「お騒がせコンビ」
「いや、お人好しな性格が人生苦労するって訊いたことはあったけど、生で現場を見ることになるとは思わなんだ」
「ごめん、せっかく気を使ってくれて反感買うような役をやってくれたのに…」
勇一は顔を机につけたまま謝る。二ノ宮は軽く肩を叩いてやりながら、「人生なんてそんなもんさ」と達観な発言をする。彼も苦労してきたのだろうか、この十七年間。
結局、桜緑祭まで冗談じゃない位の忙しさが自分に牙を向けたこととなる。美月の所に行けるのも、あと数日が限度かもしれない。
「そんなに心配するな。模擬店の方はあまり気にしなくていいぞ。いざとなったら森岡という最終兵器がいらっしゃるから。…今日はサボっているみたいだがな。ご丁寧に荷物は置いてあるが。」
二ノ宮は主のいない森岡の席に目をやる。確かに机の上には盛岡のものである黒い革のバッグが無造作に投げ出されている。彼のサボリなど今に始まったことではないので、気にしたものは今日は二ノ宮が初めてだろう。
「サボってないよ。ただ、授業に出られなくしただけ」
勇一は机から体をむくりと起こす。二ノ宮は直感的に予感がした。
「正確には授業に出られなくしてあげただけ、って言った方がいいかもね」
ああ、またこいつは森岡に何かやらかしたのか、と思う。
ここは級長として、内容を聞いておかなければ。
いや、ただの興味本位なのだけれど。
「またお前はやらかしたのか……。で、今回は何したのか、級長に話しなさい」
勇一は森岡に暴力行為を行うのも今に始まったことではない。しかしことごとく失敗に終わっている。首を手刀で打って気絶させたり、クロロホルムで眠らせたりしても一時間後には爽やかな笑みで勇一の前に現れて勝利ゼリフを吐くのだ。
「はっはっは! 甘い、甘いぞ佐倉! その程度で俺を拘束できると思ったか! まず俺を拘束したいのなら美人を連れて来い、美人を! 緋水で構わないぞ!」
その後勇一のアッパーが森岡の顎を直撃するのだ。
二年のクラス替えが終わってから、こんな事は何度もあった。今ではクラスの名物の一つと化している。
そんな事は露も知らず、勇一は対森岡の時にしか出さないであろう暗い笑みを浮かべる。
「今回はスペシャルバージョン。口はガムテープで塞いだし、手足はロープで縛ってあるから、出られる確率は一パーセントにも満たない。今日こそ…今日こそ、オレの勝ちだ」
二ノ宮は思う。勇一は、それは拉致監禁といって、現在の法律では罪の一つだぞ、と。
なんとも実も蓋もナベもないツッコミである。
言うべきだろうか。
しかしこうも思う。この二人はこの事を楽しんでる節があるから、どうせ言っても無駄であろうと、自分が勇一と付き合い始めたのは今年からで、森岡とは小等部からの仲らしい。余計な口出しは無用なのかもしれない。
授業開始の鐘がなる。休み時間が終わる。二ノ宮が「ほどほどにしておけよ」と勇一に言って席に戻ろうとした時、後ろの扉が乱暴に開かれ、その男は現れた。
整った顔立ちに、爽やかな笑みを添えて。この男の本性を知らない女子がいたら、真っ先に惚れてしまうような笑顔で。この笑みに、一時は一体何人の女子がだまされたのか。
黙っていればすごくいい男なのに。黙っていれば。
「甘いぞ勇一!」
教室を闊歩して勇一の席の前まで来て発した第一声はこれだった。ふと見れば勇一の顔には驚きと悔しさを必死で覆い隠そうと努力している様が見れる。
「俺を甘く見ては困るな! 今日は頑張ってくれたみたいだが、あの程度、所詮マフィアの銃撃戦に比べれば、大した事無いわ! お前が俺に勝つ事は不可能なのだよ!」
そりゃあまあ、銃撃戦に比べれば大した事無いだろう、と二ノ宮が思ったとき、勇一のほうから「ぶち」という音が聞こえた気がする。
次の瞬間、勇一は森岡に見事なアッパーを喰らわせていた。今日はみぞおちの追撃付きだ。クラス中から、おお、という歓声が漏れる。二ノ宮もつい声を上げてしまう。
受けた相手が常人だったならアッパーを食らった後に仰向けにでも倒れて気絶して保健室送りでもなったのだろうが、相手は常人ではなかったらしく、ただらを踏みはしたが持ちこたえた。またもクラスからおおっと声が上がる。
「大体お前、マフィアの銃撃戦なんて知ってるのかよ?」
「ふむ。いい質問だな」
勇一の質問に森岡は不敵な笑みを浮かべて顎をしゃくった。周囲は一体どんな展開になるのだろうと息を呑んで勇一の机を見ていたが、勇一は森岡がなんと答えるか見当がついているようで、足の位置を微妙に動かしながら次の攻撃へ移る準備をしていた。
森岡は顔から笑みを消して真顔になる。
そしてついに言う。
「知るはずがないだろう」
勇一の足が的確に、そして見事に森岡の脛をとらえて打ったことは言うまでもない。常人離れした者も脛だけは効いたのか、「ぬおおお!」と言いながら当たった部分を押さえて床を転がる。さらに転がる最中に近くの机の脚に頭をぶつける。見るからに痛そうだった。
さすが勇一、森岡に対して容赦という感情が全く無い。
「どうしたんだ佐倉……。今日はいつも以上に気が立っているな。何かあったか?」
森岡は「痛てー、おー痛てー」と膝を折って脛をさすりながら勇一を見上げる。端から見ればいつもと換わらない彼の仕草に、僅かな違和感を感じたらしい。
「別に。特に何もないよ。……それより先生、遅いよな」
「ああ、遅いな。何かトラブルでも発生したんじゃないのか?」
森岡は勇一の話題変えに素直に応じて、これ以上深くは追及しなかった。彼のこんな部分はありがたいと思う。
鐘が鳴って二、三分は立っていた。次の時間は数学で、教師は時間にうるさい谷口という二十七歳既婚教師だ。授業に一分でも出遅れるとその時間の質問には指し続けられるという罰則がある。なのにサボりはお咎め無しという変わったところがあり、最近は少し出てき始めたお腹が気になっているらしい。
それはともかくとして、時間に厳しい谷口が授業に遅れるなんて珍しいことだ。いつもなら始まりの鐘と共に扉を開けて、わざと授業に出遅れた永遠のライバル・森岡と問題のすさまじいバトルを繰り広げるはずである。出した問題を森岡は全て偉そうに答え、授業の終わりには大学の入試レベルの問題にまで発展している時も少なくない。
「トラブルって…ダイエットに失敗したとか?」
「いい意見だ佐倉。生徒の前に出てこられない体にでもなってしまったか。それとも俺との勝負に怖気ついたか。どちらにしても傑作だな、こりゃ」
自分の想像に自分で笑う森岡。あながち笑い事でもないよな、と勇一はため息をつくと。扉が静かに開けられた。二年四組担任春野仁美二十五歳独身が教室に入ってきて、森岡に席に着くように行った。美人の言う事は素直に聞く彼は瞬速のスピードで席に戻る。
「仁美せんせー、谷口先生はどうしたんですか?」
クラスの誰かが言う。仁美は教卓の上に名簿をおいて、困ったように手を頬につけた。
「谷口先生はお葬式のため今日はお休みです。だから、この時間は自習。…はぁ、この一時間が一週間で授業の無い貴重な時間だからゆっくりお茶を飲みながらテストでも作るフリしてネットゲームを満喫しようと思ってたのに……」
仁美は頬から額に手の位置を変えて極めてどんよりとした口調で言う。彼女は教師陣の中でも保健室の佐藤、通称保健室のおねーさん二十三歳独身を抑えて学校の生徒(佐藤が男子に対して、彼女は女子から)高い人気を得ている事で名を知られているが、動揺にゲーマーである事も知られている。放課後近くのゲーセンによく出没し、給料の三分の一をゲームに使ったなどという逸話も残されているくらいだ。
と言うか先生、一応公務員なんだし学校でゲームやったら懲戒免職です。
クラスの中が自習だ自習だラッキーだよね、というムードで騒いでいる中、勇一は頬杖をついて深い思考の海に足をつけたところだった。