夢の単身赴任
家の鍵を開ける。
リーチはまだ飲んでるのかな?
オレは精神的にまいったのか?飲めなかった。
あのまま座っていたら、悪酔いしただろうなぁ。
暗く静かな玄関。電気は点けない。
我が家では、人が居ない場所は必ず消灯がルールだ。
会話もないのに同じリビングで過ごすのも、
冷暖房、照明の節約のためだ。
シャワーを浴び、リビングに行く。
「おかえり」
感情の無い声。目はTVの韓ドラに、くぎ付けのままだ。
オレも反対側に座ってPCを立ち上げる。
メール確認をしながら、向かい側に座る妻に話かけた。
『あのさ、まだ噂なんだけどよ。オレ動くかもしれない』
「異動なの?」
『○○県、今営業所があるんだけど、
支店になるかもしれないんだ。そこかもしれない』
「げ~ 田舎じゃん、私行かないからね」
『ああ、いいさ、もしそうなれば単身するよ』
「単身ってさ。お金かかるの?お給料はどうなんのよ?
お金かかることだったら止めてよ」
『待遇は悪くならない。住まいもタダだし、給料もそのままだ。
向こうで業績上げればバックも大きい』
「それならいいけど。ねえ?降格でもいいから、もう少し上がらないかしら?」
『昇給しろってか?』
「1500あればいいわねえ」
『年収1千万、そうは居ないぞ』
「勝野さん、もっとあるじゃん」
『バカ。あそこは開業医だろ? 普通は5、600万あれば御の字さ。
50代 平均年収 ってググって見ろよ』
これだけ会話していて、オレたちは顔を見ない。
キーを叩く音がする。検索してるみたいだ。
「え~? これ年収?400とか、500とか、死んじゃうわ」
『そうか・・・ でもそれが世の中だ』
今日の会話はこれで終わった。
死んじゃうのなら、死ねよクソ野郎。
口を開く毎に、金、金、金。
感謝しろとは言わないが、常に足りない、もっともっと。
マリー・アントワネットは、民衆が貧困で苦しんでいた時
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったそうだ。
お前も似たようなもんだ。どれだけ世間知らずなんだ?
年収500万の世帯は普通だ。
オレはそんな家庭のお客様を、相手にしてる仕事だ。
それさえもわからないのか?お前も働いていたくせに。
バブルのまま、世の中が止まってるのか?
バカ女め・・・・
2年目になってオレは売れだした。小林は化けたと、注目を浴びた。
その頃、妻は美人受付で有名だった。みんなにチヤホヤされてた。
当時、オレの友人が、妻の女友達と付き合っていた。
その関係から妻を紹介してもらった。
急に売れ出した若手営業マンと美人受付の出会い。
オレは容姿に惹かれた。外見だけに。
おれは美人のお前が自慢だった。
結婚して、絶対に苦労させてはいけない。
いつまでもお姫様で居させてやりたいと思った。
26年間、お前の機嫌取りをしてきた。
その暮らしの中で金銭感覚がマヒしたのか。
オレがこいつを馬鹿にしたのかもしれないな。
でも異動すれば、離れて暮らせるんだ。
家に金さえ入っていればオレは家に居なくていい。
お前の文句を聴かなくていいんだ。
あのため息を聞かずに済むんだ。
顔を見ずに済むんだ。
オレは単身赴任を夢に描いた。




