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「ゼペット、ねえ、君は何者なのかな」

 「というわけで、彼女がイプシィ=ロンデルタ。昨今のファフロッキーズの異常出現に対応して、当基地の強化のためにやってきてもらいました」


 リウス司教に彼女の紹介をされたのは、シャワーを覗いたあとのどたばたがひとしきり終わってからだった。なぜだからわからないけれど、シャワーを勧めてきたシィが絶対零度の眼でぼくを見つめていた。イプシィはリウス司教の隣で顔を伏せながらも、ちらちらとぼくの顔を伺っている。ロールのデュアルアイがぺかぺか光る。


 「さ、挨拶を」

 「……」


 赤面して喋れないイプシィに、ミューが助け舟を出した。


 「『ふつつつつか者ですが、よろしくおねがいします。みなさんと仲良くやっていこうと思っていますが、さっそくシャワーを覗かれました。もう無理です』って顔しているよ」


 この2人はどれほどの付き合いなのだろうか。以心伝心といえた。もっともあのイプシィと友達ということは、これくらいできないとコミュニケーションがそもそも取れないのかも知れないけど。


 「彼女のコッペリアは非常に特殊な機構を有しておる。して、君らはあの機体の名を知っておるか?」

 「……知りません」

 「言ったじゃん!」

 「そもそもいったいどんな能力で?」

 「全部説明したじゃん!」


 司令室、リウス司教がデスクの上に手を置くと、天板に緑色の線が走った。まるでリウス司教の手のひらを認証したかのように、天板に無数の文字が流れては弾け、司教が『ホログラフィックディスプレイ』と呼ぶ、立体映像が結ばれる。


 「『エレクトリシタス』」


 薄い緑色に塗られた、淑女型の機体。この前線基地、四機目のコッペリア。それはこの基地に配備されていた残りの三機のどれよりも人間を模していた。つばの広い帽子に、細身のシルエット。ぶわっと広がるロングスカートに、手にした日傘。


 ――これを遺した賢者は、何を思っていたのだろう。


 たしかにコンソールグリップと『ToeIC』で動かすコッペリアというものは、人間型であればあるほど直感的に操作ができる。ヒトを模していないコッペリアは見たことがなかった。ヒトを模しているファフロッキーズを見ないのと同じように。


 リウス司教がデスクの上に表示されたその機体の像を、ぐるぐると回す。ぼくたちはそれを見つめている。スカートの端を掴んで一礼をしたその機体から、球体ユニットが転がり、小人のかたちに変形する。


 「電気の姫君『エレクトリシタス』は、従者ユニットを備えておる。電子の従者『エレクトロン』。七体存在する彼らを巧みに操作をするのは非常に難しいのだが、彼女は見ての通り、まるで生きているかのように操作をすることができる」


 「小さい頃から人形遊びばっかりしてたからね〜、イプシィは。わたしたちの住む区画がファフロッキーズに滅ぼされたときからずっと、こんな感じ。手持ちの人形がゼロになれば、昔みたいに話ができるんだけど、すぐ買い揃えちゃうんだよなあ」


 ミューのぬいぐるみ解体癖の理由がわかった気がした。

 たしかにあのコックピットの中でどんな操作をしているのかはわからないけれど、たとえそれが糸で操られたマリオネットであったとしても、七体の個体をそれぞれ動かすのは、無理な話だ。それを、秒単位で状況が変わる戦場で、それぞれ適切に動かしていたイプシィの技量は想像の域を超えている。


 「はい」

 「なんだね、シィくん。そんな人を殺しそうな眼をして」

 「シャワーを覗ければ誰でもいいのかと軽蔑をしているんです」

 「ほっほ。自分だけを見て欲しいということじゃな?」


 リウス司教がそんなことを言うものだから、シィが耳まで真っ赤になってしまった。首を横に振って、地団駄を踏む。


 「ちがいます! ちがいますからね! それよりも質問です。『でんき』とか『でんし』ってなんですか?」


 やっぱりポンコツだ。

 ぼくは静電気からはじめて簡単に電気というものについて説明をした。雷、陰極線から示される電子という存在。磁界と電界と――、電磁波が――、マクスウェル方程式が――、ってあれ。


 「よ、ようはビリビリ、ビリビリですよ」

 「ビリビリ、危ないわね」


 とシィは妙に深刻そうな眼でイプシィを見つめたけれど、リウス司教は驚いたような表情でぼくを見つめていた。ロールが無表情に見上げている。イプシィは緊張に耐えられなくなったのか、手元のトランクケースを開いて人形を話し始めた。


 「ゼペット君、どうして君はそんなに詳しいのかな?」

 「……い、いえ、だってほら、ミューが『エレクトリシタス』の説明をするときに」

 「ボクはそんなことまで話してないよ。初耳」


 ミューはそのぼさぼさの髪をかきあげて、ぼくを見上げる。その眼はいつもの眠たそうなそれではなく、深い海のような底知れないものだった。


 「ゼペット。ボクはずっと君を気にしていたんだ。シィみたいな意味ではなく、ね。ゼペット、ねえ、君は何者なのかな」

 「ぼくは……」


 一歩後ずさる。ロールは助太刀するわけでもなく、じっとぼくを見つめている。リウス司教も。イプシィは人形と話しているし、シィはビリビリを試そうとしているのか、彼女に人差し指をゆっくりと近づけている。


 ぼくは何を話したんだ。

 雷? 陰極線から示される電子という存在? 磁界と電界? 電磁波? マクスウェル? 霧の向こうに閉ざされた記憶の扉。ぼくはその単語を知りはしない。けれど、頭のどこかでそれを確実に理解している。それは賢者の時代に失われた、ロストテクノロジーと呼ばれる領域の知識だ。


 「……わかりません」

 「はぁ?」


 ミューが怪訝な顔をする。


 「あれだけ喋っておいて、わからないって? 『ぼくは何を話したんだ』って顔してるけど、もしかしてそれって芝居じゃない? まじのやつですか?」


 頷くぼくに、リウス司教が助け舟を出してくれた。


 「ゼペット君とロールはふたりで行き倒れていたところを、私が拾ったんです。どこから来たのか、何者なのかもまったく不明。そしてゼペット君『は』記憶喪失らしくて、何か思い出したら私が教えてもらいたいくらいなんですよ」


 リウス司教の優しい表情。年齢を聞いたことはないが、白髪に、顔には皺が目立っている。ぼくが拾われてから(記憶がある限りは)ずっと変わらない『おじいちゃん』であり、ぼくとロールの『育ての親』だった。


 右も左もわからないぼくたちに、リウス司教は街のことを教えてくれた。魔石のこと、ファフロッキーズのこと、コッペリアのこと。生きていく術。そして、司教の一族に伝わる、賢者の時代の智慧。


 彼がいなければ、ぼくたちは野垂れ死んでいただろう。


 「記憶喪失ぅ? そんな小説の主人公じゃあるまいし」


 ミューがそんなことを言う向こうで、『ビリビリ』を試そうとイプシィに指を近づけていたシィが、静電気でも受けたのか、跳びはねるように指を離した。『やっぱりビリビリなんだ!』という驚きと感動の入り混じった表情をしていた。イプシィは人形とお話をしていた。


 ミューの前にロールが立ちふさがる。


 「ゼペットは本当に何も憶えていないわ。もしかしたら天才科学者だったのかもしれないし、妄想癖が過ぎる小説家だったのかもしれない。とはいえ、その記憶の片鱗は時折こうして顔を覗かせるみたいね」


 ぼくはぼくの手のひらをじっと見つめる。

 ゼペットと言うぼくはいったい、誰なんだろう。


 「じゃあ、ロール、あなたは何か憶えているの?」


 ミューの質問に、ロールは無表情のまま、ぼくを振り返り、そしてミューに向き直った。デュアルアイが濡れたように輝いている。


 「憶えていないわ」

 「本当に?」

 「本当よ」

 「嘘って顔に書いてある」

 「あら、いやだ」


 ロールのデュアルアイを覆うバイザーには『嘘』って表示されていた。そんなお茶目な真似をするロールに、ぼくは開いた口が塞がらなかった。


 「ロール、憶えているの?」

 「さぁ。でも、わたしが憶えていようと憶えていまいと、この『物語』には何の影響もないわ。ゼペットが思い出さないと。でも、思い出さなくてもいい。わたしはこの生活が気に入っているし、わたしの役割ロールなんて果たされなくていいのだから」

 「……何を言っているの」

 「戯れ言」


 ロールのデュアルアイがぺかぺか光る。記憶があるかぎり、ずっと一緒にいる、母のような姉のような存在。この世界では原理を説明できない、機械の身体に人のココロ。記憶を喪ってずっとひとりぼっちだったぼくの、唯一の支えだった彼女。


 ――まぁ、こんな適当なことを言うの、これが初めてじゃないけどさ。


 「わかった」


 ミューが急に声を出した。


 「ゼペットの記憶を戻そう。ボクにはいまのすらすらすら〜っと喋った知識が嘘だとは思えない。ゼペットの記憶が戻れば、『マグネス』だってもっと強くできるのかもしれないし、新規のコッペリアだって建造できるかもしれない。ねえ、ゼペット、それってすっごく――」

 「楽ができそう?」

 「バレた?」

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