7 ブレイク
「そろそろ休憩にしようや、リーナ姫」
「音をあげるのが早すぎるぞ、リューク。あと一刻は付き合ってもらう」
「げぇ」
アリウムの役割をリュークを交代させて5日。
アリウムは毎日のように、メイアリア姫に引っ張られて外へ出ている。それなりに収穫があるのか、あとでまとめて書類にして提出すると嬉々として言っていた。あれだけ露骨に嫌がっていた割には、それなりに楽しんでいるようだ。
反対にリュークは、日に日に書類と向き合うと青ざめるようになってきた。普段から魔法府の研究室にいるのだから、一室にこもることになれていると思うが、扱うものが扱うものだけに、大変なのかもしれない。
「ひーめー」
「……わかった。早目の昼食にする」
有能だが、優秀ではない。
わかっていて登用したことだ。今更、どうこう言っても仕方がない。
それに、たいていリリアヌナーダが書類仕事に飽きてきた頃合を見計らっているので、一概にリュークのわがままともいえないのだ。
時折、実はリュークの子のわがままはリリアヌナーダのためなのじゃないかと思うことさえある。
「お疲れ、リーナ姫」
「お疲れ様、リューク。食べに行きましょうか」
ここ最近は、リュークと一緒に食事をとることが多くなった。
両親と長兄がこの城から出てから一人で食べることが多かった食事が、突然彩ったような気がしたのは、たぶん気のせいだ。気のせいだろうが、それでも一人で食べるよりも楽しい。
王族が主に使用する食堂には、長机にずらりと椅子が並んでいる。
が、実際に使用するのはその一角でしかない。
少し早目の昼食となったが、リュークがあらかじめ連絡していたのか、食堂に入るとすぐにメイドたちが準備を始めた。
用意周到だ。リリアヌナーダがリュークのギブアップにこたえるのも予測済みだったということだ。
「今日のメニューは何かしら」
「蝙蝠のから揚げだったりしてな」
「喧嘩売ってるなら買うわよ、リューク」
蝙蝠嫌いは、リュークも知るところだ。別に、飛んでる蝙蝠は平気だけれど。
そもそも、蝙蝠を食べるという考えがよくわからない。伝書鳩よろしく手紙を届けることもあれば、ペットとして飼う者だっているのだ。
食用蝙蝠だと言われればそれまでだけれど。
「今日は、川魚のフライですよ」
くすくすと笑いながらメイドが教えてくれた。
良かった、蝙蝠じゃなくて。
「カルム魚?」
「はい。姫様が好きな、カルム魚です。今朝から料理長が張り切って、釣りに出ていましたから」
「料理長も、なんだかんだ言ってリーナ姫には甘いからなぁ」
白魚の中でも甘みがあって、昔からリリアヌナーダの大好物なのだ。しかも、その辺の川で捕れると来ている。
よくメニューになる一品だ。
「嬉しいわ。食べたかったの」
「最近、姫様もあまり顔色がよろしくありませんからね」
「……そう?」
「根を詰めすぎなのですよ。少しは息抜きをなさっては?」
「それができるならねぇ」
父が、ここまで執務室にこもっているのを見たことはない。たぶん、慣れると手の抜き方もわかるのだろうが、今は全力投球するしかない。
息抜きは、まだまだ先だろう。
もっとも、そんなことを覚えるより先に両親には帰ってきてほしいのが、切実な願いだが。
ああ、でも今帰ってきたらまずい。
メイアリア姫が滞在していると知ったら、いくら温厚な父でもなんというか。
「お待たせしました、リリアヌナーダ様。今日のカルム魚は新鮮ですぞっ」
今にもスキップしそうな上機嫌で料理長が料理の乗ったカートを押してきた。
この機嫌の良さから察するに、かなりいいカルム魚が取れたのだろう。
「料理長自ら川に捕り取りに行ったんですってね、楽しみだわ」
「今日は大量でしたからな、夕食にも一品加えましょう」
「やった!」
サクサクと音を立てる衣をまとったカルム魚が乗った皿が、目の前に置かれる。芳ばしい香りが食欲を誘った。
揚げたてアツアツ。
そういえば、数日前にメイアリア姫が驚いていた。毒見を通さないのかと。その発言こそ驚いてしまったが、彼女いわく、自国では毒見を通すのでいつも冷めていて、作りたての料理を食べるのは転生してからは初めてなのだという。他国の王族は、大変そうだ。
サラダにお魚、焼きたてのロールパンにスープ。
コース料理なんて言う一品ずつ出てくるようなスタイルではないから、好きなものからつまむ。
「そういや、姫」
「ん?」
「気になってたんだが、執務中のあの言葉づかいって何?」
好きなものはまず最初、なんていいうマイルールを作っているわけではないが、せっかく揚げたてなのだからとカルム魚から攻略してた手を止める。
「あれね。お父様の真似」
「なんでまた」
「意識を切り替えるためね。それと、執務室に来る連中になめられないため」
男言葉、とでもいえばいいのか、ぞんざいな言葉遣いにしたのは、最初は確かに意識を切り替えるためだった。
それまでの、お茶して本読んで刺繍して勉強して、なんていう生活から一変したのだ。自分に甘くならないようにという戒めのために執務中だけ言葉遣いを変えたのだが、執務室に訪れた者たちが一様に驚いた様子を見せ、その態度がただの『姫』であったころと変わったことから執務を執るのに必要なことになった。
どうやら、ただの口調の真似のつもりだったのだが、父の面影が重なるらしい。
「なるほど。確かに姫っぽくないもんなぁ」
「……。あなたには、通用しなさそうだけど」
「姫は姫だからな」
ふっと、子供を見るような柔らかい、けれどどこか面白がっているような笑みを向けられて、むっとした。
確かにリュークから見れば子供で、自分の主の妹なのだから小さいころからも知り合いで、年下扱いなのは当然の事だろうとは思うが、これでもこの国の姫という立場にいるのだ。その態度は、どうなのだ。
敬意を示されたら、それはそれで怖い気もするが。
「お兄様がいらっしゃったら、舐められるなんてこともなかったんでしょうけど」
王太子が出奔とかありえない。しかも、そんな状況下で両親まで城を空けるとか、ますますありえない。
そんなありえないことをしてしまう家族を持ったことが運のつきなのだろう。
「王太子殿下は、王位を継ぐことを承認されているしな」
「そうよね。どうして王位なんて無関係だったはずの末っ子が執務をしていなければならないのかしら。重鎮たちだって青天の霹靂だったでしょうに」
当時の混乱を思い出して、ため息をついた。
王が不在のときは、本来なら王太子がその責務を肩代わりする。だが、その王太子は出奔中。次兄も長姉も次姉も三姉も結婚と同時に、王位継承権を返上している。残ったのは、城の一角で優雅に暮らしていた末っ子とか、本当にありえない。
「それなりに教育は受けてきたけれど、王位を継ぐための勉強じゃなかったはずなのよ」
「それでも、何とかやってるんだ。えらいえらい」
頭をなでられた。
リュークの目には、小さな子供にでも見えているのかもしれない。
なんだか、無性に腹が立つ。
兄や姉にやられる分には、全然平気なのに。この態度の製だろうか。
「何とかしなければならない状況に置かれてしまったんだもの。何とかするしかないでしょう。末っ子でも、王族の端くれなんだから」
「そういう性格だから、任せられたんだろうなぁ」
「どういうこと?」
「姫なら、できると思われたんだろ」
それはどうだろう。
兄も両親も後先考えずに突っ走った結果としか思えないけれど。というか、己の欲望に忠実に動いた後始末が末っ子に回ってきたんだろう。
育ててもらったし、可愛がってもらったから、あの人たちのわがままを少しは聞いてあげたいとも思うが。
さすがに、政務は重すぎた。
「……ちゃんと、できている?」
「ああ、ちゃんとこの国は正常に動いているだろ」
「本当に? 食糧危機を抱えて、国民を死の危険のさらしたまま何の打開策も立てられないし、警備府には舐められるし」
本当にできているのだろうか。
もし、この立場にいるのが自分ではなく王太子である兄だったとしたら、いや、父だったとしたら、もっと……。
「リリアヌナーダ姫は、がんばっているよ」
「……ありがとう」
頑張っているだけじゃ駄目なのよ、というセリフは飲みこんだ。
思わず弱音をぶちまけてしまった。アリウムにも、兄や姉にも言えない、弱さ。どうして、この男の前で入ってしまうのか。
聞き上手なのかもしれないわね、侮れないわ。
「さ、冷めちまう前に食べようぜ」
「ええ」
再び魚のフライに口を付ける。
少し冷めてしまったが、それでも衣のサクサク感が失われていない。そのことに、思わず口角が上がった。