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「天使の唄」  作者: 風音
3/8

「雨天、非日常」


 病院の入り口まで来ると。既に雨がポツポツと降り始めていた。

 美月から借りた傘を差して家に向かって歩き始める。家までは徒歩で二十分くらい。田舎町らしく夜になってもほとんど街灯がないのでかなり暗く、そのせいか歩く人も少ない。夜道というのはどこか不安感を覚えるもので、できれば勇一も早く家に帰りたかった。

 雨のせいで寒い気候もさらに寒く感じる。マフラーをしているのに冷気が首筋に入り込んできて、体も暖かくならない。歩くスピードを少し速めて、歩く時間を短縮する。

 ――どうやって明日森岡の息の根を止めてやろうか。

 ――どうやって美月も楽しめる桜緑際にしてやればいいのか。

 今のところ、勇一の頭にある考えはこの二つだった。できかけの水溜まりを通学指定に靴で踏みつけて水しぶきを飛び散らせながら歩みを進める。さすがに道路はコンクリートで舗装されているので靴が泥まみれになるようなことはない。と言っても、濡れはするが。

 自分の頭は一つのことを考えると言うのはどうにも苦手みたいなのだが、二つのことを頭に思い浮かべるとものすごい処理能力を発揮する。

 事実、通称『森岡滅殺計画』の半分は完成し、『美月お祭り参加計画』は三分の一は思い当たっていた。後者はともかく、前者は明日実行すればよい。

 傘をくるくる回しながら、明日の楽しみを意味を実感する。無事計画が成功した暁には、たっぷり香典を包んでやろう。

 学園を過ぎて、十字路を右に曲がる。曲がった先にはきっと大正とか昭和の初めに立てられたのだろう、木造の二階建ての大きなお屋敷がある。母親の話では。昔ここ周辺の土地を管理していた地主の家らしい。

 勇一はこの屋敷に何人の人が住んでいるのか知らない。一人は知っている。毎朝登校時、この辺りをぶらぶら散歩している、腰の曲がった今にも死にそうな爺さん。最近は桜緑再準備のため、少し早く登校しているので姿を見ていないが、きっと今朝も、あのおぼつかない足取りで散歩していたのだろう。

 なぜこんなことを今考えたのかというと、屋敷の前に客人がいたからである。暗くてよく見えないが、門の前で立ち止まっている人影は確認できる。少しずつ歩みを進めていくと、だんだん輪郭がはっきりしてきた。

 そして、姿が見えたところで勇一はその姿を不審に思い歩みを止めた。

 急に、雨が傘にあたる音が大きくなった気がする。


 女の子が、この寒くて雨の降る闇の中、開かれることのない門を見つめていた。


 誰が見ても不審に思うだろう。傘を差していない。

 つまり、彼女は雨ざらしになっているのだ。

 それだけでも寒そうなのに、服装がさらに寒そうだった。というか奇抜だ。

 キャミソールを少し大きくしたような服しか着てないように見える。いや、実際は腕にも膝にも衣類は着ているのだが、どう考えても冬の夜にその格好でいたら寒いだろう。

 自分だったら、真っ先に風邪を引くかもしれない。

 いや、あんな服夏でも着るつもりはないけど。

 ていうか、服といい、傘を差していないといい、あの子は風邪を引かないのだろうか?

 どんな表情をしているのかと思ったのだが、暗くて確認できない。が、髪形がツインテールを言うことと、体のライン的に、自分よりも年下と推測することができる。

 では、なぜこの女の子が開かれない門の前に立っているのだろうか予測してみる。個人的には、あの死にかけ爺さんの孫娘というのが一番有力な説だと思う。しかしあの爺さんに、悪く言えばこんな非現実な格好をした孫娘がいるだなんて…。世の中はミステリアスに創られているなぁ、と感心してしまう。

 とりあえず、この女の子を爺さんの孫と仮定した所で、こんな所で一体何をしているのか、という疑問だけ残った。あんな格好で傘も差さずに雨ざらしになっていて。

 ふと屋敷の方を見る。自分の身長より少し高めの塀に囲まれていて、しっかりと確認できたわけではないが、多分八十パーセントくらいの確率で屋敷の明かりは一つも灯ってはいなかった。

 ――おかしい。

 勇一はここまできてようやくこの考えにいたった。

 最初は頭の片隅にあった考えが、今は頭全体を占拠している。

 何かがおかしかった。自分の予測や推測は全部外れている気がする。

 静かに降る雨の闇の中、勇一は寒さも忘れ、今を現実ではないのではないだろうか、と認識し始めていた。

 何分間の間立ち止まっていたのだろうか。呆然と女の子を見ていた勇一ははっと我に返り、自分はなぜただの棒っきれのように突っ立っているのだ、と自己嫌悪に陥る。

思い切って声をかけてみようか?

 ――しかしなんと訊けばいいのだろう? 門をただ見つめてぴくりとも動かない女の子に、『あなたは誰ですか?』と訊くのは馬鹿馬鹿しい。『何してるの?』と訊くのも微妙だとは思うが、この言葉に以外に思いつかなかった。

 勇一は決意して女の子の方へ向かって歩き出す。本当に動かないので、等身大のフランス人形みたいな子に声をかけるのは、なかなか勇気のいることだ。だがこの子に自分が不可抗力といえ、自分が見ていたことを言わなければ、なんとなくアンフェアみたいで罪悪感が残る。

 後々の後悔を残さないために、勇一は息を吸い込む。

 女の子は、勇一に未だ気がついていない。すぐ後ろにいるというのに。まるで最初から人間に興味がないかのように。

 彼女の背中からは、例えようのない荘厳な雰囲気が感じ取れる。

 勇一が言葉を発したのと、女の子が一歩前へ足を踏み出したのは、ほぼ同時だった。

「ねえ君、こんな所で、何やってるの?」

 なんか下心見え見えの軟派が街で適当な女の子に声をかけるセリフと同じ感じがする。

 だが声をかけることができた。女の子は本当に勇一の存在に気がついていなかったのか、全身を震わせてこちらを振り返った。

 大きく見開かれた彼女の瞳と女の子と目が合う。

 ……視界が一瞬、真っ赤になった。

 ……彼女の瞳は、紅かった。

 予想外の事に、思わず怯んでしまった。まさか瞳が紅いとは考えもしなかった。彼女は、勇一のそんな考えはお構いなしに、目はこれほどかというくらい大きく見開かれ、口も半開きにして彼を見ていた。声をかけられて驚いているようだった。

「……オレの顔に、何かついてる?」

 勇一は女の子に自分の顔を見てそんな反応をされたのが、正直ショックだった。顔にそんなに自信があるわけではないが、さすがに多感なお年頃の心にグサリとくる。それでも彼はめげないで次の反応を待った。

 しかし彼女は、勇一の質問には答えず、大きく見開かれた瞳を化け物を見るかのような目つきに変えて彼をつま先から頭のてっぺんまでを人を品定めにするように見た。

 そして。

「アナタ、私が見えるの?」

「へ?」

 言っていることの意図を理解するのに数秒かかった。彼女はつまり、「あなたは私の姿を見ることができるのですか?」と質問したのだろう。もちろん答えはイエスである。視覚障害者ではないのだから。

「とりあえず…、こんな雨の中で傘も差さずにいたら、風邪引いちゃうよ」

 勇一は傘を自分だけではなく彼女の雨よけにもなるようにもって行くと、バッグからスポーツタオルを取り出して、女の子のツインテールの頭の上に乗せた。

 ここにきて、彼女の髪の色は珍しいことに気づく。普通は単色が普通と思うのだが、彼女は白と黒に分かれている。しかもテールごとに律儀に色が分かれている。

 彼女は例も言わずにしっとりと濡れた頭をタオルで拭く。よく見れば、彼女の服も黒と白で分かれていた。服だけではなく、ソックスも、靴も同じ。片方が白で、片方が黒。どこかの家から漏れる光で、ぼんやりと確認できる。

 一番目を惹いたのは、彼女の首についている首輪なのだが。

「にしても、自分も使い古されたようなセリフだったけどさ、君も負けないくらい使い古されたセリフだったね。オレは、君の姿を見ることができる。で、オレの質問にも答えてほしいんだけどな」

 勇一は、頭二つ分くらいはある身長差を解消するため少しかがんで言う。

「待ってる」

彼女は勇一に顔を見られたくないのか、うつむきながら再び彼から背を向けてしまう。

「待つって、何を?」

「アナタには、関係ない。どっか行って」

 カチンときた。年下(だと思う)のくせして、タメ口どころか命令口調で拒絶反応をされた。変なプライドが体の動きを支配する。この場を動きたくなくなった。

 頭のどこかで、この状況がどこか非現実めいているぞ、と警鐘を発しているが、理性でそれを却下する。

「そう言われると、嫌でも君が何をしようとしているのか見たくなるんだけどな」

「勝手にして頂戴。私にはやるべき事があるから、邪魔しなければ問題はないわ」

 やるべきこととは、何なのだろう。こうしてただ門を見つめて立っていることがやるべき事なのだろうか? 

 と、勇一は考えてみたが、どうやら違ったらしい。

 女の子は足音もなく突然歩き出し、礼儀も何もなく、門を静かに明けて、屋敷の敷地内に入って行ってしまった。

「え、あの、普通インターホンとか押すものじゃないの? 君、この家の子なの? ねえ!」

 勇一は慌てて彼女を追いかけて無礼と知りつつも敷地内にはいってあたりも見回し、屋敷を見上げる。屋敷はやはり明かりは灯っておらず、さらに人の気配が存在しなかった。

 辺りのあまりの暗さに、思わず背筋は寒くなって震えてしまう。冷気とはまた別の寒さだ。鳥肌が立つ。暗闇の中の孤独は、どこかに一人で取り残されたという戸惑いと恐怖感を覚える。こんな所にずっといたら兎みたいに心細さで死んでしまいそうな気がしてくる。

 勇一は気を奮い立たせて、暗闇の中目を凝らして女の子を探した。

 どこにもいない。

 おかしい。もう一度よく探してみる。やはりいない。屋敷の中へ入って行ったのだろうか? いや…少なくとも、物音は聞こえなかった。裏へ回ったのだろうか? 彼女はそんな足が速いのだろうか? 何かが、おかしい。

 ――何かが、おかしかった。


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