第3話 新米冒険者とカップヤキソバ
遂に姿を現した謎の料理、カップヤキソバ。
その姿はミリーには縺れた糸ミミズを思わせた。
(さて、食べなきゃ不敬か……。どうやって食べたらいいものか……)
カップヤキソバの横に紙のナプキンの上に置かれたフォークを見る。
(ん?)
シルバー製のフォークはミリーに違和感を抱かせる。
「気付いた?」
魔王様が頬杖をついて面白い物を見るような視線を向けてきていた。
「え、ええ。歯が1本多いような……」
「でしょ? マスターの故郷じゃ食事用のフォークは4つ又の物が一般的なんですって」
「それに歯先も尖ってないですよね?」
「そうよねぇ」
そのフォークの歯先は切り落とされたように角ばっており、ミリーが見慣れた針のように尖ったフォークとは大分、印象が異なる。
「いや3つ又、4つ又はともかく、歯先が尖ってたら危ないじゃないか……」
ミリーと魔王の会話に店主が入ってくる。
「君たちは先の尖ったフォークや、刃のついたナイフで食事をするけどね。食卓にそんな物が必要かな? 僕達の世界では食卓に気品が求められるようになった時、真っ先に食器から武器性が排除されてきたんだ」
「なるほど」
食事に気品を求める人たちがこの糸ミミズのような食べ物を作ったのかはさておき、店主の説明は一応は納得できる物である。
ん? 店主は今、僕たちの「国」ではなく「世界」という表現を使ったか? どういう意味だ。
とにかく店主の言う「世界」とかいうことよりも、差し迫った問題は目の前のカップヤキソバと魔王様である。
店主の言う「食卓に気品」という言葉で少しは嫌悪感は薄らいだ。そういう人たちの食べ物ならばそこまで酷い物ではないのではないかという希望的観測によってだ。
手にフォークを持つ。
「おっ! 食べる気になったわね。『いざ行け、冒険者諸君!』」
「ぶふぉっ!? ソレ、ギルドマスターのモノマネですよね?」
「分かる~!」
魔王様は喜んでお付きの近衛騎士やマスターの顔を見やるが、二人はピンときていないようだった。
魔王様のお陰で緊張が紛れた。もっとも緊張の理由はほぼ魔王様なのだが。
「それじゃ、頂きます……」
フォークで糸状の物体を絡めて口元へ運ぶ、よく分からないので白いソースのかかっていないところからいこう。果実の混じったような芳醇でスパイシーな香りが鼻腔を刺激する。うん。こういう食べ物だと思えば悪くない。まずは一口……。
「…………!」
衝撃的だった。調味料といえば塩、ビネガー、ハーブ、砂糖の4つしか知らない自分にはこれが何という味かは分からない。フルーティーでこってりとしていて、甘くてしょっぱくてスパイスが効いている。
そして糸だ。もっちりとしていて柔らかく、噛むのにも飲み込むのにも苦労しない。
美味しい。
間違いなく美味しい。
味わって食べよう思った時には既に飲み込んでしまっていた。
「こんなに美味しい物は初めて食べました! あ、いや、コーヒーとナマチョコレートも美味しかったですけど方向が違うというか……」
「でしょ~!」
「気を使わなくてもいいよ。確かに食事と茶菓ではジャンルが違うからね」
魔王様は満面の笑みを、マスターはホッっとした顔をする。
次は白いソースが掛かったところを。
「……! ……か、辛っ!」
刻みタマネギとは違う辛さだった。
「あ~、この辺じゃ辛子を食べる風習は無いからね~。大丈夫?」
「だ、大丈夫です!」
辛いがコッテリとまろやかで酸味のある味わいだった。それが茶色い糸の味わいを引き立てている。
「不思議よね~。大陸西方じゃ目潰し用の武器として使う植物を食べるなんてね~」
魔王様が近衛騎士に話しかける。
「ゾッっとする話ですね。陛下も貴女も大丈夫なんですか?」
ミリーの知る限り初めて近衛騎士が口を開く。呆れたような声色だったが端麗な容姿に似合った澄んだ声だった。
「こっちじゃ食べないみたいだけど、モリア地方じゃ食べてるよ? 豚肉の付け合わせの定番だったよ」
「へぇ~、意外ですね」
店主の説明から察するに、店主はモリア地方の出身か滞在歴があるということか。
「辛いの駄目だったら無理しなくてもいいわよ? なんなら残りは私が食べるから!」
「おいコラ! 最初からそれが目的か?」
店主がまた毒を吐くが、ミリーには元よりそのつもりはない。初めて出会った美味を逃すつもりはなかったし。魔王様に自分の食べ残しを渡したら、今日中に自分も家族も捕縛されてしまうだろう。
「い、いえ。美味しいので是非、私に食べさせてください」
「あら? そう。なら掻き混ぜて白いソースを麺に絡めたら和らぐわよ? そのままでもパンチがある味で私はそっちが好みだけど」
「メン?」
「ああ、その細長い紐みたいなの。それを麺って言うらしいわよ?」
「へえ? それじゃ試してみますね」
魔王様の指南通りに白くて辛いソースをフォークで散らしてから掻き混ぜてみる。下から麺を持ち上げて全体に行き渡るように。すぐにソースの白は消え、代わりに面の表面に油をまぶしたようなテカりが出る。
そしてまた一口。
美味い。
旨い。
美味すぎる。
辛味も酸味も油っ気もほどよく絡まり、スルスルといくらでも入ってくる。
モニュモニュと優しい食感の麺の表面が油でコーティングされたおかげで口に運ぶフォークが止まらない。
むしろフォークで引っかけて掬いあげることすらもどかしい。魔王様のように2本の棒を上手く使えたら、ガッと麺を掴んで口元へ運べるのだろうか? あるいは魔王様のようにズルズルと音を立てて啜ってみたら、もっと楽しめるのかもしれない。
「音を立てて食べるのも分かるでしょ?」
「えっ?」
まるで心を見透かされたようでドキリとする。
「安心して。マスターだって一人の時はズビズバ音立てて啜ってるから!」
「「ええっ!!」」
魔王様の言葉を聞いてカナさんとスーさんが大きな声を上げる。
ミリーも驚いて二人の給仕を見ると、二人はハッとして深く頭を下げる。
「ホントよね? マスター?」
「違います~! 僕は時と場所を選びます~!」
「ほらぁ?」
「音を立てて啜る」という事自体を否定しない店主の言を取って、鬼の首を取ったように踏ん反りかえる魔王様。
「……あっ」
もう最後の一口だ。名残惜しいがあっという間に無くなってしまった割に腹に溜まっている。
最後の一口はキャベツ多めになってしまった。キャベツは一度、干した物を戻しているような食感でソースがよくからんでいるが麺の魅力には敵わない。
一息ついてコーヒーを一口。
コーヒーは冷めてしまっていたが、口の中に残ったソースや麺の風味を苦みがさっぱりと洗い流してくれる。
なんだ。魔王様は合わないと言っていたが、これはこれで良い物じゃないか。
「私、カップヤキソバとコーヒーって合うと思います」
ナマチョコレートを一つ口に放り込んでみながら店主に言ってみる。
「うん。そうやって食後にコーヒーを飲む分には問題無いと思うよ。ただ一緒にやって『合わない』って言いだすのがこの国の王様なんだよなあ……」
「美味しかったでしょ? カップヤキソバ」
「はい! 陛下の思し召しでこんなに美味しい物に出会えました!」
「でしょ! これを売ったら人気出ると思うのよね~」
「ハハハ……」
同意したいところだが、先ほどの店主の豹変ぶりを見るにうかつにそうもできなかった。
「それにしてもマスター、『ちゃん』て付くくらいだし『三平ちゃん』って人の名前でしょ? ウチの国に来たらロードとかサーとかの称号くらい上げちゃうのにねぇ」
「カップ麺ってのはもっと親しみやすい食い物なんだよ!」
サンペーちゃん? この国では馴染みの無い名前だった。カップヤキソバの考案者か何かだろうか?
「大体よ~。俺が爵位を得るのにどれほど苦労したのか分かってんのかよ~!」
店主は「僕」と「俺」と2つの一人称を使っていることに気付く。イラついている時に出る「俺」というのが本来の店主だろうか。となると「僕」というのは自分を作っている?
「あら、あっという間のサクセスストーリーだと思ったけど?」
「んなわけあるか! 先代魔王が暗殺者に襲われたと思って助けに入れば、その暗殺者は勇者だしよ~」
「ハハハ……!」
何故かカナさんが苦笑いする。
そんな事や店主の一人称などもはやどうでもいい。無名の流れ者からたった数ヵ月で功を成し貴族に上り詰めたアズマ卿の話だ。冒険者として一言たりとも聞き逃すわけにはいかない。
「いや~あの時は驚いたわね~。お祭りの時のパレードでいきなり群衆の中から剣を抜いて飛び掛かってきた人がいたかと思えば、それよりも早くお父様のカバーに入ってきたのがチビッ子で。そのチビッ子がたったの3度、切り結んだだけで暗殺者のミスリルソードを断ち切ってしまうんだもの!」
「チビッ子言うなし!」
笑顔で魔王様は語るが、店主はご立腹だった。カナさんは苦虫を噛み潰したような顔をする。
ミリーも話は聞いていたが現場は見ていない。パレードがあるのは知っていたが食い気を優先して屋台を見ていたためだ。その後、世間の話題は直後に起こった反乱に移ったためにあまり語られることも無かったのだ。
「ていうかさ。アレ、ミスリルソードじゃないよ?」
「え?」
魔王様も近衛騎士も驚いた顔をするが、それ以上の反応を示したのがカナさんだった。
「そ、そんなハズありません!」
余りの険相にミリーはたじろいでしまう。
「あ、ゴメンね。驚かせちゃったね……」
カナさんの代わりに店主が小さく頭を下げて詫びる。
「知らない? その勇者で暗殺者ってのが、この子。カナレットさん」
「ええっ!」
そういえば件の暗殺者がどうなったかは知らなかった。てっきり、その場で討たれたか、牢に入れられ処刑されたかと思っていたが。
「それよりもミスリルソードが偽物ってどういうことですか!?」
カナさんが店主に詰め寄る。今にも胸倉を掴まんばかりだ。
「偽物っていうかね……」
店主が壁に手を向け、魔力で壁に掛けられている剣を2本、手元に呼び寄せる。風魔法などではない純粋な魔力での操作だった。
手元に来た剣の内の1本は中ほどで折られている。もう1本は普通の形のロングソード。ただ、いずれもミスリルの銀の輝きに青味の混じった物だった。
話の流れから察するに、折れた方がカナさんが使っていて店主に折られた剣。もう1本が純粋なミスリルソードなのだろう。
「ほれ」
店主がカナさんに折れた方の剣の断面を突きつける。
「中と外側で色味が違うでしょ?」
「え、ええ……」
「これはミスリルが貴重になってから作られたミスリル巻きの剣。鋼にミスリルを巻き付けて作るんだ。刃はミスリルだから鋭くできるけど、芯は鋼だから剛性はそっちに引き摺られるし、何より魔力の伝導性がまるで違うよ? ミスリルの別名が魔法銀っていうのは知ってるでしょ? ちょっと試してみて」
カナさんの剣幕に押されながらも彼女に2本の剣を握らせる。
「…………本当だ……」
カナさんがガックリと項垂れ店主に剣を返す。
「試してみる?」
店主が魔力で近衛騎士の元へと2本の剣を送る。
「では失礼……」
近衛騎士はしげしげと眺めてから剣を持ち集中する。魔力を込めているのだろう。
「なるほど、これはいい経験をさせてもらいました……」
近衛騎士は丸く目を見開いてみせる。それほどか? それほどに違うものなのか? 思えば予想外の出来事ばかりで忘れていたが、自分はここに「国宝級」と言われる武器を見に来たのだ。
「ねえ? 彼女にも試してもらったら?」
「それもそうだね!」
「どうぞ」
魔王様の言葉で思いがけず2本の剣が自分の手元に来る。
「あ、ありがとうございます!」
方々に頭を下げ、ゴクリと生唾を飲み込んで剣を受け取る。
(……これがミスリルソード!)
本物のミスリルソードは驚くほど軽く、折れた剣よりも軽いくらいだ。
そして何よりも魔力の浸透性! 魔力操作が苦手で保有量も多くないミリーにとって折れたミスリル巻きの方は金属特有の反発を感じてそれ以上の事はできない。だが本物の方は砂に水を掛けたように流せば流すだけ魔力を吸ってくれる。これならミリーでも初歩の強化魔法が使えそうなくらいだ。
「凄い! 凄いですよコレ! これが『国宝級』と謳われる一品なんですね?」
だが店主の一言に感動に水を差される。
「それは別に国宝級ってほどではないよ? この国にも何本かあるんじゃない?」
「そうねえ。私も持ってるし、公爵クラスなら持っておきたいところよねぇ」
店主の言葉に魔王様も追従する。
「ミスリルで『国宝級』ってなれば、こーゆーのかな?」
店主が新たに壁から2本の剣を浮かせてミリーの元へと送る。
1本は先のミスリルソードよりもさらに青味が強い物。1本は真っ黒な物。
「青い方はブルーミスリル。剣としての性能に特化されてる物。薄造りで剃刀のような切れ味があるけど、魔力強化で斧のようなタフさも引き出せるよ。
黒い方はブラックミスリル。剣としてももちろん。魔法使いの杖としても1級品だよ。
さあ、試してごらん?」
「い、いいんですか?」
「いいのよ、冒険者さん。グリドー通り、コーヒー、生チョコレートにカップヤキソバ。今日の大冒険の報酬ってヤツね!」
「だから、何でお前がドヤ顔なんだよ!」
それからミリーはすっかりと落ち込んで遂にはカウンターの端の席に座り込んでしまったカナさんを尻目に夢のようなひと時を過ごした。