ミステリー・スクール
『えー。我が高校のミステリー研究部は部員を募集しています。入部希望者がいたら、北校舎2階のミステリー研究部の部室までお越しください』
マイクのスイッチを切り、ふぅとため息をつく。
こうして全校放送するのはとても緊張する。相手が見えないとはいえ、マイクを通した自分の声を聞くのはキライだ。
初めてのマイクを使った感覚に気持ち悪さを感じながら、仕事は終わったことに安堵する。
……ハズだった。
「あっ……。全校放送じゃなくて図書室だけに放送しちまった」
「もう、しっかりしてよ。仮にも、次期部長でしょう?」
「す、スイマセン。部長……」
はぁ、これは、明日放送し直しだな。言葉の出ないため息をつき、俺はうなだれる。
ちょうど同時刻に、この学校でとある事件が起きていたとは、このときは知るよしも無かった。
県立夜城高校。総人口2万人の小さな港町の中で最も大きな高校。文化祭や体育祭が行われる日は、街中が活気に満ち溢れるほど地域と密着した高校だ。
そんな夜城高校には奇妙な部活が存在していた。
その部活の名は、『ミステリー研究部』通称ミス研。
日常に起こる不思議なことや、歴史に残ったような超常現象を調査するというのが活動の主旨の部活。
そして、今日もこの奇妙な部活に新たな訪問者が訪れていた。
「とりあえず、落ち着きなさい。ここにいれば安全だから」
蒼白な顔で座っている目の前の少女を見て、彼女は優しく微笑んだ。夜城高校のマドンナとも呼ばれている彼女の笑顔は、異性のみならず同姓すら惹かれてしまう魔力を秘めている。
腰までありそうな長い黒髪に、きりっとしたブラウンの瞳。高校3年生でその容姿もさることながら、成績優秀、運動神経抜。
誰もがうらやむ才色兼備なこの少女がミス研の部長、如月智香先輩だ。
「まぁ。日向君は全然役に立たないけど……」
横に立って話を聞いていた俺は思わずズルッとずっこけそうになった。
「俺はこれでも日々頑張ってますから!」
このように部長にいじられている俺の名前は、藤崎日向。夜城高校の2年生で平凡たる能力の持ち主。何をやらせても平均な俺は、よくいえばオールマイティであり、悪く言えば特徴のない。
人一倍にミステリーが好きな俺は、昨年の春に部長の勧誘によりミス研の部員となっていた。といっても、ミス研の部員は部長と俺の2人しかいないのが現実なのだが……。
では、なぜこのような廃部寸前の部活が残っているのか、それはほかならぬ部長の非凡なる才能のおかげであった。
さまざまな人脈を持ち、色々なところで支持を受けている彼女がいるおかげでこの部は成り立っている。
「でも、部員だけは増えないのよね……」
「入部テストがなかったら絶対この学校一の大きさの部活になってますけどね」
俺はボソリと呟いた。ミス研に入る為には、部長が用意した難解な問題を解かなくては入部が認められないからである。
例えば、『アメリカのハードボイルド・ミステリーの始祖とされる作家は?』といった問題が出されたりした。
ちなみに答えは、ダシール・ハメット。
そんな難解なテストを平凡たる俺がクリア出来たかというと、ミステリーと言う分野に関してだけに特化していた。
そのおかげで、俺はミス研に入部できた。
「おっと、話はずれちゃったわね。少しは落ち着いた?」
智香の問いかけに目の前の少女はコクリとうなずいた。
「えっと、遠山美咲ちゃんだっけ。今日はどういう用件で我がミス研に?」
俺たちの目の前に座る少女の名は遠山美咲。文芸部に所属している新入生だ。確かこの前のコンクールで入賞していたな。
「あの……。実は相談したいことがあって……聞いてくれますか?」
美咲は何かに怯えるようにこちらを見ている。
「もちろんよ。日向君、紅茶を入れてちょうだい」
「執事じゃないんですけどね……」
部長が手をプラプラと振って俺を促す。深いため息をついた俺は、しぶしぶ奥のポットにお茶を汲みに行く。
「それで、相談したいことって?」
「はい……。先日、放課後、図書室で勉強をしていたんですが、いきなり近くにあった新聞紙が燃えたんです」
「新聞紙が燃えた?」
決して穏やかでない相談に智香の目が光った。色々な事件が巻き起こることで有名な夜城高校だが、モノが燃えると言う事件は初めて聞いた。
燃えると言う観点から事件を絞っていけば、放火、或いは自然発火のどちらかだが……。
顎に手を当て考え事をする智香の前に紅茶の入ったティーカップが置かれる。湯気と共に紅茶の甘い香りが、部室内に充満する。
美咲の目の前にも紅茶を置いた俺はお盆を片手につぶやいた。
「自然発火現象ですかね?」
「……自然発火現象?」
頭の上に『?』マークを三つぐらい浮かべる美咲。
「自然発火現象の線は薄いわね」
そもそも自然発火とは、人為的に火をつけることなく出火する現象である。近年の火事の原因としても少なくない要因としても挙げられている。
自然発火の主な原因として挙げられるのは、酸化による発熱燃焼、落雷による発火、集光による発火、不安定な物質の自然発火などが上げられる。
「でも、集光による発火ならありえますよ。水の入った金魚鉢、窓に貼った透明の吸盤でさえ発火の要因に繋がりますから」
「そうね、でも今回の事件は火の光が入りにくい図書室で起こっている。集光の可能性は極めて低いわね」
「やっぱり、旧日本兵の祟りなんでしょうか……」
美咲は声を震わしながらその言葉を口にした。いや、声だけではない。彼女自体が極度の恐怖から震えている。
「祟り? 何で貴方が旧日本兵に祟られるの?」
「学校の七不思議を友人から聞いたんです。校内でモノが勝手に燃えるのは旧日本兵の霊が敵を求めてさまよっているからだって……」
「そんなバカな。第一、そんな七不思議なんて聞いたことがない」
俺は手のひらを上に向けて首を横に振った。
「……よし、私に任せて。必ずこの事件の真相を明らかにしてあげるわ」
勢いよく立ち上がった智香はガッツポーズをとった。七つの怪奇が呼ぶ不可思議な事件の第1件目の事件がこの炎の事件だった。
「少女の周りで起きる発火現象。日向君はどう見る?」
美咲を部活場所まで送った2人は、ミス研の部室に戻って事の整理をしていた。
「自然発火現象の線がないとすれば、やっぱり人為的な放火となりますけど……」
「私もそう思っていたところよ」
「問題は、誰がどのような目的を持ってこの事件を起こしているかですね」
俺はソファーに深く腰掛けると先ほど自分が入れた紅茶を一口飲んだ。インスタントの安い紅茶だが、舌の肥えていない俺にとってはただの甘いお茶でしかない。
「七不思議は、言い換えれば心霊現象だったりするわけですよね。幽霊が犯人だってことはないですよね?」
天井を見上げて俺は少し苦笑を浮かべて呟いた。それもそうだ、幽霊が事件の真犯人と言うのは我ながらバカな考えだと思う。
「さぁね。でもいたら、それはそれで面白いかもしれないわね」
「マジですか」
俺は思わず苦笑してしまう。この人は全くそこが知れない。
「日向君が思う心霊現象って何?」
「心霊現象ですか。うーん、パッと思いつくのは金縛りですかね」
紅茶を一口飲んだ後、智香は静かに答えた。
「金縛りは心霊現象ではないわよ」
部長のその言葉に、危うく飲んでいた紅茶をこぼすところだった。
「えっ!? あれって科学的根拠があるんですか?」
「金縛りは、科学によって証明されているわよ。もしかして、知らなかったの?」
シレっと答えた部長に俺は仰天していた。まさか、金縛りが科学的に証明されていたとは初めて知った。
「ちょうどいい機会だし教えてあげる。金縛りといっても大きく2つに分けることが出来るわ。1つは、目と意識は働いているのに体が動かない状態、もう1つは、実際は目を閉じているのだが目を開いていると錯覚している状態よ。金縛りにあったときに幽霊を見たと言うのは後者ね」
ソファーから立ち上がった智香は、本棚の中から分厚い本を取り出す。
「金縛りのメカニズムは、脳は起きているのに体は眠っているというズレから生じるのよ」
「脳は起きているのに体は眠っているですか……」
部長が開いたまま手渡したハードカバーの本に目を通す。そこにこう書かれていた。
幻視や幻聴などを伴うことから、金縛りを心霊現象の一つとして語られることも多いが専門的にはレム睡眠の特殊な場合に起こる睡眠麻痺とよばれる生理的な現象である。
レム睡眠で、ほとんどの人は夢をみている。つまり、脳は起きている状態に近く、筋肉はゆるんでぐったりしているという身体の眠りである。
このレム睡眠時に目が覚めると体の力が抜けきっているため、すぐには動けず金縛りといった状態になる。
金縛りは若い人に多く、不規則な睡眠習慣や睡眠不足、心身のストレスが溜まっているようなときに起こりやすいといわれている。
「金縛りはレム睡眠が関係していたんですか……」
「そういうこと。旅先のホテルとかで金縛りにあったりするのは、脳が興奮状態にあるために睡眠麻痺を起こしやすかったりするわ」
ハードカバーの本を本棚に返しながら智香はそう言った。
「世の中の心霊、超常現象の99パーセントは科学で証明できると私は思ってる」
「それじゃ、残り1パーセントは?」
「科学の常識を超えた何かよ……。さて、今回の事件はまだ情報が足りないわ。七不思議と言うからには誰かは知ってるはず、まずは聞き込み調査ね」
とりあえず、校内を歩いていた生徒に聞き込みしていったが、有力な情報が得られたのはたったの三人だった。
有力な情報その1 化学実験室の掃除をしていた男子学生
「その七不思議なら知ってますよ。えっ? いつ聞いた? そうですね。僕が聞いたのは先週友人に聞きました。何でも、いきなり紙が燃えるらしいですから怖いですよね」
有力な情報その2 3階西廊下で筋トレをしていた男子学生
「ふぅ。いい汗かいたぜ。んっ? ああ、その話なら聞いたことあるぜ。俺の友人の場合は、何かが燃えたんゃなくて、壁を通り過ぎた赤い火の玉みたいな赤い点を見たらしいがな。さて、俺は今から、腕立て300回やるから、またな!」
有力な情報その3 裏庭の石の上で瞑想をしていた女子学生
「幽霊? ああ、あれなら私は見たぞ。 図書室から出てきたときに髪の長い女性がいきなり追いかけてきたんだ……。女性はものすごい速さで追いついてきたかと思うと私にこういったんだ。『財布落としましたよ』とな。そういえばあの時、図書室が薬品臭かったな」
「最後の人は明らかに有力情報じゃないですよね。普通に財布落としたのを拾ってくれたいい人じゃないですか!」
「う~ん……」
「あれ? 何か俺スルーされてる」
「これはかなり絞られたんじゃないかしら」
2階の廊下を歩きながら、智香はそう言った。夕方時の紅い太陽光が廊下を染め上げていて、2人の影を長く引き伸ばしている。
「次は事件現場にいくわよ」
次に部長と向ったのは、つい最近事件が起きた図書館。
「ボヤがあったのは、ここみたいですね」
長机の端に少しこげた跡があったので、すぐにここが事件の現場だと分かった。
「話のよると、ここで読書をしていた男子学生の近くに置かれてあった新聞がいきなり引火したとの事です」
「置いてあったの?」
「はい、その人の物じゃないみたいですね。情報によると、6件中、6件とも持ち主の物ではないものが、他人の前で発火しています」
「如月! なにしてるんだ?」
図書室の入り口から聞こえてきた中年の男性の声に俺と部長は振り向いた。
「轟先生でしたか。今日は、七不思議を追ってここまで来ただけですよ。轟先生こそどうしてここに?」
「んっ? 俺は、明日の授業で使うプロジェクターを取りにな」
少し小太りな化学の先生が倉庫の鍵をこちらに見せながらそう答えた。
「プロジェクターとレーザーポインタは来週の学校紹介でも使うからな。慣れておかないと大変なんだ。おっと、会に間に合わなくなる。それじゃあ、気をつけて帰れよ!」
轟先生はそう言い残すと、足早に図書室から立ち去っていった。
「轟先生も忙しそうですね」
「……」
「部長? どうかしたんですか?」
「なるほどね。日向君。部室に帰るわよ」
「は、はい?」
不敵に微笑んだ部長の後を追いながら、俺はミス研の部室に帰ってきていた。
ミス研は、ずいぶん前から使われなくなった空き教室使用しているため、基本的に部室にはミステリーに関する資料が教室のほとんどを占めている。
入部当時は、よくこれほどの教室を押さえられたものだと感心していた。しかし、ふたを開けてみれば、生徒会長がウチの部長の尻にしかれているから、ミス研の部室も部費も削られることがないという事実だったわけなのだが。
会長も可哀想人だよな。そう思いながら、俺は部室のドアを開けた。
「誰が、可哀想な人だって?」
ドアを開けたその先から唐突にも、声の主は俺の心中に秘めていた考えを見透かしたかのごとく的確な質問を投げかけてきた。
「か、会長! こんな時間にどうしたんですか?」
「何か、ものすごく気になることがあった気がするんだが、まぁいい。それより、お前たちに用があってな」
長方形のメガネを中指で押し上げると、威厳たっぷりの口調で会長は答えた。
「へぇ……。許可なく何で部室にいるのかしら?」
にこやかな笑顔で会長に話しかける智香。
部長、顔は笑ってるけどメッチャ黒いオーラが出ていますよ! それに、会長もなんだか冷や汗がダラダラと流れ出てますけど!
蛇に睨まれた蛙って、きっとこんな顔してるんだろうな……。
つくづく、俺が会長の立場じゃなくて良かったと思える瞬間だ。恐怖とストレスから、胃に穴が開くに決まってる。
「最近不審火が多くてな。それを調べてもらおうと思ってやってきたのだが」
何とか威厳と地位を守り抜こうと話す生徒会長だが、その表情には余裕の光など一切見えない。
というか、不法侵入してる時点で、人間としての威厳がないのだが……。
「その一件なら、ただいま調査中。後、不法侵入の件について明日までに反省文を原稿用紙二枚にまとめてくること。もし、私の納得のいくものじゃなかったら、生徒会長の席は無いと思うように」
その言葉を聞いて会長の顔色が徐々に悪くなっていく。部長そろそろ止めてあげたらどうですか? 会長のHPは一桁台みたいですし。
「そ、そうか。後のことは、任せたぞ」
「あっ、そうそう。後でメールするから見といてね」
にっこりと笑った部長を見て苦笑いしながら会長は帰っていった。会長の背中を同情をこめて見送った俺は今度こそ部室に入った。
「えっと、あの資料は――これね」
智香は部屋の置くから分厚い本を何冊か取り出してきた。そして、ペラペラと本をめくり始める。
こんな風に本を読み始めたら部長を止めるすべは無い。1年間部活で共にしてきた俺はそれをよく理解していたので、自分も手短にあった本を1冊取り出して何気と無く読み始めた。
紙のめくれる音が夕方時の静まり返った部室の中に響く。それから2人は、西に太陽が隠れようとする時刻まで本を読みふけった。
「ふぅ……。部長、もう止めにしませんか?」
ため息をついた俺は、その言葉を目の前の部長に投げかけた。
「日向君。今にも手が届きそうなところに真実があるというのに、あなたはそれを見過ごすの?」
「えっ?」
先ほどまで、本を一身に読んでいた智香はふと顔を上げると、ゆっくり立ち上がった。
そして、窓枠にもたれてこう答えたのだ。
「この事件の真犯人を私は絶対許さないわ……」
「真犯人ですか?」
「そう、真犯人。そういえば美咲ちゃんが事件にあった時って、たしか、日向君が間違って放送しちゃったわよね?」
「そうでけど、また俺をいじめるつもりなんですか?」
「そんなことしないわよ。ただ確かめておきたかっただけよ。さて、そろそろ、集まったころね」
部長のその一言で、図書室に舞い戻ることになってしまった。すでに日はかなり西に傾いていて、もうすぐで海に隠れてしまいそうな時間帯になっている。
図書室に入ると、会長、聞き込みをした生徒達、そして、ミス研に相談に来た遠山美咲が真ん中の机に座っていた。
「部長、一体何をするんですか?」
一瞬の静寂の後、彼女はこう答えた。
「Get(幽) rid(霊) ghosts(退治よ)」
「??」
「遅かったな」
腕組みを解いた会長は、中指でメガネを押し上げる。
「少し調べ物をしていていたのよ。さて、みんなに集まってもらったのは、他でもない七不思議の真相をみんなにご報告する為」
部長はゆっくりだが、しっかりとした口調で話し始める。
「今回の事件を引き起こしたのは、旧日本兵の亡霊なんかじゃない。火の手の無いところからいきなり発火する。でもその対象は本、新聞紙、紙くずといった非常に燃えやすい紙類だったわ。なぜかしら、それはこれを使用しているからよ」
智香は自らの制服のポケットから銀色の金属棒を取り出す。手のひらにのるほどの小さな金属棒に付いているスイッチを押すと、先端部分から細長い赤い光が発せられた。
「レーザーポインタ?」
「そう、学校なら見かけることが良くある物、レーザーポインタよ。市販のタイプでも、光が瞳に入った場合、網膜にやけどが生じ、視力が低下する事件も何件か報告されているわ。でも市販のタイプは1ミリワット未満で今回のような事件を起こすのは非常に難しい。おそらく改造すれば話は別よ。CD-Rドライブの書き込み用レーザーダイオードを使用すれば、100ミリワット以上の高出力のものが作り出せるわ。しかも、光の波長が780nm前後だから肉眼で見にくいため、レーザー光を発見される可能性も低く出来るじゃ
「それでも、発火しても火が極端に小さくないですか?」
「これを使えばその課題もクリア出来る」
智香が次に出してきたのは、エタノールの消毒液。
「発火したのは、全て他人のもの。それに、図書室で薬品の匂いがしたって言ってたでしょ?おそらく、ティッシュか何かエタノールを染み込ませて新聞紙に挟む。これなら、簡単に新聞紙が引火するわ」
「確かにそれなら犯行は可能だな」
会長は背もたれに深く腰掛けながら答える。
「私が嗅いだ匂いは、それだったのか……」
瞑想少女が興味ありげに、部長の推理を聞きいる。
「美咲ちゃん。これが、事件の真相よ」
「は、はぁ。でも、犯人は誰なんでしょうか?」
「事件があるんだから、犯人がいるはずよね。だからみんなに、事件当時の目撃談を聞きたいの」
智香は席から立ち上がる。身長170近くある彼女の長身はこんな時にすごく威厳があるように見える。
「そうそう、一応確認なんだけど、あの日は全校放送で我がミス研の部活紹介したんだけど聞いてるかしら? 美咲ちゃんはどうだった?」
「は、はい! 聞いています」
「ありがとう。つぎは、そうね。君はどうだった? 東堂光彦君」
部長が名指ししたのは、はじめに聞き込みで有力な情報をくれた男子学生だ。確か、図書委員になったばかりの1年生で部活は科学部だったか?
「ええ、勿論、聞きましたよ」
「……そう。やっぱり貴方が真犯人だったのね」
聞き込みをしたときに科学室を掃除していた生徒を智香の視線が捕らえる。
「冗談はよしてください。そんなことで犯人だと決め付けられたら、たまったもんじゃない」
「あら、強気なのね。日向君。昨日貴方が、放送室で犯した重大なミスがあったわよね」
ミス?
「……あっ! 昨日は、間違って図書室だけに放送してしまいました!!」
「なっ!」
東堂の顔が驚愕の一色に染まる。
「悪いけどためさせてもらったわ。さっき日向君が言ったように、あの日の放送は、手違いで図書室だけに放送されたのよ。そして、あの日この図書室にいたのは、美咲ちゃんだけのはず。もちろん、この図書室の管理している先生がそう証言しているから間違いないわ。なのに、貴方は誰にも知られずに図書室に忍び込んだのかしら?」
「……」
「簡単よね。この図書室に誰にも知られずにはいるならば、2階の入り口から入るしかないわ。そして、その鍵を持っているのは、図書委員の生徒と先生のみ。さて聞こうかしら、数日間封鎖になっていた図書室2階の鍵を開けたわけを!」
「くっ!」
物静かそうな少年の顔が苦虫を潰したかのように歪む。
「ちくしょう!」
いきなり立ち上がった東堂が改造したレザーポインタを取り出し、智香の顔に向ける――かと思えた。
カランカラン――
無機質な金属音とともに床に落ちたレーザーポインタ。
「お上際が悪いわね。もしも、その光が瞳に入ったら間違いなく失明するわよ」
東堂がレーザーポインタを向けるよりも早く、横に座っていた会長が叩き落とす。
さっきの会長の動きは相手の出方を知っていたかのような動きだった。まさか、部長はこれも計算のうちに入れていたのか?
「何でこんなことをしようと思ったんだ?」
会長は、叩き落としたレーザーポインタを拾い上げ投げ、東堂に問いかける。
「刺激になるものがないから。何か刺激が欲しかったんだ……」
まさかそんな動機でことでこんなことが行われていたかと思うとゾッとする。
「分かってるの? もしも、火の手があなたの想像以上に大きくなってからでは取り返しがつかなくなっていたわよ」
「まったくだ。生徒会長として事を大きくしたくは無いがイタズラにしては、少しやりすぎたな……」
「それに、アンタ(・・・)は卑怯なことに七不思議と称して罪も無い人たちの心を傷つけたわ。旧日本兵の人々がここをどういう思いで亡くなっていたのか、アンタはまったく分かってない!」
そう言えば、部長のお祖父さんは確か戦時中にこの街で亡くなっている。
「彼らはね。街の人を助けようと最後まで戦ったのよ! それを、アンタは!」
部長の怒りが恐ろしく伝わってくる。
第2次世界大戦末期、次々と焼夷弾の雨を降らしてくる空の要塞、B29は空を埋め尽くさんばかりだった。
この街の飛行場跡から、次々とB29迎撃戦闘機、紫電二一型が飛び立っていった。しかし、紫電の実用上昇速度は10,760m、大空を悠々と飛ぶB29を射程圏内に収めることが出来ても、高高度を保ちながら飛行するのが困難で、最終的には特攻という形になった。
生身の人間が、飛行機に向って飛行機で突っ込む、いかに戦況が厳しかったとはいえ常識の範疇を超えている命令を課せられ、大空に散るのだ。はっきり言って、俺には出来ない。
智香は今にも東堂に殴りかかろうとするほどの勢いに達している。
「部長ダメです! 後は会長が何とかしてくれるはずですから落ち着いてください」
「放しなさい! 日向君だって分かってるでしょ!」
確かに部長の言うことには一理ある。しかし、それで彼女が東堂と同じ加害者にはしたくなかった。
「部長! あなたはいつだって冷静に様々な視点から物事を見ていた。そんな部長が俺の憧れでした。だから、これからも俺の憧れの部長でいてください!」
彼女がはたと我に返る。その時だった、今まで黙っていた美咲が席から立ち上がった。
「そうですよ。如月先輩、許してあげてください」
「美咲ちゃん……」
美咲は智香の顔を見るとニッコリと微笑みこう答えた。
「私だって日本兵の皆さんに悪い思いさせていたと思います。それに……」
そう言って東堂のほうに体を向ける。
「良かったら、私の小説を読んでくれませんか?」
彼女の笑顔を見て、東堂は心底驚いていた。それもそうだろう、相手は被害者で、自分は加害者だ。どんな非難を受けても言い返せるわけが無かった。ところがどうだ、彼女は事件のことなんてまるで無かったかのよう東堂に接してきたのだった。
「私の小説なんかで満足していただけないかもしれないけど、ダメですか?」
「……なんで」
「誰にも過ちはあります。でも、それを反省できるのが人なんです。私も、最後に戦った兵隊さんたちに謝りたいんです」
「……ごめん」
そのときの東堂の顔を見て俺は安心した。大丈夫、あの様子なら今回の事件のことをかなり反省しているはずだ。
これにて一件落着。ということになるのか。
空に一番星が輝きだした頃、事件は意外な終わりを告げていた。
事件から、1ヶ月後。文芸部の遠山美咲は新たな賞を受賞していた。
「あの子には、驚かされるわね」
部長は、彼女の書いた小説を片手に紅茶を飲んでいた。
「今回は、兵士として戦場に旅立つ青年と彼の帰りを待つ少女の話。でしたよね」
部長の笑顔と口調からしてかなり良かったのだろう。
「よく犯行に使用したのがレーザーポインタだと分かりましたね」
「現場の赤い点の話と、轟先生のいつもの授業を思い出したのよ。そう言えば、先生はレーザーポインタ苦手だったなって思っただけよ」
「それでもすごいと思いますよ」
お世辞ではなく、本音を俺はポロリと漏らした。
「そういえば、あの時は私を止めてくれてありがとう」
「俺のやれることをしたまでですよ」
窓から涼しい風が部室の中を駆け抜けていく。夏の陽気を知らせるアブラゼミたちがしきりに鳴いている。
「そう、私もあなたの憧れでいられるように努力するわ」
ジメジメとした暑さなんて吹き飛んでしまうほどの笑顔がそこにはあった。