ダウンタウン②
「貴様、名を名乗れ」
得たいのしれない黒いモヤが語りかけてくる。俺は未だにカギューの後ろに隠れ、足にしがみついている。
「俺の名前はフィーロだ」
ほぅと黒いモヤが呟く。
「フィーロ。何とも懐かしい響きだな。あの忌まわしき賢者のせいで私は何千年という時の呪縛から逃れられなかったのだ」
苛立ちを隠せないのか口調に棘が目立っていた。
「さてさて、お前さんは一体何者なんじゃ?わしらに教えてはくれないのかの」
カギューは相手を怒らせないように慎重に優しく尋ねた。
「吾輩は闇の精霊王"バルヌーク"2000年の時を越えて今眠りから覚めた」
そう応えるると黒いモヤが真ん中に集まり黒い玉になった。
次の瞬間、玉は弾け飛び新たな造形を作り出した。
1.8メートルはあろう身長に手脚は細長く爪は鋭い。瞳は縦に細く、赤い色をしている。体は右半分が黒い鱗で覆われており、左半分が人間と同じであった。尾てい骨からは尻尾が生えており三叉に割れていた。片方の羽はコウモリのような形をし、もう片方は機械で出来た羽であった。人間側の顔はマスクで隠れていて見ることは出来ない。
その姿を見たカギューの体が少し強ばった。バルヌークの容姿には言いようも出来ない凄みが感じ取れた。
「闇を司る国シャガール」
「いやはや、それも懐かしいな。僭王はどのような最後を遂げられたのでしょうか。我輩の知るところではないがな」
何かを懐かしむようにバルヌークは目を細めて、その透き通った指でアゴを撫でていた。
「闇の国シャガールの王"フリドリッヒ"は賢者に封印された」
俺は震える声を抑えながら精一杯の声量で言った。
「なるほど。だから契約魔法で呼び出されたのか。おい、貴様」
俺を指差しながらバルヌークは部屋に響く声で私のことを呼んだ。
「貴様にはどういう因果か魔力を感じる。魔力は大魔大戦の時に枯渇し我輩ら精霊は生きていく糧を失った。元々の魔力保有量が多かった我輩はこの魔導書の中で生きながらえていたがもう長くはもたない」
バルヌークは神妙な面持ちで話している。顔色は先ほどに比べると悪くなっていた。
「我輩としたことが、この姿を維持するだけで精一杯なのだ。精霊王バルヌークが言う。我輩と契約をしろ、これは嘆願でも慈悲でも無い。命令だ。聞かなければこの場お前を殺す」
高らかと叫ぶとバルヌークは手を差し伸べてきた。
契約をしなければ殺される。これは間違いないだろう。なら答えは一つしかない。
「いかん!フィーロ。そんなものしてはダメだ」
カギューが俺に諭すように力を込めて声をかけている。
「黙れ、老いぼれ」
バルヌークがカギューに向けて手を向けるとカギューの体は力が抜けたように地面に倒れた。
「さぁ、早くしろ時間がない。契約をすれば命の保証はしてやろう」
「分かった。俺はお前と契約する」
この答えを待っていたのか聞いた瞬間、バルヌークはニヤッと口角をあげた。彼に手招きされるように文様の中に入ると俺は宙にうき始めた。
俺は「手を出せ」と言われ、すぐさま出した。バルヌークは鋭い爪で手のひらの真ん中に切り傷を付けると血をすくい一舐めした。
「ふっ。面白いな、お前は自分で魔力を生産出来るのか。本当にあの賢者と同じなのだな」
バルヌークは身体をモヤに戻し、俺の体と重なった。そして口から勢い良く中に入ってきた。
俺はとても苦しかったが口を閉じることが出来ない。ただ、この不快な状況が早く終わるのを願っていた。
黒いモヤが全て体内に入ると右手に猛烈な痛みを感じ、地面に膝を付いた。かなり痛い。右手を凝視していると、手の甲に黒いタトゥーが浮かび上がってきた。
『契約は完了した』
誰もいない筈の部屋の中でバルヌークの声が聞こえた。
『これで契約は終わった。我輩はお前の魔力を貰う。その代わりにお前には闇魔法の力を与えよう。まだ、体力が戻らないがそのうち我輩も力を貸してやろう』
バルヌークは私の頭に直接話しかけている様だった。頭が少し痛くなる。
『我輩は少し眠りにつくとする。そこにいる老いぼれは時期に目が覚めだろう』
そう言い残すと彼の気配は私の体の底にと消えていった。
⚫
「ん、んん。わしは何で寝ておったんだ」
契約から30分過ぎた頃にカギューが目を覚ました。
「カギュー無事だったんだね。心配してたよ」
俺はカギューが目を覚まして本当にほっとした。あの精霊の事だからもしかしたら永遠に目が覚めないということも考えられたからだ。
俺がカギューの体に異常がないか確かめているとカギューは驚いた目をしていた。
「お前さんや、この手はどうした?もしや、奴と契約したんじゃなかろうな」
カギューは俺の手を掴んで必死な顔をしていた。
「俺には選択しがそれしか無かったんだ。仕方ない…。でも体は何とも無かった、魔法は使えるようになった見たいだけど」
「魔法が使えるということがどれだけ恐ろしい事か分からないのか!!帝国に知られたらお前さんは人間として生活することは無くなるのだぞ。実験の材料として使われるか兵器として使われるか…いいかこの事は絶対に口外してはならん。これを手に付けておきなさい」
カギューは机の引き出しの中からグローブを取り出してきて俺に渡した。タトゥーを隠すための物だろう。
「12歳の成人まで親にも言ってはダメだ。それからの人生はお前さんの好きにすればいい。わしは少し疲れた。もう帰りなさい。時間が遅くなるとミーチェが心配するだろう」
大きな体をゆっくりとうごかしながら、椅子に腰をかけて目をつぶるとカギューはイビキをかいて寝た。
俺はお礼の言葉を言うと店を出て、来た道をまた、全速力で帰っていった。
家に着くと「こんな時間までどこに遊びに行ってたのよ!」とミーチェに叱られた。とても心配させてしまったらしい。クレソンも家に帰っていた。2人は俺のことをギュッと抱きしめながらこう言った。
「「フィーロ、誕生日おめでとう」」
⚫
そして、今に至る。
あれから7年の月日が流れて俺は今日、12歳になった。
パンを盗んだのは自分の誕生日プレゼントのためってのは建前であり本当の目的があった。
「おい、フィーロ何してんだ。こっちだよ、こっち」
壁の穴から声が聞こえてきた。すぐさま俺はその穴に滑り込んだ。あのデカイ図体をした髭面は入れないだろう。
「くそ、あのガキが。次みたらぶち殺してやる」
とりあえず逃げきれたことに安堵した。いや、良く走ったもんだ。
「フィーロ、大丈夫だったか?怪我してない?」
隣で心配そうな目で見てくる男は幼なじみのバルフだ。幼なじみと言っても1個下だ。
「大丈夫、大丈夫。少しかすり傷があるくらいだ。こんなもん唾をつけておけばそのうち治る」
「ダメだよ。フィーロは女の子なんだから体は大事にしないと」
なんだこいつ、いっちょ前にいい男気取りやがって。
「俺を女扱いすんなって言ったよな?」
「ぐぅ、でも…」
「でもじゃねーよ、それより早く行こう。アイツらが腹すかして待ってるから」
俺たちは足早にその場を後にした。
向かった先はダウンタウンの南の外れにある廃材置き場だ。ここは人が全くよりつかない。
何故こんな場所に来たかというと理由がある。
「わぁ、フィーロお姉ちゃんだ」
「フィーロお姉ちゃん、僕もうお腹ペコペコだよ」
「フィーロお姉ちゃん、遊ぼうよ」
ここには親に捨てられた沢山の孤児が暮らしている。そこの1番上がバルフなのだ。
「分かったから、今日はパンをもって来たぞ」
私は両腕いっぱいに抱えたパンを少しずつ子供達に配った。みんな、美味しそうに食べている。よっぽどお腹が減っていたようだ。
「バルフお兄様、お疲れ様です」
ひょっこり出てきた白髪の可愛い女の子。この子はバルフの妹のマテリアだ。今日もマテリアは可愛いなぁ、いつまでも見ていられる。
「あぁ、でも疲れるようなことはなにもしてないぜ。パンを取ってきてくれたのはフィーロだ」
マテリアはこっちに向きを変え、キラキラした笑顔を見せている。
「フィーロさん、いつもいつもありがとうございます。私たちのために食べ物を持ってきていただき。何度しても感謝し切れません」
「いいよ、俺が好きでやってることだし。マテリアの笑顔を見られただけで十分さ」
ついついニヤニヤしてしまう。マテリアをギュッと抱きしめたい欲に駆られるがぐっと堪えることにした。
賑やかにパンを食べている子供たちだが、俺が最初に見つけた時は本当に酷いものだった。
約半年前にカギューの頼みで廃材置き場から材料を調達してくれと頼まれた時に倒れていたマテリアを発見した。
材料探しを中断してマテリアに近づくと横から角材を手に取ったバルフが「マテリアに触るな」と言ってきた。
ダウンタウンにいる人々は悪い奴が大半。バルフの行動はここで正しい。でも、明らかに苦しんでいるマテリアを俺は放っておくことができなかった。
俺はお母様から教えられていた知識で直ぐにこの子が極度の栄養失調に陥っていると理解した。そして、食べ物を集めて彼女に食べさせてあげた。
ここにはマテリアだけではない。多くの頼りのいない子供たちがいた。彼らは日々、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。食べ物があれば生きながらえ、無ければ死ぬただそれだけの為にいるのだった。
俺はそんな彼らを捨て置くことができなかった。それからと言うもの1番年上のバルフを連れていつも食糧調達に奮闘している。
「今日はもう帰るのか?」
バルフは物思いにふけっていた俺に話しかけた。
「あぁ、今日は俺の誕生日なんだ。家で親が待ってる」
「そっか、じゃまたな。誕生日おめでとう」
バルフは本当にいい奴だ。妹思いで、頼りがいのある。
「フィーロさん、誕生日おめでとうございます。私、いつか絶対にフィーロさんに恩返しします」
マテリアからお祝いの言葉を貰えただけで満足だよ。心の中では悶えている。
「ありがとな、じゃまた」
俺は足早に帰路へついた。
⚫
家に帰るといつものようにクレソンとミーチェは笑顔で迎えてくれる。
「おかえりなさい、フィーロちゃん」
「フィーロ、今日は早かったな。娘がいつも帰りが遅いと父さん心配になっちゃうぞ」
ミーチェは相変わらず美人さんだな。クレソンは相変わらずマヌケな顔をしている。心の中で思っていることは秘密だ。
「ただいま」
ふたりはいつも、血の繋がらない俺に優しく接してくれる。これがどれほど幸せな事なのか、廃材置き場の子たちを見てれば嫌でも伝わってくる。
それに俺はとても感謝している。し切れないほどに。
「フィーロちゃんも今年で成人かぁ、早いなぁ」
「早く孫の顔が見たいな、でも変な男に捕まるなよ」
ふたりの他わいもない会話がとても心地よい。
「だから、俺はそんな女みたいな人生は送りたくないんだよ」
笑いながら応えた。
家族団らんのひと時を終えて、俺が自分の部屋に行こうとした時にクレソンに引き止められた。
「フィーロ、最近誰かに付きまとわれたりしてないか?」
「いや、そんなこと無いけど」
クレソンは一体どうしたというのだ。父親らしく娘の心配なんかして。多分、変なものでも食べたんだな。
「いや、実はな父さん達……いや、何でもないや。こ話はまた今度にするよ。おやすみ、フィーロ」
「分かった、おやすみ」
何か伝えたげだったクレソンの顔。でも、言うのを止めた。俺に言えない何か隠し事でもあるのだろう。俺も魔法のことはふたりに伝えていないし。そして、誰かに付けられている?その質問も妙に引っかかった。
でも、多分気にし過ぎだと思う。明日の自分に考えてもらおう。今日はもう寝るとする。
しかし、平凡に過ぎる毎日の中で俺は危機感が薄れていたのだ。いつも来る明日が平和であるとは限らないと知る由もなかった。