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「天使の唄」  作者: 風音
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「朱、白、ひとり」

「そっか。脚本完成しちゃったんだ。良かったね。お疲れさま」


 病室に入ってからそろそろ一時間が経とうとした頃、ようやく機嫌を直した美月は、料理雑誌を読む勇一に告げた。


 内心ほっとした。一時間前の美月の様子は、



「……遅いです。何をやっていたのですか? 佐倉勇一くん?」


「女性を、しかもこんなかわゆい女の子を一時間近く待たせるなんて、いい度胸していますね勇一くん。一体何があったのか教えてもらいましょうか?」



 はっきり言って怖い。半分笑いながら言っているのでさらに怖い。

 たいした言い訳も考え付けず、やはり水口の事はいえなかったのでここは一言、


「それは年頃の男子の秘密ということで」


 さすがにこの言葉はまずかったのか、美月は今の今まで口を利いてくれなかった。

 一応脚本が完成した事を伝え、ノートを渡して彼女が話しかけてくれるまで雑誌を読んでいながら待っていたのだが、どうやらその甲斐はあったらしい。

 勇一は顔を本から上げ、ノートのページを静かにめくる美月の顔を見た。口では良かったね、と言いつつも、誰の目から見ても明らかに残念だ、と言う表情を見せている。とても良かったと本心から言っているようには見えない。


 それもそうかもしれない。彼女は明日から一人きりなのだ。桜緑祭の日まで、この白くて殺風景な部屋に一人きり。たまに来る看護士も白衣を身にまとっている。気が狂いそうだ。白は汚れ無き物の象徴と言うが、自分はとてもそう信じる事はで着ない。だったら何色が相応しいのか、と聞かれると考えることができない。この世に汚れ亡き者など存在しないのだから、色に例えることなどできない、と答えるのだろうと思う。


 要するに、勇一は白が嫌いだった、

 白い世界に一人ぽつんと取り残されているような美月に声をかける。


「――いろいろ考えたんだけどさ」

「明日から来なくていいからね」


 勇一が本題を切り出す前に、美月は彼に意見を言わせないと思ったのか、言葉を遮った。

 口をつぐんでしまった勇一に、美月はさらに言葉を紡ぐ。


「脚本が完成しちゃったら、劇の練習に忙しくなるでしょ? だから、桜緑祭が終わるまでは来なくても大丈夫だから。うん。これは、私からの頼みごと」


 美月はノートから顔を上げ、昨日とは違い澄み切った空を映す窓を見てしまう。そのせいで表情を読み取ることはできなかった。


「でもさ、何日に一回くらいは来れるって。別にオレ主役を演じるわけでもないからさ。脇役中の脇役だし」

「来なくていいの!」


 いきなりの美月の大声が室内の空気と勇一を震わせた。彼女はゆっくりと、呆気に取られている勇一の顔を見て微笑する。


「勇一に迷惑かけたくないのよ、うん。大丈夫、来なくていいって言ったけどさ、桜緑祭が終わるまでの三週間、たったそれだけの間我慢すればいいんだから」


 この言葉はむしろ、勇一に言っているというよりも、美月が自分自身に言い聞かせていると言う感じがしたが、敢えて口には出さなかった。


「判った。美月が言うのなら、オレはそれに従うよ。なんたって、オレは美月の下僕だから」


 迷惑でもなんでもない。だが、美月の意見が最大限に尊重しておきたかった。


「ありがとう。私さ、桜緑祭のときに、勇一が手がけた最高の劇を見てみたいのよ。勇一の言おうとしていたこと、当ててみせよっか? 私を桜緑祭のときに病院から連れ出そうとでもしているんじゃない?」

「…正解」


 心の中で君はエスパーですか、と付け加えておく。


「暮林ドクターにでも頼んでみようと思う。あの人なら、オレの意見も聞いてくれると思うしさ。いろいろ考えたけど、美月を桜緑際へ連れ出した方がいいでしょ?」


 勇一は名案と思いついたばかりに自分の案に自信があるのか、誇るように笑う。

 だが、反面美月の表情は固かった。少なくとも、笑っていない。勇一は彼女の表情の変化に敏感に気づき、不思議そうに彼女の顔を見る。


「あれ? いい考えかと思ったけど、なんか駄目そうな部分とかある?」

「え? いや、その、違うの。暮林先生がオーケーしてくれたらいいなって考えていたのよ。ただそれだけ」


 そう笑ってノートに目を戻す美月の様子がいつもと少しおかしいように思えた。


 まるで、無理に元気を装っているように見えたのだ。

 まるで自分に何かを悟られたくないと思っているように感じたからだ。


 日が、西に傾いて世界を淡い橙に染め上げていた。その光は窓を通して病室の中にまで届き、白い世界を一時的に橙色に染め上げる。橙色というよりは、赤。鮮血を思わせる赤い色。

 赤く染め上げられたベッドの上に、緋水美月は上半身を起こして座っている。

 たったそれだけなのに、勇一は恐怖を感じた。

 寒気がして、背筋を軽く震わせた。


 ベッドから窓の方へ目を向ける。赤い光を見て、なぜか昨日の、テルルを思い出した。

 彼女の紅い瞳を思い出した。

 あれは多分、カラーコンタクトではないのだろう。

 頭の中で芽生えた僅かな確信。こんな時に確信を持つなんて思いもよらなかった。

 彼女は、テルルは多分、人間じゃないのだろう。もちろん、動くフランス人形でもないだろう。


 なぜ、昨日会った時に確信を持たなかったのだろう。案外人間は、不可知なる物に出会うと、適当なこじつけをつけて、夢だ幻だと決め付けて逃げ去ってしまう。自分も実際そうだった。真剣に見ようとは思わず、面白半分に科学で理由をつけて片付けてしまう。霊能力者を馬鹿にする。自分もそんな者の中の一人だったのかもしれない。幽霊番組を見て一時の涼しさを味わったり、肝試しをして友人の体験談をして友人と体験談をもとに笑いあったりしていた人間だったのかもしれない。


 でも。

 もう、笑うことはできないだろう。確信を持った、ただそれだけで。


「――勇一、大丈夫? 勇一ったら!」


 ぱっちーん。


 一気に現実まで引き戻された。頬を引っ叩かれた。痛くなかったので痛いとは言わない。代わりに美月が手をさすって痛がっているのが彼女らしい。「いたいのいたいのとんでけ!」とかからかってあげてもよさそうだが、今度は手ではなくて何が飛んでくるのか判らないのでやめておく。


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