8 隣国からの奇襲者
「さぁてと、午後もがんばりますかね、姫」
「ええ、はじめましょ」
昼食が終わって気分も切り替え、再び執務室に戻ってきた。
午前中に、いくらか書類の山は崩したが、午後になってまた新たな山ができた。いつものこととはいえ、ため息をつきたくなる。
それでも、やらなければ当然のことながら減らない。
執務モードへ帰るために、一度固く目を閉じてから、再び目を開けた。
そのタイミングを計ってリュークが書類の一番上の書類を取り上げる。
「さて、一枚目……ん?」
「リューク、どうし」
どうしたのかと最後まで言えなかった。
言葉を遮ったのは、執務室のドアを派手にあけた音と、遠くでいつもの「魔王ー!」と叫ぶ侵入者の声だった。
向こうはとりあえず放っておいてもいいだろう。
対処すべきは、執務室に飛び込んできたアリウムとメイアリアの方だ。
「リーナっ 大変だ!」
「リリアヌナーダァっ えらいことになったよっ どうしよう!」
メイアリアはともかく、アリウムまでノックもなしに走りこんできたのは、相当なことが起きたのだろう。
だが、なんとなく嫌な予感がする。
アリウムが走るなど、メイアリアがこの城に来た時以来だというのも、その予感に拍車をかけた。
「……ねぇ、リューク。聞かなきゃいけないのよね、これ」
「だろうなぁ。聞かなきゃわからんし」
「そうよね」
大変だ、としか言われてないのだから何があったのかわからないし、何があった川かならなければ対処の使用がない。
とにかく二人は、対処してほしくてここへ来たのだろうし。
「とりあえず、二人とも落ち着いて。何があったの?」
「現在進行形で”ある”んだっ」
「えらいこっちゃなのよっ」
「だから、内容を言いなさい、二人とも」
「「アラン・マーティンが来てる!」」
アラン・マーティン、だって……?
あの乙女ゲームの攻略対象者の一人にして、メイアリアの幼馴染の名前のはずだ。最初の設定では、メイアリアのことを妹同然にしか思っていないのだが、ゲーム中のイベントをクリアしていくとだんだんと恋愛対象として見てくれるようになるというキャラだ。
ゲーム序盤の段階と思われる時間軸でメイアリアがこの国に来てしまっているので、どのキャラクターともろくにイベントは発生していないと踏んでいたのだが。
「……フラグ立ててたの?」
迎えに来たということは(どうやってここにいるのかを知ったのかは疑問だが)、それなりの好意があってのことなのではないか。ということは、序盤にもかかわらずイベントをいくつか発生させたのだと判断したのだが。
「一個もイベント起こしてないわよ! っていうか、やっぱり迎えに来たの?! いやよっ 帰らないんんだから!」
「迎えじゃないの?」
「城に戻ってきたときに遠目で確認したのですが、メイアリア姫が言うには、婚約者候補だとかで」
確かに婚約者候補で間違ってはいない。
攻略対象者であるし、恋愛エンディング全てが結婚式なのだ。
「そういえば、さっきから聞こえてる声って」
「魔王、出てこい!」と叫んでいるのは、アラン・マーティンの声だ。聞き覚えがあると思ったわけだ。
「いやっ 絶対にいやっ」
「落ち着きなさい、メイアリア姫。とりあえず、本当にアラン・マーティンなのか確認しましょう。それから、ここへ来た用件を聞いてみましょう」
いつもならからくり仕掛けを起動させて、さっさと城外へ退場願うところなのだが、攻略対象者ともなれば、その扱いをしていいのか疑問だ。
迎えに来たのではないのかもしれないし。
「謁見の間へ移動しましょう」
とりあえずは、話を聞いてからだ。
話す余地があるかどうかはわからないけれど。
……面倒なことになったものだわ。
謁見の間は、暗殺阻止のために十数段に及ぶ階段の上に、広間とは隔絶された玉座の空間が作られている。
正式な儀式のときは左右にまとめられているうす布のカーテンが引かれるのだが、普段はよけられている。そこのメイアリアを隠した。広間からは見えない。
それを確認してから、リリアヌナーダはゆっくりと玉座に座った。
「城を騒がせたのは、そなたか」
なるべく威厳が出るように低い声を出す。
女声ではいくら声を低くしようとも威圧感は出にくい。だが、少しでも舐められるわけにはいかないのだ。
謁見の間に連れてこられたアラン・マーティンは玉座を見上げてぎょっとして、立ち止まった。
遠目だが、確かにあのゲームのアラン・マーティンそのものだ。念のためカーテンの潜むメイアリアに視線で確認を促すと、頷く。
本人で間違いないようだ。
「魔王、か……?」
疑うような呟きに、是とも非とも答えなかった。
是といえば嘘になるが、緋といえば何も語らないかもしれない。少なくとも、今は国を預かる身なのだ。訪問理由を聞かないわけにいかない。
「我に、一体何用か」
それは一瞬だったのかもしれないし、数分だったのかもしれない。
沈黙の後、アラン・マーティンは何を思ったのはその場に膝をついた。先ほどの、親の敵とでも言いたげな形相はすでにない。
「失礼いたしました。ティラティス王国から参りました、アラン・マーティンと申します。名乗り遅れました部令をお許しください」
いったいどんな思考転回があったのかはわからないが、急に態度が変わった。
敬意を示す態度だ。
何かを企んでいるのだろうかと思うのは、致し方ないと思ってほしい。
「こちらの国に我が国第二王女、メイアリア・ショーン・ティラティス姫が訪問しているという噂を耳にいたしまして参りました。ご存知でしょうか」
「ティラティス王国から、そのような連絡は受けていない」
事実である。突然の奇襲だったのだ。
もっとも、出奔してきているのだから王国から訪問の連絡があろうはずもないのだが。
だが、メイアリアがこの国に来ているということをどこかで知ってきたのならば、やはり彼女の迎えか。
あれだけ嫌だといっていたのだから拒否するだろうが、一応確認のためにカーテンの向こうへと視線を投げる。
メイアリアは、絶対に嫌だというように勢いよく首を振った。
まぁ、そうだろうけど。
「そのような噂も、初耳だ」
「そうでしたか」
噂が出ているのが本当ならば、近いうちに第二派第三派が来たりしないだろうか。
だから、忙しいんだってば。国内の事で精一杯なんだってば!
なんて言う癇癪を起したいのを我慢する。
噂ではなく、子飼いの情報屋からの話だとするならその心配がない。そうであることを密かに祈っておく。
「姫は、春先の一件においての前王の暴挙に、とても心を痛めておりました。こちらの国へも謝罪に訪れたいといっていたそうですので、もしこちらに訪れるようなことがありましたら……」
「そなたが来たことを伝えておけばよいのだな」
「ありがとうございます、陛下」
「礼には及ばぬ」
伝えるだけだ。
言ったところで、あの様子のメイアリアでは素直に国へ帰るとは言わないだろう、絶対。
視線を感じてカーテンの方を見ると、恨みがましくこちらを見ていた。
勝手に国を出てきたそっちが悪い。
「隣国とはいえティラティス王国王都とは距離がある。休んでいかれるか」
「いえ。それには及びません」
「そうか。道中気を付けられよ」
叫びながら城内に入ってきたとは思えないほど丁寧に頭を下げて、謁見の間を出て行った。念のためアリウムが後を追ったが、あの様子なら城内を探索するなどせずに、そのまま城外へ出るだろう。
もっとも、城外へ出た後にこの国にとどまるか母国に帰るかまではわからない。
この国メイアリアがいないという確証は、持っていないはずなのだから。
「あれは、また来るな……」
「ねぇっ リリアヌナーダ! 私を帰したりしないよねっ」
「帰る気は、ないんでしょう?」
カーテンの陰から飛び出してきたメイアリアは、泣きそうな顔で迫ってきた。本当に嫌らしい。
彼が嫌なのか、彼を含めた攻略対象者が嫌なのか。
まぁ、どちらでもいい。
とりあえず、有用な情報をすべて聞き出すまではこちらに留まってもらうつもりなのだ。
それまでは、匿うと決めた。
「まだ、城にいていいわ。安心して」
「ありがとう、リリアヌナーダ」
ほっとしたように笑ったが、リリアヌナーダはそれを若干冷やかに笑い返した。
こういう人物が嫌いではない。
嫌いではないのだ。
…………好きでもないだけで。