旧王‐ドラッガーキング
ランサーは槍を奮う。
オブジェクトが破壊される。
芸術的な彫刻が破壊される様子はまるで何かの現代アートにようでもあった。
男にはかつて家族がいた。
生活は貧しく苦しかった。
学校には行けなかった彼にはろくに学がない。文字すら読めない。
7人いた兄妹のうち4人は疫病で死んだ。
父親は過労で死んだ。
残った3人兄妹の内、一人は兵士になり、もう一人はマフィアに入り、後一人である男は盗みをして生計をたてていた。
ゲームの世界においてこそ、強靭な肉体を持つが、現実での彼の肉体はけっして強靭ではなく、どちらかといえば、痩せており、喧嘩は得意ではなかった。
しかし彼はずっとテレビで流れるプロレスが子供のころから好きだった。中でもランディ・ロビンソンが好きだった。子供のころはよく彼の真似をしていた。彼の絶対的な強さに憧れていた。
男が子供の頃から活躍していたランディ・ロビンソンが引退をきめる頃、男の生活も困窮を深めた。
親から金をふんだくり、老人や女、子供を襲い生活費を手に入れる毎日だった。食べる物がなく、犬の餌を食べて飢えを凌いだ。
ある日、男は盗品の中から、ヘッドセットを手に入れ、男は泥棒仲間と試しに使ってみた。
言葉は読めないので、仲間におしえてもらいながらやった。
男は天才的な才能を見せた。
反応速度、精神的強さ、そしてなにより、ハングリー精神があった。彼の血族は闘争に特化した才能があった。
男は取り憑かれたように、プレイし続け、ランキングを上げた。男はクラブチームにスカウトされ、程なくして、アメリカで最強のプレイヤーになった。
先進国であるアメリカではすでにエレクトロニカと呼ばれるゲームの巨大な大会が行われていた。
人気、市場、法律、全てが用意され、土壌が整っていた。
コズミックフロント社はそこに目をつけ、ナイツオブワンダーランドの基礎となる対人プログラムを備えたゲーム、「アレーナ」を試験的に発売し、一定の成果を得ていた。
男の境遇はアメリカンドリームとして一躍人気者になった。
使いきれないほどの金を手に入れた。
迷惑をかけた親に、家と車を買ってやった。
金があればなんだって手に入ることを知った。
人生で一番幸福な時だった。男は毎晩遊び歩いた。楽しさのあまり、親の死期が近づいていることに気がつかなかった。
男は親の葬式にも出ずに、遊び続けた。
やがて、戦うことしか知らない男の周りに多くの応援者という名のハイエナがたかった。
聞いたことのない親戚から連絡があった。「あなただけに耳よりの情報があるんです。この金融商品を買えば来年にはあなたの資産は10倍になりますよ。これは有益な投資ですよ」
翌年どころか、翌月のことだった。資産は10倍どころか、半分になっていた。
かつて自分の妻だった女は言った。「あなたのことを愛している」と。
金を失うと、かつて妻だった女は娘を連れて出ていった。妻が愛していたのは
「自分」ではなくて、自分の持っている「金」のほうだった。莫大な慰謝料を請求され、残ったのは莫大な借金だけだった。
男は思った。また稼げばいい、と。
それはほんの些細なことが始まりだった。少しずつ、スコアが落ち始めた。ちょっとした反射神経の遅れからだった。次第にその反射神経の遅れは、彼の選手生命をおびやかすものになっていった。
勝てるはずの格下の相手に負けた。
チャンピオンに訪れた年齢による老化。彼はプロになるには年をとりすぎていた。
彼らの戦いはコンマ0秒を競う。それが遅れるということはつまり、選手生命の終を示していた。
かつて男が好きだった、ランディ・ロビンソン同様、終りが迫っていた。
世間は弱い王者など求めていなかった。
一斉に男の人気は失われた。
男にはもう何も残っていなかった。
雇用者であるコズミックフロント社から呈示されたのは引退の二文字だった。男は絶望した。
落ち目の男の前に雇用者はある製薬会社、ノバメディカルの医者を紹介した。これまでに何度も他の落ち目のプレイヤーを華々しく返り咲かした名医だという。
男は藁にでもすがりたかった。医者はある薬を与えた。
男は、薬の力など、本心では信じてはいなかった。
しかし効果はすぐにあらわれた。スパーリングにおいて彼は、なんと全盛期の自分のスコア更新を記録した。
男は思った。これで勝てる。これで家族を取り戻せる。
男に処方されたのはベンゾジアゼピン系抗不安薬とメチルフェニデート系やアンフェタミン系の精神刺激薬を独自にブレンドし、その薬効を模倣した電子医薬品。その性質は生物の中枢神経を異常活性化させる。
得られる効果は、絶大な集中力。反射神経の向上。苦痛、疲労、不安の一時的減少。
薬の名は「パラノイア」。
男はチャンピオンに返り咲いた。もう一度栄華が訪れた。
しかし男が最強でいるためには薬に頼る必要があった。
効果が切れると、それまでの疲労、苦痛、不安がすべて津波のように押しかかった。男は後にその状態を「悪魔がやってくる」と表現した。
男は薬が手放せなくなった。すぐに処方量を越えた。
そして男は、偶然にも友人の友人と、「パラノイア」の取引をするようになった。既製の「パラノイア」には一月の使用回数に制限がかかっているが、友人から入手した「パラノイア」には使用制限がなかった。
電子医薬品とこれまでの経口摂取型の医薬品の最も異なる点は、
電子医薬品は一度データとして受け取れば、データで構成されているため、その後は、いちいち薬を買いに行く必要がない点だ。使用した分が口座から自動的に引き落とされる。さらに個人によって使用制限がかかっていて第三者には譲渡ができなくなっている。
友人からもらった海賊版「パラノイア」にはこの制限もなかった。
男は「パラノイア」を無制限に使えるようになった。男は最強の力を欲しいがままにできるようになった。
妻と娘を取り戻した。莫大な金も取り戻した。ただ男にはもう、このとき金などどうでもよかった。男は失ってから気が付いた。大切な家族の存在に。もう金などどうでもよかった。今では、母親の写真も肌身離さず持ち歩いている。
男は幸せだった。
男の幸せに比例して、男の薬を使う量は日に日に増えていった。
男は幸福のあまり気が付かなかった。海賊版「パラノイア」には使用するたびに引き落とされる料金が上がっていくシステムがあることを。
男の三回目のタイトル防衛戦。
男はリングにあがると挑戦者があらわれるのを待った。
現れたのは、かつて自分からタイトルを奪ったプレイヤーだった。
男はそれまでの恨みをはらすように、ありったけの力で武器を振るった。かつて自分を絶望におとしいれた対戦相手は、弱くなっていた。あまりに弱かった。男は自分の力に酔いしれた。やがて対戦相手は命乞いをした。男は相手が惨めに思えた。何故だか、その時、三万人も観衆の中から妻の声が聞こえた気がした。
次の瞬間、目の前の対戦相手の姿が、知らない男に変わっていた。その姿はひどく痩せ、目がくぼみ、見るに堪えない程に醜い、怖ろしい姿をした化け物がいた。男はそいつを知っている。薬がきれると自分の前に現れる、「悪魔」だ。その「悪魔」は血塗れだった。
何かがおかしかった。気が付くとさっきまで観客でうめつくされたスタジアムから観衆が消えていた。
そして男の前には血だらけの女がいた。そこは知らない部屋だった。
男が次に気が付いたとき、そこは冷たい独房の中だった。
電子薬物法違反、さらに二件の殺人事件の容疑者として男は収監されていた。
「パラノイア」その薬物は医療にも用いられるが、医師免許の無い者による、使用は法律で禁止されている「違法薬物」だ。
依存性が強く、幻覚作用を持つ。
男は鏡を見る。あのスタジアムにいた痩せた男が自分であることにはまだきがついていない。
ただ、あの日、目の前にいた女がかつての妻であったことは知っていた。
男には元妻とその現夫の殺害の容疑がかけられている。
あのスタジアムの夢は、あの日から繰り返し見る、悪夢だ。いつからが男の幻想だったのか。一度目のチャンピオン陥落から、「パラノイア」を使いだした頃からだった。
男はかつて自分が得意としていた、相手を掴み地面や床に叩きつけるパイルドラッガーという技の名と、違法薬物に溺れたその皮肉な姿から、ドラッガーキングという名がついた。




