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第2話 ブチギレ店主とカップヤキソバ

「店主を呼んでもらえる?」

 魔王ラトニルが告げると、エルフの給仕が一礼して店の奥へと消える。


 ソファに腰掛けたミリーからは黒い髪しか見えないが、厨房からドカドカと足音を立てて出てきた者こそがこの店の店主(マスター)アズマ男爵(ロード・アズマ)その人であろう。

 踏み台に登ったのか、店主の顔がカウンターから飛び出す。


(可愛らしい子だな……)

 店主はサラリと細い黒髪を短く整えた少年で、貴族としても商売人としても幼過ぎた。目はクリっと大きく髪と同じ色をしており、頬もふっくらとしている。

 給仕たちの着ている服とよく似た意匠の白いシャツと黒いベストを着用した姿は機能美に溢れ、なるほどファッションにうるさいご婦人方にも人気の店だというのも頷ける。


「お前さぁ~? 他に客いるの分かんないかなぁ?」

 可憐な外見からは想像もできないような辛辣な言葉を魔王に投げつける少年。

 現在の時間は午後2時近く。店内にいる客は魔王とその護衛の近衛騎士の他には自分だけだ。つまり店主は平民の駆けだし冒険者の応対のためにこの国のトップの呼びかけを拒否したのだ。


「あらそうね。それじゃ待たせてもらうわ」

 意外にも魔王は無礼を許すどころか、自分が待つとまで言う。お供の近衛騎士も目くじらを立てることも無い。


「…………フゥ」

 店主はその事について何も言わずに深呼吸をして気を取り直し、カウンターの上に小さなガラス製のポットを置いてヤカンで湯を注ぐ。ポットの湯を戸棚から取り出したマグカップへ移しポッドの横へと置く。ポットの上に黒い器具を設置して、さらにその中に紙をセットする。形状的にポットの上の器具と紙は濾し器(ドリッパー)だろう。

 カウンターの下から取り出した缶の中の黒い粉をドリッパーの中に、それ専用と思われる計量匙で2杯入れる。それから注ぎ口が筒のように細くなっているヤカンで湯を注ぐと、ドリッパーの中の粉が湯を吸ってモコモコと沸き上がってくる。そしてポットの中には越された黒い液体が落ちてくる。


(え? あれがコーヒーなの? 私、アレを飲むの?)

 王都の上流階級の間で話題だというその飲み物は、ミリーの目には夏の甲虫(カブトムシ)を連想させるものであった。

(アレ、「泥水」みたいと聞いていたのよりは綺麗な色だけど、滅茶苦茶に味濃い気がする……)


 しかし、店主の手元から漂ってきた香りは炭のようでもありながら、香ばしく華やかで甘さをも想像させるものであった。

 店主はドリッパーの中の粉を膨らませるだけの量の湯を注ぐと一旦、注ぐのを止め、少しの時間を置いてから少しずつ慎重に湯を注いでいく。グルグルと渦巻を描くように慎重に、店主の集中ぶりが遠目にも見て取れるほどであった。

 一代限りの名誉貴族とはいえ貴族は貴族、しかも時代の寵児とも言えるような人物が自分のために真剣にコーヒーを淹れているという事実がミリーの胸を熱くする。


 ズゾ!

 ズゾォッ!

 ズズ……

 また魔王が茶色い糸のような物を啜る音が店内に響きわたる。

 店主の手元が狂い注がれる湯が途切れ途切れになる。

 店主の顔をすると笑顔のまま眉間に皺を寄せ、口角をヒクヒクと引きつらせ、あからさまにイライラしていた。

 なんとか湯を注ぎ終えヤカンをコンロに置くと、ドリッパーの湯が落ちきるまでの間に小皿を用意してカウンターの下から取り出した菓子を盛り付ける。恐らくカウンターの下は氷を利用した冷蔵庫になっているのだろう。

 ドリッパーから落ちる黒い液体が線から断続的に滴り落ちる雫になり、その間隔が緩やかになっていく。やがてドリッパーの中の湯は全て漉されたのか、液体が落ちることは無くなった。


 マグカップを温めていた湯をシンクに捨て、ポットの中の液体をカップに注ぎ込む。ポットには目盛りが付いていて丁度、1杯分の分量ができるようになっていたようだ。

「カナさん、お願い」

「はい」

 赤髪の給仕さんが青銀色に輝くミスリルのトレイに乗せてカップと小皿、小さなポットをミリーの元へと持ってくる。


「お待たせししました。ブレンドコーヒーです」

 ミリーの元へ置かれたコーヒーの入ったマグカップ、茶色い粉末が掛けられた四角く真っ黒な菓子、ミルクポッド。

(これ、どうやって頂いたらいいものかしら? ミルクはコーヒーに? それともお菓子に? いや、追い水(チェイサー)代わりかしらね……)


 ミリーの疑問が悟られたのか、そうでないのは分からないがカナさんと呼ばれた少女が説明してくれる。

「こちらのコーヒーはとても苦いのでお好みでミルクと砂糖を入れてお召し上がりください。お砂糖はそちら……」

 テーブルの上の隅、カナさんが手の平で指し示す方には白い陶器製のポッドが2つと、ハンディミルが二つある。ミルの中身は岩塩と、黒い方はもしかして胡椒か?

「そちらの2つのポッドが砂糖になっております。白い方はグラニュー糖、茶色い方がコーヒーシュガーとなっております。コーヒーシュガーの方は溶けにくいのでご注意ください」

「コーヒー用の砂糖なのに溶けにくいんですか?」

 グラニュー糖とやらも初めて聞いたが、コーヒーシュガーだけそう説明するということは、グラニュー糖は溶けやすいということなのだろう。


「はい。グラニュー糖の方は粉末状ですのでスプーンで掻き混ぜればすぐに溶けるのですが、コーヒーシュガーの方は粒状というか小さな氷砂糖ですので溶けにくいのです」

「ありがとうございます」

「いえ、茶菓子の生チョコレートは甘いお菓子ですので、そちらと合わせてお好みの味を見つけてみてください」

 カナさんはミリーの質問にも嫌な顔をせずに笑顔で教えてくれる。これが下町の飲食店なら「オメーの好きにやれよ!」の一言で済まされてしまうだろう。


 カナさんが立ち去ってから、取り合えず一口コーヒーを何も入れずに飲んでみる。

 苦い……。それは薬草や山菜の苦さとは違う炭のような苦さだ。だが不思議と嫌じゃない。香ばしく口内から鼻腔へと抜けていく香りは焙煎されたナッツ類のようでもあり、花のような華やかさも感じる。

 コーヒーを飲みこむと苦みの中に酸味と遅れて甘みすら感じることができる。

 苦い。だが素晴らしい味わいだった。


 付け合わせの茶菓子、生チョコレートとやらも試してみる。

 小皿に添えられたピックで四角い菓子を刺してみると、まるで手応えもなくヌッと沈み込んでいく。ん? と思いピックを持ち上げてみるとピックの先にチョコレートが付いてくる。

(異様に柔らかいな……)

 先輩冒険者の話に聞く底なし沼の泥なんかこんな感じであろうか?

 固体なのか異様に粘度の高い液体なのか分からないが、しっかりと刺せばピックから落ちる心配は無さそうだ。とりあえず口の中に入れてみる。

(苦ッ! こっちも苦! ん? いや、甘、あ、美味しい……)

 口の中に入れた瞬間に襲い掛かる強烈な苦みに驚かされたが、苦いのは表面に振りかけられている粉末だけで、生チョコレート本体はこってりネットリと甘い。甘いだけではなくミリーが初めて味わう強烈な風味がある。

(それに、これはミルク? いやクリームだな。このコクはクリームから来ているんだな……)

 他に例えようの無い風味とは別によく知った風味に出会いミリーの顔に笑みが浮かぶ。

 しかも生チョコレートは氷菓子でもないのに自然と口内でゆっくりと溶けていくのだ。噛まなくともよい。舌で上口蓋に押し付けるだけで形を変え、溶けて消えてゆく。


 そしてコーヒーをもう一口。

 口の中に残った甘さと合わさって、一口目とはまた違った味わいになる。なるほど砂糖とミルクを入れて飲むというのも分かる気がした。


 ズゾゾ!

 ズゾゾゾ!

 店内に響く茶色い糸を啜る音。




「もう我慢できねぇッ!」

 店主の少年がこらえきれずに叫ぶ。

「お前よぉ~、この国には食べ物を音を立てて啜る習慣はねぇだろ~がよ! なんで日本人の俺がヌードル・ハラスメント受けてんだよ!? おかしいだろ!」

 アズマ卿が両手を振り上げ、顔を紅潮させて叫ぶ。怒気をはらんだ声であったが、変声期前の少年の声ではいささか威に欠けると言わざるをえない。

 それにしてもニホンというのは国か、それとも地方なのか、もしくは民族の名だろうか? ミリーは大陸の地図を思い出してみるがニホンという名に心当たりが無い。大雑把な地図には載らないような小国であるのか少数民族であるのか。もしかすると店主は異大陸の出身だろうか?


「あら? 他のお客様もいらっしゃるわよ?」

 魔王の笑みは慈母のようであったが、言っている言葉に一欠片の謝罪のものは無い。

「俺が煩くする前によお! お前がソースの臭い撒き散らしてる時点で全て台無しなんだよ!」

 店主がカウンターの天板をバンバンと叩く。

「俺が! 豆と茶葉の香る店を作ろうが! その香りを邪魔しないような茶菓子と軽食を考えても! お前が来店するだけで全部! 台無し! 店の中、ジャンクな匂い! 下品な音!」

 カウンターを叩く音がヒートアップしていく。


「せめて上客が来た時くらいは空気読んで静かにしてくれよ~!」

 上客? 他に客は自分しかいない。誰か容姿の似ている人とでも勘違いしているのだろか? どう見ても自分はただの新米冒険者にしか見えないハズだ。

「あら、それはいけない……」

 そこで魔王様が自分を見てハタと何かに気付いたようだった。

「スーちゃん、そちらの冒険者さんにもカップヤキソバを。私の奢りでね」

「かしこまりました」

 スーちゃんと呼ばれたエルフの給仕さんが店の奥の厨房へと消える。


 え? 魔王様の奢り?

 いや、そもそもカップヤキソバとは何だ?

「にも」ということは、自分以外にソレを頼んでいる人がいるということだ。そして店内に客は自分以外に魔王様と近衛騎士しかいない。そして近衛騎士は何も頼まず魔王様の傍に控えているだけだ。

 そして魔王様のテーブルの上には茶色い糸の入った白い容器とマグカップのみ。マグカップで何を飲んでいるのかは分からないが、恐らくソレではないだろう。自分は今、コーヒーを飲んでいるのに、さらに飲み物を出されても困る。

 つまりカップヤキソバとは魔王様が景気よく啜って食べている糸状の物の事で、魔王様はソレを自分にも食べさせてくれると言っているのだ。

 もしかすると「カップ」というのは、あの白い容器の事で、そうなると中に入っている茶色い糸状の物が「ヤキソバ」だろうか?


「そ~ゆ~ことじゃね~だろ~がよ~!」

 店主が天井を仰いで声を振り絞る。

「あ、あの……!」

 意を決してミリーは声を出す。


「はい」

 赤髪のカナさんが寄ってくる。

「あの……、マスターも陛下も私を誰かと勘違いされてませんか?」

「はい? それはどのような意味でしょう?」

「だって、さっき私をマスターは『上客』とおっしゃいましたし、それに私、陛下に奢ってもらえるような身分じゃありません」


「いいのよ~。若い冒険者にお近づきのシルシってことで~」

 返事はカナさんからではなく、魔王様からもたらされた。

 魔王様は白い容器とマグカップを持って私の向かいの席へと移動してきた。

「それにマスターの言う『上客』っていうのは金を持っている客じゃないわ」

「へ、陛下! 何と恐れ多い……」

 テーブルの向かいに座った陛下が笑いかけてくるが、私にとってはそれどころではない。

 チラリと近衛騎士を見やるが、彼も陛下の後ろをついてきて私の視線に気付くと会釈を返す。

 魔王様の臣下である店主も、私と陛下が同卓することについて何も言わない。ただ溜め息をつくだけだ。

(え? え? いいの?)

 戸惑いが隠せない。きっと表情にも出ているだろう。それもあからさまに。


「マスターの言う『上客』っていうのはね。一口でもコーヒーをそのまま飲んでくれるお客さんのことなのよ」

「な、なるほど……」

 あれほど一杯のために集中して淹れていたコーヒーだ。料理でもそうだが、いくら調味料を使っていいと言われても、まずは料理人の出してきた味を試してみるのがマナーだ。きっとコーヒーもそうなのだろう。


「さすがは冒険者、味覚も冒険してみるのね。普通はもう匂いを嗅いだ時点で苦いじゃない?」

「いえ炭のような香りもしますが、甘さも酸味も花のような香りもします。それに……」

「それに?」

「このナマチョコレートとかいうお菓子には、甘くないコーヒーも合うと思います」

「あらあ~! この子、言うじゃない?」

 魔王様がカウンターの中の店主を振り返る。

「いや。何でお前がドヤ顔なんだよ?」

 店主は相変わらず魔王様に辛辣だ。しかし、それを近衛騎士は何も反応しない。


「ズズ! それと、マスター?」

「ん? 何だ?」

 魔王様はカップヤキソバを一口啜り、店主に声をかける。


「ぶっちゃけカップヤキソバにコーヒーって合わないわよね」

 この一言でまたマスターに火が点いた。

「お前よ~! サテンに来て! メニューでも裏メニューですらないモン頼んどいてよ~! そりゃ、ねーだろ!!」

「え~、だってぇ……」

「だっても糞もあるか! お前は武具屋に行って鎧を頼んで『コレ、舞踏会には使えないわよね』とでも言うのか!!」

(いや、その例えはちょっと違うかな?)

「だって、貴方、お父様には『店を訪れた客がくつろげるような憩いの場にしたい』って言ってたじゃない? カップヤキソバを頼む人は客じゃないとでも言うつもり!?」

「…………」

 魔王様の言葉に店主は頭を横に傾けて考え込む。

「どうなのよ~」

「いや、多分、客じゃないと思うよ」

 そりゃそうだろう。店主の言葉通りなら、メニューに無いものを無理に頼んで、しかもそれが店の看板商品に合わないと面と向かって言ってしまうのだから。

「え~~~? ズズッ!」

 魔王様が不満の声を上げてカップヤキソバを啜る。


「……でも、まあ、お前の言う通りではあるけど……」

 そう言って店主は自分の横の虚空に黒い円を出し、そこに手を突っ込む。黒円に入った手は消えていく。アイテムボックスのスキルか?

 手を抜くとそこには銀色の缶が握られていた。

「ナニソレ?」

「ん~? これは発泡酒っていってね」

 魔王様の問いかけに店主が答えるが、私にはそもそも「ハッポーシュ」とやらが何なのか分からない。


 プシュッ!

 店主がどうやったのか缶を開けると中身をグラスに注ぐ。

「カナさん、これを……」

「はい」

 トレーに乗せられたグラスが魔王様の元に運ばれる。


「ああ、エール酒ね」

 そう一人ごちてグラスに口をつける魔王様。

 そう。たしかに黄金色の液体の上に乗った白い泡はエール酒のそれだった。だが……。

「ん?」

 魔王様の顔に疑問符が浮かぶ。そしてカップヤキソバを一口啜るとウンウンと頷く。

「うん。カップヤキソバには良く合うわね」

 もう一口、ハッポーシュ。次いでカップヤキソバ。それで先に食べ始めていたカップヤキソバは無くなってしまう。

 さも名残惜しそうに空になった容器を見ながらハッポーシュを煽る。


「エールじゃないわね? コレ」

「そうだよ。発泡酒って言ってるじゃん」

「グルートの余計な香りがカップヤキソバを邪魔することなく、それでいて強烈な炭酸と切れ味のある苦みが口の中をさっぱりさせてくれるわね……」

 え? あの見た目でエールじゃないの?


「どうぞ」

 カナさんが私の前に小さなグラスでハッポーシュを出してくれる。

「いいんですか?」

「うん。金は魔王から取るから。魔王がズルズル汚い音を立てたお詫びにね!」

 店主が笑顔でウインクしてくる。こうして見るととても可愛らしい子なのだが。

「ハハ……、それじゃ頂きます……」

 飲んでみるとハッポーシュは確かにエールじゃない。ハーブの香りが無い代わりに確かに強烈な苦みがある。しかも缶に入っていたおかげで樽詰めのエールとは段違いの炭酸だ。これは何か料理に合わせるには打ってつけだろう。

 それにしても、この店は苦い物ばっかりだな……。


「お待たせしました」

 厨房からスーさんが戻ってくる。トレーに白い容器を乗せて。

 目の前に置かれるカップヤキソバ。絡み合った茶色い糸状の物の上に白っぽいソースと苔のような粉末が乗っている。


発泡酒に特定のモデルはありません。

そも。しばらく発泡酒なんて飲んでないような?

ビールか新ジャンルが多い気がします。

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