愛した理由
堂々と生きていきたい。
その言葉はオレが子どもの頃、骨身に刻んだ言葉だった。
小林家は代々庄屋でお金持ちだった。家業は呉服屋を営んでいた。
多くの田畑を持ち、何人かの使用人を雇う豪商だった。
オレの祖父は隆吉という。妻の和子と息子の敏夫と隆志の4人家族。
それと、小林家の敷地の一画に住み込みの使用人家族が居た。
なに不自由のなかった小林家だが、戦争のために翻弄されることになる。
隆吉は戦争へ駆り出された。2人の子を抱えて和子は留守を守った。
出兵して間もなく隆吉は戦死。使用人の高木春夫、光江の夫婦が小林家を支えた。
戦後、小林家は兄敏夫が継ぎ、呉服屋を洋品店とする。
商売は高度経済成長の波に乗り順風満帆だった。
弟の隆志は大学卒業後、大手企業のサラリーマンとなった。
これがオレの父。 彼は26歳で結婚する。妻の名は稔子。旧姓高木。
オレの母は使用人であった高木夫妻の1人娘、稔子だった。
隆志は子どもの時から傍にいた稔子と仲がよかった。
高木春夫と光江も《主の次男である坊ちゃん》隆志を溺愛した。
隆志が稔子と付き合うことは、当時許されない恋愛だったようだ。
代々、名門だと誇る小林家からすれば、高木は下僕の家だった。
母の和子は、なにもこんな女に、と半狂乱で反対した。
兄夫婦、親せき連中にも反対された。でも父は稔子と別れなかった。
その後、隆志を可愛がった高木春夫、光江が続いて他界してしまう。
稔子は天涯孤独となってしまった。
これを期に、隆志は稔子を連れて駆け落ちする。
そして昭和41年。駆け落ち先の街でオレが生まれた。
今の時代、なんてことない話だが、50年前、内縁の妻など
許される話ではなかった。しかたなく、親戚連中も2人の結婚を認めた。
父は母を大事にはしていた。だが母はいつも控えめだった。
親戚が集まった時、いつも台所で控えていた母。
正月の集まりでさえ、母は同席しなかった。
いつも家政婦のように働いていた母。
いつも割烹着を着ていた母。
オレの子どもの時の記憶は、割烹着と忍び泣く横顔だけだった。
そんな働き者の母はオレが大学生の時、死んでしまった。
その3年後、就職し、オレは母と真逆の女に出会う。
美人受付嬢と言われ、堂々すぎる生き方の女。
すべてに遠慮をしない女が新鮮に映った。
それから26年、誰にも遠慮せず暮らす妻。
オレは尻に敷かれ、いつも文句を言われている。
よく、かかあ天下のほうが家庭円満だというが。
オレはできれば、対等の関係で居たかった。
何かにつけて、オレは妻に遠慮していた。
そうだ・・・オレも母さんと同じだ。
母さん、あんた、いつも、おどおどしていたよな。
いつも顔色を窺っていたよな。
いや、世間に対して母はいつも頭を下げていた。
「良二。お前は堂々と生きるのですよ、立派な人になってね」
その口癖と、うつむき加減の横顔が浮かぶ。
母は使用人の子 という自分を憎み、そのすべてを否定していた。
そうだ・・・・
自分の容姿を嫌い、生まれ変わりたいという女。
堂々と生きたいと言う女。
母の面影を持つ女。
加瀬・・・
君を愛した理由がやっとわかった。




