「下僕」
「勇一! お前は桜緑祭の店、何出したい?」
翌日、いつもと変わらず二年四組の教室に入り、一時限目と二時限目を見事な色ペンのしようと巧みなまとめ方によってノートに写し終わった、休み時間のことだった。級長の二ノ宮は窓際の前にある勇一の席へ来て、ノートの切れ端とシャープペンを手に勇一に質問してきた。
「店? ああ、模擬店か。そうだなー…」
数学のノートと色ペンを整理しながら考えてみる。二ノ宮はアンケートの途中結果を見ながら、「今の一番は焼きそば屋で、その次が喫茶店だな」と参考意見を出してくれるが、なんとなく、どっちでもいいような気がした。
「んー、じゃ、喫茶店に一票。飲み物出すだけの方が楽でしょ?」
「了解。ふむ。さすが勇一。弱き者の味方。長い物に巻かれないなぁ」
褒めているのかけなしているのかよく判らない発言をしながら、彼はアンケート集計紙であるノートの切れ端の『喫茶店』と書かれた隣に正の字の四画目を付け足す。
次の授業で使う資料を取り出そうとしてバッグを覗く。常備のノートパソコンを見た時、「あ」と呟いた。
「二ノ宮、オレに模擬店云々を聞くのはいいんだけどさ、そんな手伝えないと思う」
「どうしてだ? …もしかして、サボりか?」
二ノ宮はペンで自分の肩を叩きながら苦笑する。勇一もつられて笑う。
「部活だよ。演劇部だしさ。今も脚本書いてる途中だし、書き終わったら部員の指導や、自分も演じなければならないし。ま、当日まですこぶるハードな日々が続くのは間違いないと思うよ」
桜緑祭は一応は文化祭という名目があるので、ちょこちょこと真面目に文化祭用の研究発表などの掲示や、部活の活動の記録の掲示をしている所もしっかりある。演劇部はその中での主力的な役割があり、桜緑際でも重要な「イベント」の一つでもある。
「そういえばそうだったな…。まあ、俺たちはお前一人が欠けてもやれることなんだ。演劇はお前が欠けてちゃ成り立たない。くれぐれも俺たちのことは気にしなくていいぞ」
「あ、でも、休憩時間になら手伝えるよ? せっかくクラス単位での出し物だしさ、何か手伝わないと悪いよ」
去年は脚本を一人で書かなくて良かったので、クラスの出し物であった「コレが究極のカレー! フラインド」(命名は森岡)とかいうフライドチキンカレーとかフライドポテトカレーとかを取り扱った店を手伝えたのだ(なぜかよく売れた。今の世の人は油っこい物が好きなんだなぁ。と実感した)。今回は準備の時から手伝えない分、当日に何かしなければクラスメート達に悪い。
「余計なことを気にするな。桜緑祭の演劇といったら、人気百貨店の超目玉品みたいなモンじゃないか。明らかにそっちを大事にしとけ。いいな?」
二ノ宮なりに気を使ったのだろう。わざわざ演劇に専念できるように手配してくれたのだ。ありがたいことこの上ない。演劇に美月お祭り計画が重なっていたのだ。苦労の種をこれ以上増やすのもどうかと思った。
だがそんな気遣いも無視して、近くの席で二人の話を聞いていた数人の女子の軍団が、「それは聞き捨てならない」という顔をして身を乗り出してきた。
「勇一くん、お店手伝ってくれないの?」
「困るよぉ、うちのクラスの男子で料理で頼りになるの、勇一君と森岡君位なんだから」
そう、勇一は、美月の下僕としては学年に渡って知られているが、その他に知られていることがある。
一つ目。ノートを取るのが異常に速く、まとめ方がうまい事。
二つ目。料理が誰もが認めるほどうまい事。
前者は美月の下僕ということと合わせて知られている。そのうまさはテスト前になると多くの生徒が勇一の所にノートのコピーを取りに来るほどだ。勇一はこの事を誇りに思っている。かなりの時間を費やしていろいろ工夫した結果が実を結んでいるからだ。これからももっと精進しなければなるまい。
後者はどちらかというと今までに勇一と同じクラスになった者しか知らない。彼は和洋中、古今東西の有名料理を作ることができる。幼い頃から多忙だった両親に迷惑をかけないために身につけた技術だ。こちらの方が年季が入っているせいか、勇一は料理の腕には自信がある。だが、それで職について食べていこうという気はない。
そんなわけで、たまたま今年の春に会った実習のおかげで、クラスに知れ渡ってしまっていたので、こと料理関係のことは頼りにされていた。
もしかしたら、全て任せてしまいたいという黒い思いがクラスの中にあるのかもしれないが。
「ごめんねー、当日ならともかく、準備関係を手伝える自身は無いや」
「そうそう、勇一は忙しいんだから余計な仕事を増やすと迷惑なんだとよ」
…なんだとよ、って、その科白は正確にオレの気持ちを表していないだろう、と思う。
確かに半分はそんな気持ちも入っているわけなのだが、そんなきつい言い方をしなくても。女子が怒るかもしれないのに。
勇一は、美月の事から、女子にめっぽう弱いことも有名である。
だから、二ノ宮は敢えて勇一に代わって断ろうとしたわけなのだが。
案の定というか、女子達は二ノ宮をジト目で睨みつけ、鼻で笑う。
「料理のできない級長が勇一の気持ちを代弁してもねぇー…」
「何だと? 代弁じゃないぞ。俺はこいつの言ったことを素直に表しているだけだ」
それは聞き捨てならないことだった。
気がついたら言葉が飛び出していた。
「いや、確かに仕事が増えると困るけど、迷惑なんかじゃないよ?」
言ってから自分の発言内容の愚かさに気がついた。女子達はここぞと言わんばかりに食いついてくる。
「じゃあ、勇一くん手伝ってくれるの?」
「え、いや、それとこれとはまた別の話で…」
「だから、勇一は忙しいから無理だって言ってるだろ」
「あんたには訊いてない!」
得体の知れないものに威嚇されたように、二ノ宮は押し黙ってしまった。これだから、女子という存在は怖いのだ。
「で、どうなの、勇一君?」
数人が二ノ宮を威嚇して押さえつけている間に、残りが訊いてきた。
うん。見事な連係プレーだ。
「…なにか、見返りは?」
「君の他の仕事が遅れないようにクラスみんなで協力するように手配する。これでどう?」
「――了解。店が何になるかによるけど、できる限りのことはするよ」
瞬間、集団は勇一と二ノ宮から離れ、たった今受け取った情報を発信するためにクラス中へ発信するためにどこかへ行ってしまった。隣では二ノ宮が『言わんこっちゃ無い』とでも言いたげに見下ろしていた。
これはもう、諦めるしかないのかもしれない。
二ノ宮は苦笑しながら、机にうつぶせになって動かなくなった勇一の肩に手を乗せた。