5 姫、襲撃
「おっはよー!」
「……。おはようございます、メイアリア姫」
ああ、この部屋も出入り禁止にしておけばよかった。
シーツから顔を出すと、窓の外はまだ日が顔を出すかどうかという空模様だ。いつもの起床時間より、ずいぶんと早い。
吸血鬼の一族も、そろそろ帰宅かという時間。
「前世からの習慣?」
「そうだんだよぉ、まだ暗いうちからたたき起こされて畑の手伝いさせられてさぁ。絶対都会っ子になってやるって思ってたんだ」
都会っ子だからといって遅く起きていいわけではないだろうが、隣の芝生は限りなく青いのだろう。
だが、だからといって他人の寝室に乗り込むのは一体どうなのだ。
しかも、昨日会ったばかりの人間なのだ。
「ここは、農家の家じゃないからゆっくり休んで。誰も無理に起こしたりしないから」
「城でもこんなもんだったよ。自分で支度して朝ごはんになるの待ってたの」
「それはまた、侍女泣かせな……。仕事を取ってどうするの」
記憶が戻った当初は、侍女任せであることに抵抗を覚えたが今はそういう役割なのだと割り切った。自分でできるからとやってしまうと、彼女たちの仕事をとることになり、必然的に失業するものが出るということが分かったのだ。
ギリギリのところで回避したが、自分の行動が人の人生を左右する事態にまでなるという自覚は、当時の自分には足りなかった。
「もともと侍女も少ないもん。それよりさ、暇なの」
「……書庫なら、右の扉。勝手にどうぞ」
もう少し寝ていたい。
今日だって、執務室に詰めなければならないのだ。休める時に休まなければ。昨日のようなイレギュラーがいつ起こるかわからないわけだし。
……もう起こらないといいけど。
「そんなこと言わないでさぁ、付き合ってよ」
「私は、暇じゃないの」
「今は暇でしょ?」
「寝たいんだってば」
睡眠時間を削ってまで、遊びたくはない。
ということを、わかってほしい。
顔を出したシーツに再びもぐりこんで、だんまりを決め込むことにした。
侍女たちが起こしに来れば、否が応でも起きなければならないのだ。そして、国王代理としての一日が始まる。
それまでの、自由時間なのだ。
「ええ! 遊んでよぉ、ねぇってばっ」
「……」
「えいっ」
シーツを引っぺがされるなんて、いったいいつ振りだろう。少なくとも、リリアヌナーダになってからはなかったはずだ。本当に、いったいいつ振りか。
「……メイアリア姫」
「ね、今日もいい天気みたいだしさ。朝食の後は執務室にこもっちゃうんでしょ? だったらその前に、あたしに付き合ってよ」
悪気はないのだろう。
前世の記憶があるのだから、そこからトータルした年齢はそれなりのはずなのに、本当に子供のようだ。
無邪気が一番たちが悪い。
「起きないなら、一人で行っていい? 食糧問題に協力するって約束したから、どんな作物を育てているのか見てみたいんだ」
城外に行こうというのか。
土地勘もない場所に、一人で。
約束という形で成約したわけではなかったが、彼女の中では約束事として確定しているようだし。
…………城外に、一人で……?
がばりっ とシーツを跳ね上げて飛び起きた。
なんだか、今とんでもない発言を聞いた。自分の立場をわかっているのか、このお姫様は。
「すぐに支度するから、ちょっと待って。まかり間違っても一人ではいかないように」
「うん、じゃあ待ってるね」
先ほど教えた書庫にその姿が消えると、頭を抱えて息を吐き出した。
メイアリア姫の滞在を許可した自分には、彼女の安全を保障する義務がある。だというのに、自ら危険に飛び込もうとかどうかしている。
周辺国王家の顔を知っているのは王族のみとはいえ、どこかでうっかりティラティス王国の王女などとばれたらとんでもないことになるということがわかっていないのだろうか。
一応誘ってきたところを見ると、一人での外出があまり好ましくないことはわかっていたようだが。
というか、一国の姫が一人で外出するという発想をすること自体が珍事だろう。前世の記憶がなければ、奇人変人のレッテルを張っているところだ。
「寝るのは諦めるか」
のろのろとベッドから出て衣裳部屋へ移動する。
申し訳ないです、心優しい私の侍女たち。今日ばかりは、自分のことは自分でやるよ。たまにの休みだと思ってください。
心の中で謝罪して、簡素なドレスを選び出す。
置手紙も書いたほうがいいかもしれない。
早くしないと、しびれを切らしたメイアリア姫が一人で出かけてしまうかもしれない。ふとそんな考えが浮かんだ。
なんだか、そんなことをやらかしそうな気がして、気が気じゃなくなる。
鏡台に座るのも時間のロスだと立ったまま髪をとかしてまとめ、着替えたドレスにゆがみがないか確認すると、急いで書斎の扉を開いた。
「あ、もう出られる?」
「ええ」
何か興味がもてる本でもあったのか、床に座り込んで一冊の本を読んでいた。あの装丁は、絵本だったと思ったが。
ずいぶん長い間読んでいない本の内容を思い出すことはできず、首をかしげた。
だが、今それを聞く時間ではないだろう。
「じゃぁ、行こうか」
「まずどこへ行くかを決めないと。近場でいいかしら。馬車だと目立つし」
「そうだね、とりあえずはいいんじゃない?」
とりあえずはって、なんだ。
なんだか嫌な予感がしつつも、近場で満足してくれれば無謀なまねはしないだろうと、屋上へ向かった。
「ねぇ、なんで外じゃなくて屋上に行くの? まさか、飛び降りる気じゃないよね」
「視察に行くんでしょ? なら、屋上で間違いないわ」
人通りが多い大階段を避け、脇の塔にある螺旋階段で上へあがる。
遠回りになるため、あまりここを使うものはいない。
明り取りの窓も少なく、照明代わりの燭台もないのはそのためだ。
夜目のきく魔族はこれくらいの明かりがあれば十分ではあるが、メイアリア姫には薄暗く感じているのだろう。時折外から聞こえてくる音に、びくりと肩を震わせることに気付いて、小さく呪文をつぶやいた。
「わっ」
「気が付かなくてごめんなさい。これくらいの明かりがあれば、大丈夫かしら?」
手の中に召喚した小さな炎が周辺一メートルくらいを照らし出す。
初歩中の初歩の魔法だ。
ずいぶん久しぶりに使った。
メイアリア姫が笑顔になった。
「ありがと、リリアヌナーダ。魔法が使えるんだ」
「魔族だもの」
種族によって使える魔法は異なるが、王族は持って生まれた特性で使える魔法が決まるのだと教えられた。
私の場合は、炎属性らしい。
正直、あまり使い道はない。
燭台に明かりをともすのも、暖炉に火を入れるのも、侍女たちの仕事だ。そもそも炎属性は攻撃魔法が多いのだが、王女という立場上常に守られる側に立つので、自分で攻撃魔法を繰り出すこともない。
はて、他に炎を使う場面などあっただろうか。
「すごいねぇ」
「万能じゃないのが残念だけれどね」
素直に賞賛されれば、悪い気はしない。
期待されるほどのことができないのが、心苦しいけれど。
「で、なんで屋上なの? 上から眺めて視察したなんて言う気じゃないよね?」
「まさか」
眺めただけでは、何も見えない。
地図で見ただけでは、地形以外何も見えないのと同じだ。
そんな机上の話をしたいわけでもないし、メイアリア姫もそれでは納得しないだろう。
「屋上にはね」
ぐっ と鉄製のドアノブをつかんで押し開く。
外から朝日が差し込んできた。
「翼竜たちがいるのよ」
各々が大きなつばさを広げて、まるで朝日にあいさつでもしているかのような巨体の影が数体。それに付き添うようにいるのは、世話係たちだ。
「……よく、りゅう」
「見たのは初めてかしら? じゃぁ、翼竜に騎乗するのもはじめてね。大丈夫よ、大人しいから」
翼竜は魔族の眷属であるから、他国には少数しか存在していないと聞く。見るものを威圧する鋭い目つきと鋭利な爪を持つ見た目とは裏腹に、手なずけてしまえばとても従順だ。
時折じゃれてくるその様は、まるで犬のようで愛らしい。
「リリアヌナーダ様?」
「おはよう、ご苦労様。ちょっと友人と飛んできたいのだけれど、準備は出来るかしら」
「はい、少々お待ちください」
リリアヌナーダの翼竜の世話係がいち早く気付いたので、騎乗の準備を頼む。
自分以外を乗せたことはないが、風も強くないし、近場を飛ぶくらいなら問題ないだろう。
「専用の翼竜がいるの?」
「そうよ。卵から孵った時から私が世話をしてきた翼竜だから、よくないついているの。そんなに怯えなくても大丈夫よ」
「お、おびえてるんじゃ」
「震えているけれど?」
「寒いのっ」
そんなむきにならなくてもいいのに。
まぁ、慣れてなければというのもあるけれど、心理的にこんな巨体を目の前にすれば多少なりとも恐怖心は生まれるだろう。
相手に害意がなくても、うっかり踏みつぶされるなんてこともあり得るのだ。
「準備ができました」
「ありがとう。じゃ、行きましょうか」
世話係の合図で翼竜に近づこうとすると、ドレスの裾を引っ張られた。
その目は明らかにおびえている。
朝っぱらから起こされた腹いせも含めて、逆にその手をつかんで引っ張った。
さっきの強引さはどこへ行ったのかというほど、その目には怯えがある。なんだか、かわいい。
「ホントに乗るの?」
「さっきから言っているけれど、大丈夫よ。行くといったのはあなたでしょう? さぁ、乗って」
翼竜の背に乗せられた鞍に上がると、メイアリア姫を引っ張り上げた。
「ちゃんと捕まっていて」
軽く手綱を引っ張ると、翼竜は屋上を走り出し、柵を越えた。
「ひっ きやぁっ!」
短い、悲鳴になり損ねた声が、落下と浮遊の間に聞こえた。
ばさりと大きな羽音がした後、安定した高度で朝焼けの空に浮かんだ。
眼下に広がる首都に朝日が差し込んで、空と同じ赤に染まっている。
その向こう側には農村の田んぼが広がり、水面もまた赤く反射していた。
たまには、朝に飛行するのも悪くないかもしれない。
「綺麗……」
その光景を目の前にして呆然とつぶやいた声に、なんだかうれしくなって笑った。
「そうでしょう。この国は、美しいの、とても」
だから、守りたいの。
この風景も、この風景の中で息づく民たちも。