ネクタイ
8畳のフローリングの部屋。
ベッドとテレビ。机。小型の冷蔵庫。TVゲーム。
息子2人が就職で家を出たおかげで、手に入ったオレの部屋。
クローゼットを開けて、ネクタイを選ぶ。明日、どうしようかな?
スーツもネクタイも、黒を基調とした暗いものばかりだし。
別にいつも通りでいいのだが、できれば、少しでもいい格好したい。
PCで50代ファッションを検索。ネクタイ1本で長い間迷う。
おかしなもので、オレはあの加瀬恭子がずっと気になっている。
初対面の時から(背が高いという外見だけでなく)なんと言うか
普通でないというか、特別な感情を抱いていたのかもしれない。
あの時松野が、はしごが要るなんて、つまらない冗談を言った時
オレはイラっとした。彼女の顔を見た瞬間、この子を守りたいと思った。
あれ以来、オレは、あの子の姿を目で追っていたのかもしれない。
だからこそ、ちゃんと務まるか?辞めないでほしいと思ったのだろう。
長身で大柄だが、きめ細やかな女らしい一面を持つ。
常にお笑いキャラだが、根は真面目で几帳面だ。
天真爛漫のようだが、常に周囲に気を使い、バランスを取ろうとする。
本当は繊細な心の持ち主なのかもしれない。
イイ子だと思うんだけどな。気になってしかたがない。
『加瀬くん、明日行く店、決まったのかい?』
「私、いろいろ調べてたんですけどね、ターミナルビルのレストラン街
天空のプロムナードでしたっけ?あそこに行ってみたいです」
天空のプロムナードは、この街の駅ターミナルにある商業施設。
2つの高層ビルに挟まれた通りを、巨大アーケードが包む。
天井の丸形アーチはガラス張りで、ビルの灯りが反射し、星が輝くように映る。
そこから天空のプロムナードと命名された。ドラマのロケにも何度か使われて
週末ともなればカップルでごった返す。
あそこのレストラン街か・・・
オレ的には、駅の反対側のホテルのほう考えてたんだけどな。
そこは、外資系のホテルが並ぶエリア。
別にやましい魂胆があるわけではないが、
できればホテルでディナーを、と思っていたから当てが外れた。
まあ、夕食会がフランス料理では堅苦しいかもな。
そんな事を考えながら、まだネクタイが決まらない。
きっと、加瀬恭子はネクタイなんか見てないよな。
もう1時半だ。寝ないと。
ネクタイ1本で1時間近く迷った。
まるで、若い子のデートじゃないか。
勝負服を用意して、空振りに終わる50代なんて、哀れすぎる。
結局、普段よく締めている黒っぽいネクタイにした。