2 嵐、到来
「ムカつくわ、あのくそじじいども」
どうして、こううちの高官たちはそろいもそろってムカつく奴らばかりなのか。
「罷免でもしますか」
「能力はあるんだもの、できないわ。持っている人脈も侮れないし。……わかってて言うのはやめて」
研究府からの帰り道。
ぎりっと奥歯をかみしめて、それでも笑みを絶やさずに研究府の建物を出られた自分を褒めてあげたかった。
主食作物の代替品がないか、また急成長する食物を作れないか、などという無茶な提案を持って行ったのだから、多少の嫌味は覚悟してのことだ。
だが。
その嫌味がやたらと長かった。
若手はその話を聞いた途端に面白がって新研究に着手してくれたが、研究府の上の奴らは、難しい顔で、「やはり姫様には荷が重すぎる」「専門知識がない無知」「所詮は末っ子」などという言葉をオブラートに包みまくってねちねちと説教してくれた。
悪いが、専門家ではないがそれなりに各分野に関しては勉強している。
むちゃな要求であることなど百も承知で、万が一の可能性に賭けているのだ。それはひとえに、研究府がこの国のブレーンの集まりだからこそ。
そうしなければ、遠くない未来に餓死者を出す。
事態は切羽詰まっているのだ。
「せめて外交が円滑だったらなぁ……」
自給率が最悪だった日本は、その食料を外国に頼っていた。鎖国していたらとっくに干上がっていた国だ。それだけ、外交に力を入れていたのだろう。
だが、このアルティメーア王国は、魔族の国ということであまり周辺諸国とは仲がよろしくない。
他に魔族の国がないのかと言われれば、かつてこの国が統合しまくったため存在しない。まさかそれが、こんな危機的状況を作り出すとはかつての首脳陣も思わなかっただろう。
「外交、ですか」
「そう。他の国と仲良くしていれば、助けてもらえたかもしれないでしょう? もっとも、難しいのは百も承知だし、今更言ってもしょうがないのだけれど」
「魔族の国と外交をしたがる国があるとは思えませんね」
「だから、難しいのはわかってるって」
この世界と、かつていた世界の違いは大きく種族が違うということだろう。こんな立場になれば、言語の違いや文化の違い、人種の違いが些末なことに思える。
寿命も違えば、種族によっては人の形とは大きく違う。生まれながらにしてその身に宿る力も、人間の脅威となる。場合によっては、人間の精を糧にする者たちだっているのだ。
仲良くしましょうと言って、はいそうですか、となったら異常事態だ。
やはり、国内で何とかするしかあるまい。
「……。着替えてくるわ。中庭でお茶しましょ」
「わかりました。後程」
城の自室前で別れて、静寂が包む空間へ戻る。
この部屋の中は静かだ。周りの雑音は一切聞こえてこない。何年も変わらない景色が、大きな窓から眺めることができる。
臨時とはいえ王座に座らなければならない重責も、国が今置かれている状況からも、一時的に逃避できる。
逃れることができるわけではないけれど、ほっと息を吐き出せる場所だ。
それがわかっているから、侍女たちはこの部屋にいる時は仕事の話を持ってこないようにしてくれている。
ただの、「姫」に戻れる場所。
戻る時間が計算され、適温になった紅茶をカップに注ぐ。
そこに、角砂糖を一つ落とすと一気に飲み干した。
お茶をした後、再び政務が待っている。処理しなければいけない案件は、案外あるのだ。よくもまぁ、そんな状態で、あの両親は出奔してくれたものである。
「さてと、中庭にいかないと遅れちゃうわね」
自分から誘っておいて遅刻では、マナー違反だ。
近くの鏡で、一応身だしなみを確認してから扉を開けるためにノブに手をかけた途端。
ガンっ
ああ、強い衝撃を受けると本当に星が飛ぶんだ。
なんて、結構のんきに考えながら倒れた。
頭が痛い。
「……っ 悪い! いや、リーナっ 緊急事態だ!」
「ちょっと。せめて、大丈夫か、くらい聞きなさいよ。緊急事態ってどうしたの」
「来客だ! いや、たぶん、客だっ」
たぶん客って、客じゃないかもしれないってことかしらね。
……誰、それ。
アリウムがここまで慌てる相手というのにも府が落ちないが、それ以上に「たぶん」を付けられる客なんぞいるわけがないと思うのだが。
「とにかく、来賓室まで来てくれ!」
これまた来賓室か。
どんな客でも、王家の者に会う場合は謁見の間を使うものだったはずだ。
いったい、どんな緊急事態になっているのだろう。
幼馴染によって扉に激突した衝撃で痛む頭を押さえつつ、引っ張られるように廊下を走る。そう、走っているのだ。まじめなアリウムが廊下を走るとは珍しい。
まじめな幼馴染がそばにいたから、自分が廊下を走るのも何年ぶりだというくらいに久しぶりだ。かつては、お転婆が過ぎていろいろ侍従長に怒られたのも懐かしい思い出だが。
それほどの、異常事態ということだ。
アリウムの走る速度に追いつけるわけないのだが、それでものんきにしていられる事態でないことはわかる。ドレスなんて走りにくいものを着ているから足がもつれるが、それでも何とかついていく。
廊下に響く二人分の足音が、やけに耳についた。
アリウムがここまで慌てるのだ。
果たして、自分で対処できる事態なのか。
だが、真っ青になってまっすぐ前を見ているアリウムに問いかけることができない。
とんでもない答えが返ってくるような気がして、目の前にその答えが現れるまで、必然的に対処しなければならなくなるまで、答えを知らないでいたいと思った。
どうせ、答えを知ったところで対処するしかないのだから。
……。
飛び込んだ来賓室で、目を丸くした。
頭のどこかで、道理でアリウムが来賓室を選んだわけだと妙に冷静に納得したのだが、同時に、なんでこんな事態になっているのか、と疑問符だけがあたりを飛び交った。
当然だ。
ココにいてはいけない人物が、ソファで優雅に紅茶を飲んでいたのだから。
「………………。ティラティス王国の、メイアリア・ショーン・ティラティス第二王女とお見受けいたします。ようこそ、アルティメーア王国へ」
言うまでもないが、親交はない。
ないが、周辺諸国の王族はお互いの絵姿を入手するという習慣がある。何かあった時、問題が起きないようにということらしい。何かあった時というのがよくわからないが、だから、顔は知っていた。
というか、このお姫様、例の乙女ゲームの主人公である。本来なら、自分がいじめるライバルであるところの役柄の。画面ではよく知っていた顔。
それが、なぜ目の前にあるのか。
妨害してないよ?
今は自国のことで手一杯なんだよ?
何が起きたの?!
優雅に紅茶のカップを置いたメイアリア姫は、すくりと立ち上がり、ドレスの裾を持って深く腰を下げた。目上の者に対する礼だ。なぜ? 立場としては、同じ「姫」で、国力自体もさほど差はないはずなのに。
……魔族だから、恐れられているのかしら。
「歓迎していただきありがとうございます。初めてお目にかかります、私、ティラティス王国第二王女、メイアリア・ショーン・ティラティスと申します」
「アルティメーア王国第四王女、リリアヌナーダ・リフォン・アルティメーアです。あいにくと両親は国におりませんが、私は国王代理を務めております。ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
メイアリア姫をソファに促して、その向かいに座る。
アリウムも、その斜め横に立った。
親交もない国に突然アポもなしに押し掛けるなんて、非常識もいいところである。しかも、春先に訳の分からない理由で押し入った国だ。
しかも、侍女一人連れてきている様子がない。
いったい何が起きているのか。
「失礼を承知で、リリアヌナーダ様にお願いをしに参りました」
「『お願い』……?」
何を?
なんだか、恐ろしい予感がした。
ホントにやめて、今忙しいから。面倒事は持ち込まないで。
心の中で懇願しつつ、先を促す。聞きたくなかったけれど。
「私を、こちらにかくまってほしいのです!」
土下座をする勢いで、メイアリア姫が頭を下げた。それはもう、勢いよく。だから、がんっ とガラステーブルにぶつかって、紅茶が少しこぼれた。
いや、実況中継している余裕などない。
「…………。失礼、もう一度言っていただけます?」
こうして、台風の目は到来したのだ。