メッセージカード
『あんたもスリッパに履き替えるかい?』
ナイロンから出したスリッパを差し出すと、女が涙ぐんでいた。
「お気に召さなかったですか。ごめんなさい」
『はぁ?何言ってんだ?』
「私、こんな女ですけど、それくらいわかります。
○○様、お会いした時から、全然・・・」
『違う違う、オレ、腹痛くってさ。中止ってことで帰ってくれる?』
その通り、嫌がってるんだ。とはさすがに言えない。
『迎えに来るように、店に電話してやるよ』
そう言って携帯を取りに机に向かう。
「あ、お店に電話は・・・私、すぐ出ます、ロビーで待ちますので」
『そんな恰好でウロウロしてたらスタッフに声かけられるだろ
いいよ、オレの我儘なんだし、ここで休憩してて』
「・・・すいません」
そう言って頭を下げた瞬間、涙が零れ落ちた。
悔し涙だな。どうせ。こんなこと今までにあっただろう?
泣くなんて、ほんとに新人なのか?
『適当にしてて、オレも好きにするから』
女は小さくうなずいて、ソファの隅に座った。会話は終わった。
オレはPCに向かい、風俗サイトを閉じ、ワードを開ける。
今までほおっておいた報告書や、いくつかの書類を作る。
スマホの着信音で我に返る。女へ店からの連絡だった。
短い返事で電話を切った女は、申し訳なさそうにこっちを見た。
「あの・・・ドライバーさんの都合で少しお迎えが・・・
すいません、遅れるみたいで、10分ほど、すいません、あの・・・」
『10分だろ?待ってりゃいいじゃん』
仕事が一段落ついたオレは、風呂へ入ろうと思った。
スーツを脱ぎながらクローゼットへ向かう。
それを見た女は、手伝おうと立ち上がったが、オレは手で制した。
『風呂行くからさ、その間に迎えが来たら、勝手に帰って』
女の返事も待たずに風呂場のドアを閉める。
シャワーを浴び再度身体を洗った、そして湯船に浸かる。
ちょうど、湯船から出て身体を拭いている時に電話が鳴った。
女はドア越しに声をかけてきた。
「○○様、お迎えが来ました」
『おーよかったな。早く帰りな』
バスローブを羽織りながら返事する。
「いえ、そんな、今日はありがとうございました」
女は、もう引きずるしゃべりをしていなかった。
ドアが閉まった音を聞いてから、風呂場から出た。
窓から外をながめる。雨足が強い。
下を見ると、レクサスが小さな消しゴムのように見えた。
しばらくして、白い傘が車に向かった。
女が傘をたたんで車に乗り込んだ。
帰りはドアを開けてもらえないんだな。
カーテンを閉じてソファに座った。
ちょうど、女が座っていた所に名刺が置いてあった。
それは挨拶の時に渡したものと違うものだった。
手書きのメッセージカード。
オレが風呂に行っている間に書いたのだろう。
しゃべりと態度に似合わぬ、きっちりとした字だった。
○○様へ
大切なお時間とお金を無駄にしてしまいました。
どうぞお許しください。
香坂弥生
最後まで女はオレに詫びていた。
3万円で買った愛は本物だったかもしれない。
誠意をもって時間まで、オレに尽くそうとした女。
仕事だと言えばそれまでだが、この部屋で1時間
オレの顔色をうかがいながら、辛抱し続けた女。
オレが女にした仕打ちは仕返しだった。
そう、26年間つれそった妻への仕返し。
日々の不満と苛立ちを、あの女にぶつけていた。
『あんたの優しさ、踏みにじってごめんな』
オレは賞状を受け取るような格好で
メッセージカードに頭を下げた。