポテトチップス」なるこれも未知の菓子。


 その話で魔王様の話に嘘があると店主がカウンターの中から話に割って入る。

「大体よお『ノブレ・ソーブ・リージュ』って何だよ! 浅学で下賎の出身である私にもご教授いただけませんかねえ!?」 

「ええと、高貴な者がどーとか……」

 魔王様の目が泳ぐ。

 実の所、ミリーには「ノブレ・ソーブ・リージュ」なる言葉が分からなかった。話の腰を折るのが躊躇われて聞けなかっただけで。周りを見渡してみても貴族風のご婦人たちも近衛騎士も、この中で一番、知識がありそうな学者風の老人ですら分かってなさそうだった。


「『ノブレ・ソーブ・リージュ』じゃなくてノブレスオブリージュな。高貴な者(ノーブレス)義務を負う(オブリージュ)だな!」

「そう、それ!」

「で、自分で訳が分かってないことを先代に説いたって? お前が志願した時に先代が反対したから、俺が助け舟を出してやった時に言った言葉じゃねーか! なんでそれがお前が言い出したことになってんの?」

「いやあ~。いい言葉だから貰っちゃおうと思って……」

 魔王様が悪びれもせずに笑顔で言う。


「この分だと『メキメキと頭角を現し』て部分も怪しくない? そこんとこ、どうなのアナさん?」

 店主の問いかけは近衛騎士の女性に向けられていた。

「え? いや、嘘ではないというか……」

「そこは沽券にかかわるから、ハッキリと否定してよねぇ~」

「いや、でも、ついさっき『王になって好き勝手やるために頑張った』って聞いたばかりで……」

「目的はともかく、頑張ってたのは間違ってないじゃない?」

 澄ました顔でマグカップを口元へ運ぶ魔王様。


 だが店主の追撃の手は緩まない。

「でもさ~、これはアナさんも見てたと思うけどさ。森に入って3日目だっけ? 4日目だっけ? 馬の餌を取って食ってるとこをスターリングさんに見つかってブン殴られて吹っ飛んでたじゃん?」

「いやあ~、あの時は死ぬかと思ったわよぉ~!」

「あの~……」

 店主と魔王様の話にミリーが割って入る。


「アナさんも神代の森に入ったメンバーなんですか?」

「ええ、その通りです」

 肯定はアナさん本人からなされた。どことなく控えめながら誇らし気だ。神代の森に入ったのだから当たり前だ。

 ミリーやルイスも子供の頃の御伽噺で聞いた地上の彼岸。それが神代の森だった。

「ついでに言うとスターリングさんは今はこの店の前にいます」

 店主が告げる。


(そう言えば白髭の老齢の騎士がいたっけ。笑顔の優しそうな騎士というよりは孫と遊んでいるのが似合いそうな好々爺に見えたけどな)

 ミリーが魔王様をブン殴ったという騎士について考えていると、ヴァルさんが立ち上がって店の外に出る。すぐに戻るが件の白髭の近衛騎士を連れていた。


「なあ、去年、神代の森で陛下が馬の餌を取って食ってたってマジ?」

「本当じゃよ?」

 一番、気になっていたことをズバリと本人に皆の前で聞いてのけるヴァルさん。

「ちょっ、ちょっと! その言い方じゃ私が干し草ムシャムシャ食べてたみたいじゃない!」

 魔王様が慌てて否定する。さすがにそれは違うのか。

「私が食べたのはリンゴよ! リンゴ!」

「結局は馬の餌じゃろ?」

「お、お願いだからその話はやめて……」

 ミリーにとってリンゴとはそのまま食べる物ではない。香りはいいが酸味が強すぎるのだ。スターリングさんが馬の餌と言うのも頷ける話だ。

 リンゴは砂糖で甘く煮付けてから食べたりパイの具にしたりして食べたりするものなのだ。もしくはジャムなどの加工品にするかアップルワイン、シードル(発泡性アップルワイン)カルヴァドス(ワインの蒸留酒)などのお酒の材料にするかだ。


 周りの皆も同じ考えであるのか奇異の目を魔王様に向ける。

 いたたまれなくなったのか俯いて両手で顔を隠す魔王様。

「……ただのリンゴじゃなかったのよ? 蜜のように甘い香りが強くて、味も香りに負けないほどに甘かったわ……」

「だからと言って馬の餌を取っていいわけないじゃろ? 騎士が騎士として戦えるのは誰のおかげじゃと思っとるんじゃ? 馬がいてこそ騎士じゃろ? そんだけ甘いリンゴなら馬に食わせて日頃の労を労わるのが騎士のやるべきことじゃろ!」

 ドワーフは短足低身で馬に乗れない。ハーフドワーフのスターリングさんは背こそ高いものの足は短い。彼が騎士になり近衛騎士になるまで並々ならぬ苦労があったのだろう。その彼だからこそ馬に対する熱い思いがあった。


「生きては二度と戻れぬと言われた神代の森。その森の中をハイエルフの里を探してたった9人で挑むという前代未聞の大冒険。しかも一行の中には姫騎士もおり、団長は新進の将軍。その将軍より進行を任され、これぞ騎士の本懐と滾っておったところを、その姫騎士が馬桶の中のリンゴを盗み食いしとったのを見てな。つい熱くなってしまったわい!」

 スターリングさんが長い白髭を指で扱きながら目を細める。


「こちらがそのリンゴとなっておりま~す!」

 いつの間にか消えていた店主が店の奥の厨房から皿に乗ったリンゴを持ってくる。

 カウンター越しに受け取ったスーさんがリンゴが乗った2枚の皿を持ってくる。皮を剥かれ切り分けわれたリンゴは一つずつに楊枝が刺されている。

 ミリーも一つ取って口へ入れてみる。強烈な酸味を予想していたが……。

「甘い! これ、凄い甘いです!」

「でしょ~! あれ? ほんのりとしょっぱいけど……」

「でも、その塩味が甘さを引き立ててる気もしますわね」

「そうですわね! これなら人も美味しく頂けますわね婦人!」

「馬も硬くて甘い物が好きじゃからの。相変わらず美味いわい」

「大きさも俺らの知ってるリンゴより大きいみたいだな……」

「それに硬さも食感を損なわない程度に柔らかいようじゃのう……。ワシのような年寄りでもイけるわい」

 めいめいに感想を言っていく。それに対し店主が説明を入れる。

「これは『サンふじ』って品種でこの国のリンゴとは違って、僕の故郷のニホンって国で品種改良された品種でさ。しょっぱいのは塩水に付けて色が悪くならないようにしたんだけど、皆もうドーナッツでお腹が膨れてるかと思ってさ。その心配も無かったみたいだけど」

 店主の心配を余所にリンゴの乗った2枚の皿はあっという間に空になる。

「塩水に漬けるとリンゴの変色が防げる」という事が分かるように、店主の出身国ではリンゴの生食は珍しい事ではないのだろう。


「ねっ! 美味しいリンゴでしょう!? さて、神代の森の話に戻りますか……」

 店主の用意したリンゴは美味しいということを皆から理解を得てすっかり機嫌を直した魔王様が話を続ける。

 もっとも、いくらリンゴが美味でも魔王様が馬の餌を食べたという事実は消えないのだが。




 整備された道があるわけではない神代の森の探索は順調に進んでいた。だが、それは少しずつ前進していったという意味で、速度という面では芳しくなかった。

 巨大な木々の間隔は十分に広く騎馬や馬車の通行を妨げるものではなかった。木の根や真夏の伸びた下草、草に隠れた石などは軍馬や輓馬は物ともしないが中の人は別である。

 そもそも馬車という乗り物は森の中で速度が出せるわけがない。コイルバネや板バネのサスペンションが付いているもののちょっとの段差で馬車は飛び跳ね、客室の中のアザレアやオズワルドを苦しませた。

 アズマ将軍の魔法で馬車の重量をほとんど消しているので馬車は人の小走り程度の速度で進んでいく。だがそれは客室の揺れの軽減には繋がらない。

 アズマ将軍などは馬車に乗っていくことを初日で諦め、魔法でフワフワと飛んでいるほどだ。


 そもそも馬という生き物は意外と厄介なもので、一日に3回の食事の後は2時間ほど休ませないと消化不良を起こすし、馬車を曳く輓馬も一日に1時間は空馬で走らせてやらないとストレスを溜め込んでしまう。

 そうなると真夏の日の長い季節にも関わらず1日に進めるのは8時間程度になる。馬に無理をさせて故障させてしまっても森の中では代わりはいないのだ。その点では馬の専門家であるスターリングが一行にいたのは幸いであった。


 一行の標準的な1日はこうであった。

 朝は5時半頃に起床。騎士たちが馬の様子を見ながら餌を与えている内に2人の法務官が朝食の準備をする。アズマ将軍は必要な物資をアイテムボックスから出し終わった後に上空からの偵察。その後、全員で纏まって朝食を取りながら偵察結果をふまえてミーティングを行う。

 朝食後はゆっくりと旅支度をする。どのみち馬を休ませねばならないので急いだりはしない。各人の水筒の補給や行動食として配られる菓子類もこの時間帯に配られる。この菓子類は団員たちの受けが良く、ラトニルなどは1日分として配られる菓子を午前中に食べきることもしばしばであった。

 最後に馬桶や水桶などを将軍のアイテムボックスに収納してから出発。大体は8時頃であった。


 午前中に休憩を取るがそれは馬のためで騎士たちは馬の健康管理に余念がない。

 昼休みは12時半頃に行われるが休憩に適した場所を見つけられるかでまちまちになる。もちろん昼食も馬たちが優先だ。

 季節は真夏。森の木々で直射日光はある程度遮られているがその代わりに蒸し暑い。滝のように汗が噴き出す状況では団員たちの食欲もあまりないが、アズマ将軍のアイテムボックスから出てくる冷たい「麺類」という料理は大層、人気があった。またアズマ将軍から1日に各自1個支給される「アイスクリーム」なる氷菓をこの時間に食す団員も多い。

 昼食後も馬を休ませなければならないので時間が空く、その時に他にやる事が無ければ騎士たちは交代で昼寝をする。

 一番、暑い時間帯を避け大体、15時近くになってから出発。


 夜は19時頃か遅くとも20時には前進を止める。

 野営の準備をしながら馬車馬たちを走らせて遊ばせ餌の準備をする。敵地といってもいい森の中であったがアズマ将軍の結界の中であれば安全であった。しかもアズマ将軍はそれとは別に虫よけの結界すら張るという念の入れようで都会育ちのアナやアゼレアも安心していた。

 アズマ将軍のアイテムボックスはどれほどの容量があるのか大量の薪も収納しており焚き木にも苦労はしなかった。この時間になると暑さも和らぎ、法務官2人の作る料理も熱くて滋養のあるものが多かった。

 食事を済ませてからは馬車や装具の点検整備をして22時頃には就寝となる。将軍の結界があるとはいえ騎士たちは交代で不寝番をする。


 森に入って7日か8日が経ったころだっただろうか。

 小用を足しに離れていたオズワルドがキャンプに血相を変えて走って帰ってきたのは。

 木の根に躓きそうになりながらも彼が言うには変な物音がするらしい。しかも将軍の張った魔物避けの結界の中らしいと言う。

 キャンプにいたメンバー全員に緊張が走る。

 折しもその時はアズマ将軍は「ぷらぷらしてくる」と言って日課の散歩に出かけており不在であった。


 この度の編成において護衛騎士が6名というのは「一人軍団(アローン・コープス)」と呼ばれる強大な魔導士であるアズマ将軍を頼りにしたもので、深く神代の森に入った今となっては精強を謳われる魔導王国近衛騎士といえども頼りない。

 客室付きの馬車も、複合甲冑に身を纏う騎士も、騎士を乗せて地を駆ける重種の軍馬も目的は王威を示すことに他ならない。

 しかも場所は森の中でも幾らか木々の密度が多いあたりであり、騎馬での戦闘に向かないのは言うまでもない。


 団長かつ最大戦力のアズマ将軍の不在の中、リーダー格のスターリングは騎士6名で物音の正体を探るべく偵察を行うことにした。

 オズワルドの聞いた物音の脅威度が分からなければその場に留まることも結界から離れることも判断できなかったのだ。

 偵察は隠密性を確保するために徒歩で行うことにした。携行する武器はロングソードのみ、スターリングのみがカイトシールドを持つ。これは逃走を図る時にスターリングが殿(しんがり)をするためであった。走って逃げるのに重くて嵩張る竿状兵器(ポールウェポン)も盾も他のメンバーは持たない。


 手早く騎士たちにスターリングが指示して偵察に赴こうとした時、法務官の二人も同行を申し出た。未知の脅威がいるかもしれない夜中の神代の森で二人きりになるのを恐れたのだ。

 逡巡の後、同行を許可するスターリング。法務官の二人は騎士たちの後ろを離れて付いてくることを指示される。もちろん物音の正体が魔物であった場合は一目散に逃げることも忘れない。

 法務官の二人とて護身用のショートソードは持っているが、それが神代の森においてどれほどの意味を持つというのだろう。その日の日中にヒグマのような大きさの肉食ウサギを見たばかりだ。そのウサギは一瞬でアズマ将軍が消し飛ばしたがアレに噛まれれば大怪我で済めば御の字といったところだっただろう。ペット

 のウサギとて噛まれれば血が出ることもあるのだ。


 それにしてもアズマ将軍は何処まで行ったというのだろう? まさか物音の正体にやられたとでも? いや、それはないだろう。アズマ将軍の魔法は一軍を瞬時に壊滅させる強大無比のものであったし、噂ではアレは古代の遺失魔法、それも特に危険な「禁呪」と言われるものであるとも聞いた。だが魔導士が不意打ちで接近戦を挑まれれば弱いというのは定説だ。

 スターリングがアズマ将軍の行方について思いを馳せながら進むと、例の物音とやらが聞こえてきた。


 バチャっ!

 バチャ!

 物音は水音であった。

 はて? まだ明るい頃に見たころには池も小川も無かったハズだったが?

 小川のような水の流れていく音は聞こえない。聞こえるのは魚が水面を飛び跳ねるような音であった。

 白い何かが見えてくる。


 ♪~~♪~♪~~♪~♪~~♪

 さらに進むと陽気な鼻歌が聞こえてくる。それはまるで子供のような……。子供? 怪訝に思いつつも木々に隠れながら進むとそこにいたのは……。


「将軍、何しとるんですかい?」

「え? 風呂だけど?」

 白く見えてきたのはバスタブで、行方不明であったアズマ将軍は呑気に裸で入浴中であった。ご丁寧に頭の上にタオルを乗せてである。


「そりゃ見りゃ分かりますわい!」

「そっか。いやあ~! 君たちの国の人たちはそうでもないみたいだけどね。僕の生まれた国じゃ毎日、入浴する習慣があってさ~! それに綺麗な森の中で星を眺めながら風呂というのも中々に乙なものだよ?」

「……というと夜中に毎日、キャンプから離れていたのは?」

「風呂だけど?」

 他のメンバーは森に入ってから入浴した者はいない。将軍のアイテムボックスのお陰で水は余裕は十分過ぎるほどにあったが精々がお湯で濡らしたタオルで体を拭くぐらいで水浴びが出来そうな大きさの川すら見つけられなかったのだ。そもそもキャンプ生活でバスタブを持ち出して入浴をするという発想すらなかった。




「……なあ、お前。さっき『馬の餌を取って食ってた』ってバラされたからって僕のイメージ悪くしようとしてない?」

「あら? 何のことかしらぁ?」

 魔王様の神代の森冒険談を店主が遮る。神代の森に入った張本人である魔王様が語る話を時にアナさんとスターリングさんが補足していく形式の話はミリーが知っているどんな御伽噺よりも詳細で興味を惹かれるものであった。


「僕がこの国の人たちは風呂に入る習慣が無いって誤解していたことを言ってくれないと、自分だけお湯をジャバジャバ使って風呂に入ってお湯捨てて、部下には風呂に入らせない酷いヤツだと思われちゃうじゃん?」

「あらぁ、事実じゃない? アナ? スターリング? 一週間も水浴びすらできずに蒸し暑い森の中をうろついて、自分と馬の汗に塗れた後で自分だけお風呂につかって鼻歌歌ってた将軍サマを見てどう思ったぁ?」

「呆れ果てたわい!」

「控えめに言って、幻滅しました」

 そりゃそうだろう。ミリーは国外に出たことがないが、ローヴェ人は周辺諸国と比べても風呂好きだと聞いたことがある。なんでまた「ローヴェ人は風呂に入らない」なんて誤解をしたのだろう?


「あの、何でマスターは私たちに入浴の習慣が無いなんて誤解をしたんですか?」

「ん~と、あ! 多分、この国の宿屋ってどこも浴場がないし、一般家庭も風呂が無いって聞いたからだと思うな」

「そりゃあ、アレだよ。皆、公衆浴場に行けば広い風呂に入れるからな。わざわざ自分の家に風呂を作る必要も無いからだろ」

「私のお屋敷にはお風呂はありましてよ?」

「そら伯爵夫人んチはそうでしょうよ……」

「ノーデンス辺りじゃ中流程度の家庭には浴室があるそうじゃよ? もっとも足も伸ばせないような狭いバスタブらしいがの!」

「ニホンの一般家庭もそうだよ。てかローヴェ人は真冬でも公衆浴場に通って湯冷めしないの?」

「んなもん気合だ! 気合!」

「カナさんの実家は?」

「私はノーデンスの孤児院育ちでしたがお風呂はありましたよ」

 皆、風呂の話題になると纏まりもなくガヤガヤと喋りだした。やはり風呂好きを自認するローヴェ人だけに色々と言いたいこともあるのだろう。


「まあ1週間以上もお風呂無しだったのは堪えたけど、誤解に気付いてからは私たちも毎日、お風呂に入れるようになったしマスターの言う通り神代の森で入るお風呂は格別だったわよぉ。それに我が国民の風呂好きは大したものだけどニホン人とやらも中々にやるわよぉ? サイダーにコーラ、コーヒー牛乳にフルーツ牛乳やら風呂上りにピッタリの物が沢山あるんだから」

サイダー(cider)? シードル(cidre)ではなくですか?」

「ああニホンではシードルを模して作られたノンアルコールの炭酸飲料のことをサイダーって言うんだよ」

 ミリーの疑問に店主が答える。

 なおシードルとは炭酸入りのアップルワインを指す。


「それに何より風呂上りのアイスクリームは最高ねぇ!」

 アイスクリームとやらはどれほど絶品なのか、この場に現物が無いというのに魔王様のテンションが上がる。

「へぇ~、それは先ほど日中に食べる人が多いって言ってた氷菓らしいですけど、一体、どういう物なんですか?」

「何て言ったらいいのかしらねぇ? 卵と牛乳とクリームを泡立たせて凍らせたみたいな? 試しに城で作らせてみたんだけど中々、上手くいかないのよねぇ……」

「そりゃ、こっちじゃバニラビーンズが手に入らないからな」

「ナニソレ? 『バニラ』って食材の事なの? 『三平ちゃん』みたいな人の名前だと思ってたわぁ……」

 どの道、氷菓ともなれば庶民のミリーやルイスには縁の無い話ではあった。


「ん? でもさっき、各員に一日に1個支給されるとか言ってましたよね?」

「ええ」

「昼休みの暑い時に食べちゃったら、風呂上りに食べれなくないですか?」

「それが本当に悩みどころだったのよねぇ……いつアイスを食べるのかがねえ……。あの森って夏は曇りの日も滅茶苦茶に蒸し暑くてねぇ……」

「本当ですねえ……」

 魔王様が目を閉じて当時を思い出しながら話すとアナさんも賛同する。


「ワシはアイスは昼に食って、夜はアイピーエーとかいう強いエール酒を飲んだったわい」

「お酒も支給されたんですか?」

「不寝番の当番に当たってなければね」

 本当に「アイテムボックス」のスキルは便利な物だと思う。時間経過が無いということは熱い物は熱いまま、冷たい物は冷たいまま保管できるということなのだ。


「陛下は昼に自分の分のアイスを食べて、風呂上りにアゼレアさんのアイスを分けてもらってるのがバレてマスターに怒られたりもしてましたね……」

「そもそも1日に1個ってのがおかしいと思うわぁ……。それにマスターってあの時、アゼレアにだけ妙に優しくなかったぁ?」

「『アザレア』って名前からすると女性ですよね? 綺麗な人なんですか?」

「綺麗っちゃ綺麗だけど歳がね。魔族人だけど人間換算だと4、50代くらいかしらねぇ?」

「あ~。マスター、見た目まだ子供っぽいし甘えたいお年頃なんじゃ?」

「フフフ……!」

「なるほどぉ~!」

「んなわけないだろ! 大体、アイスが1日に1個ってのはアレだ。お腹冷やして壊さないようにって配慮だよ!」

 なんか店主が妙に焦ってるようにも見える。


「あらぁ~! 僕ちゃん、アゼレアさんにママになって欲しかったんでちゅの~?」

 魔王様が店主を笑顔で赤ちゃん言葉を使ってからかう。さっき自分で店主の事を「アローン・コープス」だの「ヒグマのようなウサギを消し飛ばした」だの言っておいて魔王様には怖いものはないのだろうか。

「ち、違うって! そんなんじゃないし!」

「本当にそうかしらぁ~!」

「……まあ、あの時に他に周りにいた女性はアーパーと堅物の二人だったからな。少しは彼女に甘えた所もあったと思うよ」

「……どっちが堅物で!」

「どっちがアーパーなのよぉ!」

 アナさんと魔王様の息が合う。少なくとも馬の餌を食べてた人はアーパー呼ばわりされてもしょうがないとミリーは思う。


「……ついでに聞くけどぉ、『アイスは1日に1個』なら大丈夫ってのは根拠はあるの?」

「根拠なんかねーよ! 腹冷やし過ぎたら腹壊すのは常識だろーが! ……まあ、しいて言えば我が家じゃそうだったってくらいかな?」

「あ~。マスターの家のハウスルールねぇ。それにしても、また食べたいわぁ塩ちんすこうアイス」

「私はパピヨが好きでしたね」

「アナは日中にパピヨを半分食べて、風呂上りに残りを食べるのが定番のスタイルだったわねぇ。あ、パピヨっていうのはコーヒーとチョコを混ぜた味のアイスでね。一袋に2つ入っているのよ」

 パピヨの現物を見たことも無いその場の面々のために魔王様が説明してくれる。


「ワシはソーダ味のシャクシャクした棒付きのアイスが好きだったわい。ミスターガリガリだったか? ワシは基本、日中の暑い時間にアイスを食っとったからクリームでコッテリしたものよりアッサリした物の方が好みじゃったの」

「熱い時間帯のせいでアイスが溶けて棒からアイスが落っこちちゃった時には絶叫してましたよね」

「そうじゃったのお!」

 懐かしい思い出に目を細め髭を撫でるスターリングさん。


「僕は昼にソーダ味のアイスで風呂上りにパピヨが好きだったなあ……」

「え? マスターは『1日1個の掟』を守らないんですか?」

 店主は世間体とかを気にしているようなのでそれは意外だった。だがアナさんと魔王様から説明が入る。

「いえパピヨはさっき陛下が説明したように1袋に小さいアイスが2つ入った物で……」

「マスターの言うソーダ味のアイスはスターリングの言う物とは違って、棒が2本入ってて真ん中で割れるようになってる物でね。それを昼も夜もアゼレアと分けて食べていたから0.5+0.5で1個って計算ねぇ」

 ……店主は先ほどは否定していたがやはりアゼレアさんには甘かったようだ。


 ふと気づくとスーさんが項垂れていた。

「ウチに降伏勧告しにきた人たちがこんな人たちだったなんて……」


「棒が2本入ってて、真ん中で割れるアイス」って今は生産中止なんでしたっけ?

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