本採用
加瀬恭子がうちへ来て一か月半。
普通、試用期間は3か月だが
川本係長は早く社員にしてしまいたいという。
少し早いが正社員にしようということになった。
朝、朝礼の時に松野が加瀬を呼んだ。
「加瀬くん、前へ」
彼女は何事?と青ざめた。左右を見ながら驚いている。
橋本登喜子が、ニコニコしながら出るように促す。
他の社員は、あ、このパターンは・・・とわかっていた。
彼女は、猫背でしずしずと前に出てきた。
松野が真面目な口調で伝える。
「本日をもちまして、加瀬くんは試用期間を終了しました。
正式に正社員として・・・」
彼女は本当に驚いたのだろう。
顔を紅潮させ胸に手を当てて、オロオロしだした。
「うろたえないで、ちゃんと辞令受けなさい!」
橋本登喜子が笑いながら声をかけた。
オレは真面目モードで静かに辞令を読む。
『採用辞令。加瀬恭子。本日付けをもって~経理課~命じる』
みんなから一斉に拍手。
彼女は何度も頭を下げた。
松野があいさつを促す。
「退職勧奨かと思って、お別れの挨拶を考えていた加瀬です」
みんな爆笑。しゃべりが上手いのは聡明な証拠だ。
事務に置いておくのはもったいないなあと思った。
朝礼が終わり、営業部隊が出かける。
加瀬恭子は正社員用のIDを受け取り、本当にうれしそうにしている。
川本がオレに聞いてきた。
「夕食会、どうします?」
『あ~そうだったな』
うちの部では新入社員を連れての、夕食会が慣例になっていた。
オレがその年の新卒を連れて夕食に行く。
営業の中途採用は、随時入社するので連れて行かない。
でも加瀬恭子は営業ではない、事務方だから、まあ辞めないだろう。
川本は、いちおう新卒と同じ扱いで、連れて行ってはどうか。
特に入社してほしかった人材でもあるから、夕食会をやってもいいと言う。
松野にも相談した。
「いいじゃないですか。連れて行っても」
『でも、2人きりだぜ、彼女、イヤじゃないかな?』
「そうですかね?初対面じゃないんだし、いいでしょ」
『新卒連れて行くときは、何人かのグループになるだろう?
オレと2人だけは、緊張しないかなと思って』
「じゃあ、それとなく今日中に聞いておきますよ」
17時になり、そろそろ事務方が帰り支度を始める。
松野から夕食会の話を聞いたのか?加瀬恭子がやってきた。
「あの部長。課長からお聞きしたんですが・・・夕食会」
『あ~それね。うちの慣例でね。新卒の子にオレが夕食おごるの。
まあよかったら、正社員になったお祝いにみたいなもんだよ』
「いいんですか?私。嬉しいですけど・・・」
『でもオレと2人だと、ウザいだろう?
だれか友達でも連れていくか?』
「部長~ さすがに、そこで〈ハイ、ウザいです〉って言えないでしょー」
隣に居た、松野につっこまれた。
「え~私行きたいですけど・・・ 予算おいくらですか?」
『ん~まあ、そうだなあ・・・2人で2~3万が上限かな?』
「え~? そんなに?!!! 国家予算です~ 夢みたいです!」
思わず笑った、国家予算に匹敵する金額なんだ。
「何食べてもいいんですか?リクエストしていいんですか?」
これだけ夕食会に乗り気の社員を見たことがなかったなあ。
来週の月曜は、加瀬恭子と夕食会となった。