その愛
アイオスは、魔王の私室で読書をしていた。
すると、ドアがノックされる。
「入れ」
「失礼致します」
そこに現れたのは、ケルベロスだった。
「どうした」
「はい。ご報告申し上げたいことがございまして」
「聞こう」
「はい。闘神アカミが、動き出したようです」
「……闘神? 神なのか?」
アイオスは魔王としての記憶が欠如している。当然の疑問なのだが、やはりケルベロスは不審に思い、首を傾げた。
「……いえ、神ではありません。人間です。かつて、魔王様を討滅した勇者のパートナーです」
「勇者の……そうか。ん? 待て。人間と言ったな? この世界の人間は、それほどまでに寿命が長いのか? 五百歳を超えているが……」
「それも違います。この世界の人間の平均寿命は、50~60歳程度です。アカミは神・エナトスにより、力を得た『不死者』なのです」
「不死者……死なないというのか?」
「それもまた、違います。肉体的な寿命がないというだけで、『死』は存在します。魔力による攻撃で、肉体にダメージを与え、コアを破壊すれば、倒せるでしょう。ただ、その場合。完全なる死か、アストラル界への帰還かは、わかりかねますが」
「ふむ……その、アストラル界というのは、なんだ?」
「アストラル界というのは、精神世界のことです。肉体が消滅しても、魂は消えません。その魂は、精神世界へと帰るのです。魂が存在するのであれば、再び現世への復活も可能だということになります」
「それでは、いたちごっこだな」
「ですが、復活には、様々な条件が必要になります。魔王様の場合、深い憎しみを抱いていた、人間や天使の血や心臓、そして大魔法による復活……これらが条件となっていました。存在によって、復活の条件は異なります」
「つまり、簡単にホイホイ復活出来るというわけではないということか」
「はい」
「……わかった。それで、アカミについてもう少し詳しく話をして貰おうか」
ケルベロスは、メイドの裾を掴んで、頭を垂れた。
「かしこまりました。引き続き、ご説明をさせて頂きます」
「アカミは、この五百年間。身を隠しておりました。私も捜索を行っておりましたが、見つからず。人目を避ける行動をしていたようです。ですが、バルディネスにいる『鼠』から報告がありました。アカミが、バルディネスに入ったと。それで、大きく事が動くと思い、報告に至ったというわけです」
「五百年も、身を隠していた者が、今更出て来る理由はなんだ」
「恐らく、魔王様の復活が原因かと」
「……それはあるな。しかし、解せん……そのアカミとやら、交渉は出来ないだろうか。戦いを避けていたのだろう? 話し合いの余地はありそうだが」
それを聞いて、ケルベロスは驚いた。
「ここ最近の魔王様には、驚かされるばかりです。昔なら、我先に戦場に赴いておりましたが」
(随分と、好戦的な魔王だったみたいだな……私は極力無駄な争いは避けたい。そもそも、魔王軍の戦力不足は浮き彫りになっている。今は戦力の補強を最優先としなければいけない。それには、金もかかる……税の見直しはしたが……市場が再び活気を取り戻すには、十年はかかるだろう。早急に金を得る方法を考えなくては)
「魔王様。現在、魔王軍における不穏分子のリストを作成中ではありますが、それでも完璧とは言わないと思われます」
「粛清しろというのか? ふむ……魔王軍にも、スパイがいるということだな?」
「はい。スパイはどこにでも、存在します。それらを全て排除することは出来ないでしょう」
「君がそのスパイだったとしたら、お手上げだな」
「……そこまで、魔王軍は脆くはないと思います」
「すまない。失言だったようだ」
「いえ、誰であろうと疑いを持つのは、悪いことではありません」
「ケルベロス。少し、資金調達の案を考えているのだが」
「はい。なんでしょうか」
「うむ。この世界の医療は、基本、魔法が主体だな?」
「はい。治療は主に、魔法で行われます。他に薬草などはございますが……」
(その程度か……なら、これは行けるかもしれんな)
「そうか。なら、新たに医療チームを設立する。そして、製薬会社を立ち上げる」
「製薬……会社? ですか? よくわかりかねますが……」
「簡単に言えば、科学医療で民衆を治療することだ。特に、『抗生物質』は、我々の独占市場になることは、間違いない」
(私は、元医者でもある……製法自体はわかっている。キャンデロロならば、それらの機械を製造することも可能だろう。科学薬品が世界市場を独占出来るシェアとなれば、莫大な利益を生み出すことが可能なはずだ)
(しかし、どちらにせよ。ある程度の時間は必要だな……となれば、今やるべきことはただ一つ)
(時間稼ぎ、だ)
アイオスは、戦争における必要事項を正しく理解していた。戦争には、金がかかる。食料の維持率も重要になる。数も必要となる。それらを正しく揃えられるかどうかが、勝敗を大きく分けるということを。
「アカミは、来ると思うか?」
「恐らくは。それしか、バルディネスと接触した意味がありません」
「そうか……アカミの強さはどれぐらいなのだ?」
「一騎当千……単独で数千の兵を相手出来るほどの力を持ち合わせております」
「……それでは、兵の意味がないではないか」
(いや、意味がないわけではないか。結局のところ、そういったバケモノには、バケモノで当たればいいだけの話。となれば、やはり最終的には兵の数が拠点制圧には、必要になって来る……)
「そうですね、魔王様のお考えは概ね正しいと思います。なので、戦いというのは『力ある者』同士の戦いであると言えます。兵は主に、拠点の制圧後、そこを管理する為に必要になるでしょう」
「やはり、そういう考えに至るか……まあ、しかし。毎回そういうケースになるわけではないのだろう?」
「当然です。闘神アカミは、魔王様に匹敵する『高位級』の存在です。その中でも、最上位と言えるでしょう。そういった存在がいない戦場の方が、遥かに多いです。領土を拡大すれば、それだけ戦力は分散されます。人員の確保は急務と言えるでしょうね」
(やはり、レアケースか……とはいえ、そういった存在が一人混じっているだけで、大きく計算が狂うのは厄介だ。兵の配置は非常にナイーブになって来る。間違えれば、即座に数千の兵が犠牲となってしまうのだから)
「私がアカミを迎え撃とう」
「本気ですか、魔王様」
「それしかあるまい。話もしてみたいしな」
「……そうですか。いえ、少しだけ。魔王様らしさが戻ったようで、安心しました」
嬉しそうな表情を見せる、ケルベロス。その顔をアイオスは眺めていた。
(そうしていると、無邪気そうな若者に見えるな……実際は、人の皮をかぶった悪魔なのだが)
「しかし、魔王様お一人では、危険です。私が……」
「いや、ケルベロスは内部の反乱がないか、監視してくれ。お前が献上した千の兵を使わせて貰う。護衛はそれで十分だろう」
「……わかりました」
「ま、相手の数もわからん内に、どうもこうもないのだがな……いくつか、プランは用意しておく。それでいいな」
「はい」
そうして、ケルベロスとアイオスの会話は終了した。
ケルベロスが、帰ろうとした時だった。アイオスが席から立ち上がったのは。
「魔王様?」
「ケルベロス……」
アイオスは、ケルベロスに口づけをした。
「んっ……んんっ……はっ……」
そして、そっと離れる。
「ま、魔王様……行けません。私など……」
「どうしてだ? お前は、魅力的だ。その頭脳……行動力、思いやり。そして、その見た目……全て、私のモノにしたい」
「ですが……ティーファ様が……」
「ティーファがどうしたというのだ」
「ティーファ様は、魔王様を敬愛しております。それ故に、自身以外の女性が魔王様と接触することを快く思っておりません。魔王軍に、亀裂が入りかねません……」
「そんなことか……よい。どうにかする。最悪、そうなってしまったとしても、私はお前を選ぶ。ケルベロス」
「魔王、様……」
「アイオスでいい」
そのアイオスの目に、ケルベロスは……堕ちていった。
深いキスを交わす。長い、長い時間だった。
そして、ゆっくりと唇が離れていく。
「ぷはっ……ま、アイオス様……」
「私のベッドに行こうか」
「はい……」
そうして、アイオスとケルベロスは、朝まで行動を共にしたのだった。