歩幅
さあ、待ちに待った夕食会だ。
オレは朝から仕事どころではなかった。
レストラン街のHPを何度も見る。どこへ行こうか?
もちろん彼女の好み次第なのだが、いろいろ考える。
どんな話をするのかな?仕事の話? 恋バナもいいな。
そうそう、サイトで見たけど、今、枯れ専ってのがあるらしいな?
なになに?50代でもイケるのか? ふむふむ。
これは、流れによっては、あるかもなあ・・・バカなことを考える。
今まで女子社員と飯なんて数えきれないほどあった。
その中にはとびきり美人や、アイドル顔負けの子もいた。
当然、付き合うとか不倫ではない、ただの食事と飲み会くらいのものだ。
でも、今回のオレは、なぜか、舞い上がってしまっている。
別に彼女は、好きなタイプでもないし、初対面で、ときめきはなかった。
なのに、まるで付き合う事が決まったような嬉しさだった。
夕べのネクタイだけで小一時間かかった。
意識してはいけない、と言い聞かせる事に存在が大きくなる。
今日の夕食会で、舞い上がらないようにしないと・・・
やきもきしている間に夕方となった。
あわてて出かける支度をするのも、おかしいだろう。
オレはわざと、どうでもいいような電話をかけ、メールをした。
見なくていい資料に目を通し、ワードを開いて仕事のふりをした。
川本がやってきた。
「部長、そろそろ、加瀬の・・・ よろしいですか?」
『おお、そうか、あ、5時まわったな、すまん、待たせたな』
加瀬が、照れくさそうに、小走りでやってきた。
かわいいなあ・・・何でもない仕草だが、大人のかわいさが際立つ。
オレみたいな、おじさんからすれば、女子だもんなあ・・・
『じゃあ行くか?』
「はい!」
「加瀬。お土産にティファニーか、カルティエ買ってもらえるらしいぞ」
『おい!松野、何言ってんだ。お前が買ってやれ』
いつもの冗談に送られてオフィスを出た。
月曜の夕方は帰宅ラッシュで混雑していた。
駅に向かって歩く2人。周りにはどう見えるんだろう?
オレはいつものステンカラーのコートとスーツ。
ブルーのワイシャツに黒のネクタイ。ちんけな殺し屋風。
加瀬恭子は、黒のスカートにブーツ。白のセーター。
キャメルのロングコートに、薄いラベンダーのストール。
靴のせいか?やはり背が高い。175はあるだろう。
周りの人々が小さく見える。いや、誰も見えていない。
オレは加瀬恭子だけを見ている。
そんな事を思っているオレの隣で彼女が言った。
「あ~やっぱり、そうだ。部長と歩いてわかりましたよ」
『なにが?』
「歩幅です、私ね、ほかの女性と歩くとき、気を付けてるんです。
私、ズカズカ歩いちゃうから、速足になるのでゆっくり歩くんです。
部長となら、気にせず歩けるから、楽なんですよ!」
『うれしいな、ありがとうね。』
そう言った瞬間、妻が浮かんだ。
26年、お前の歩みに合わせたけど
結局、歩幅が合わなかったみたいだ。
彼女なら生きる歩幅も合うのかな?