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「天使の唄」  作者: 風音
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「ある冬の日のこと」

中学の頃に書いたものです。……今よりなんかうまいような気がするのです。

 高校二年の初冬の、この年一番の冷え込みの日であった。毎日毎日変わり映えしない退屈な授業を終え、佐倉勇一は私立桜緑学園の昇降口を出た。

 なるほど、今日は寒い。制服の上にはコートを着ているし、マフラーと手袋は既に常備して置かないと多分凍え死んでしまうだろう。今思えば、朝のお天気お姉さんの妙な自信を鼻で笑っていた自分が恥ずかしい。空に雲がなければ少しはましかと思われるのだが、残念ながらどんよりと鈍色の雲が空全体を覆っていた。なんだか気が滅入ってしまう。

 はあ、とため息をつきながら、勇一は外の部活の邪魔にならないよう、歩き始める。

 決して勇一は部活サボリではない。一時的な帰宅部に属している。本来ならば演劇部であり、脚本を書きながら役者をこなすというと充実した生活を送っていたわけなのだが、その生活を捨てなければならないほどやらなければならないことが、彼にはあった。

 勇一は人と車のほとんど通らない道を黙々と歩き、学校の近くにある水口総合病院へ向かう。

 いつも思うのだが、いくら都会に近いといっても田舎町であるここに、桜緑学園みたいな中高一貫学校や、水口総合病院のようなどう考えてもこの町に不釣合いな大きい建物があっていいのかと思う。なにしろ、大きい建物などこの町にはこの二つしかないわけだし、あとは住宅街と商店街が広がるばかりだ。不景気な世の中と騒がれてはいるが、そんなことを感じさせない財政力がこの町にはある。裏金でもあるのではないかと深刻に考えてしまう。

 そんなバカなことを考えながら、総合病院の自動ドアをくぐる。どんな種類かは知らないが、薬品の匂いが病院に来たなぁ、と感じさせた。匂いが鼻を刺激して、思わずくしゃみが出てしまうのをこらえる。毎日来ているが、どうもこの匂いだけは慣れない。

 院内は暖房が効いていたので、手袋とマフラーを取りながら、慣れた手つきでロビーの右手奥にあるエレベーターのボタンを押し、六階へと移動する。ほぼ毎日来ているので、目をつぶってもできる動作だ。

 

 ちーん、という音と共に六階へと降り立つ。この階はほとんどが病室で、この時間帯はあまりにぎやかな時間帯ではなく、左右のどちらを見ても、白く、長い廊下が黙って道を伸ばしている。殺風景な印象を受けるが、病院が殺風景でないのもある意味怖い。

 例えば、白い廊下がいやにカラフルでレインボーだったり。派手だな。

 夜の暗くてただ非常口の緑のランプだけが灯るこの廊下とどちらが怖いだろうと考えたが、馬鹿馬鹿しいので思考を止めた。友人の森岡が、「なんで水口総合病院というでかい病院にさえもピンクやブルーの白衣のナースがいないんだっ! 間違っている、この市は何かが間違っているぞお!」と嘆いていたのを思い出したが、それも止める。森岡ごと記憶の彼方まで葬り去る。

 大体、『ピンクやブルーの白衣』という言葉からして間違っているだろう。

 …白衣じゃないじゃんよ。ピンクやブルーだったら。

 頭の中の森岡に致命的なツッコミを与えたところで、止めていた足を動かし始め、目的の病室を目指す。エレベーターから、左に曲がって三番目の病室。いつもここに来るまでにいろんなことを考えてくるのだが、今日は森岡の登場で疲れた。こういうのを人は気疲れと呼ぶのだろう。なるべく病室では元気な姿を見せていたい。相手に余計な心配はかけたくないから。

 ドアをノックする前に深呼吸を二、三回ほどして、気疲れを意識的に押さえてからノックをする。中から小さめの声で、「どうぞ」との返答が返ってきた。

「ちーす、美月。元気してるか?」

「元気じゃないです。元気だったら病院にいる必要はないと思うけど」

 ドアを開けて病室に入って早々、いきなり皮肉を言われた。正論だから言い返すこともできない。

 白い壁に、白いリノリウムの床。ベッドの近くに申し訳程度に置かれた物置き用と収納用を兼ねた小さな棚。上に置かれた色とりどりの花が引き立ってはいるが、基本的には廊下と変わらない殺風景な病室。

 緋水美月は、青い水玉模様のパジャマを着て、白いべッドに上半身を起こして勇一の方を見ながら不敵に笑っていた。

 彼は室内に数個あった丸椅子の上にバッグを置いて、その中からノートを数冊取り出すと、美月の頭をノートで軽く叩いた。

「素直じゃない。今日の授業分のノート、見せてあげないよ?」

「あ、それは勘弁してください。私から唯一の楽しみを奪う気?」

 彼女はノートを勇一の手からひったくると、一冊目のノートを開き始め、真剣な顔で読み始める。勇一は美月の横顔を眺めつつ、彼女がノートを見終わるまで、勇一は今度の演劇のための脚本を仕上げるために棚の上にノートパソコンを置いて指を動かし始める。

 この過ごし方が、ここ最近の日課となっていた。

 美月が突然倒れたのは去年の夏のことだった。彼女も、心臓の機能が悪かったのである。

 幼い頃からずっと一緒で、お互いに助け合ってきた勇一は、当然、彼女を見捨てることはしなかった。もともと勉強家だった美月のために授業をしっかり受けてノートを取り、彼女の勉強が遅れないようにもしたし、病室でボーっとしていてはつまらないだろうと、部活の仕事に差し支えのない程度に彼女の話し相手にもなったりしている。

 病院での入院生活がいかにつまらないものであるかは、勇一もよく理解していた。

 長い黒の髪。外で走り回るのは好きではなく、しかも長い入院生活のせいで雪のようにきめが細かく、白い肌。そして細い手足。顔立ちも整っていて典型的な和風美人と称され、学園では定評があったのだが、変に気が強いせいで見舞いに来た人を片っ端から追い出して、今では数人の『親友』だけがここに訪れている。人に気を使われるのが嫌いなくせに。

「勇一、どうかしたの? 指が止まっているわよ」

 美月のノートに落としていた目が、こちらに向かれていた。わずかに首を傾げている。

「もしかして、気分悪いの? 今日は寒いって言ってたから…」

「いやいや、次の文をどうしようか考えていてね」

 人がいつもと違っていると必要以上にお節介を焼いてしまう人。

 それが、緋水美月の真の姿。

 勇一は考えを悟られないように慌てて指を動かし始め、リズムよくキーを叩きながら、場当たりで思いついた言葉で逃れようとする。彼女もさすがにエスパーではなかったのか、納得しつつ三冊目のノートを開く。

「そういえば、もうすぐ桜緑祭だもんね…。さっさと脚本完成させて劇の練習をしなきゃならないのかぁ…」 

「まあ、ね。これから忙しくなるからめんどくさいよ…」

「勇一はダメだなぁ。普通はそういうところに青春というか生き甲斐を感じるものだよ?」

 美月はぴっと人差し指を立て、姉が弟に諭すような口調で言う。

 一瞬だけ、同級生のくせに…と思ったが、言葉の裏にある彼女の想いはすぐに読み取れた。  

 

 桜緑祭とはつまり文化祭のことで、まともな田舎町のここにとっては一年のうちで最大のイベントといっても過言ではない。もちろん、学園の生徒のほとんどは楽しみにしているし、実際自分も楽しみにしている節がある。

 しかし、美月はどうだろうか。

 彼女が入院したのは去年の夏。つまり、去年も、そして三週間後に控えている今年の桜緑祭にも参加できないということだ。桜緑学園は中高一貫なので、彼女は中学の時に桜緑祭は楽しんでいるのだが、高校になってからは一回も楽しんでいない。あまりにも不憫だ。

 それに…桜緑祭の準備が本格的になったら、自分は今のように頻繁にここには来れなくなる。美月にノートを見せられなくなるのは痛い。彼女と話せなくなるのは痛い。

 彼女の望んでいることをしてあげられないのは、すごく痛い。

 キーを叩く指は止まっていた。去年は彼女に何もして上げられなかった。今年は何かしてあげたい。桜緑祭の日が来る前に、彼女の心臓に負担をかけず楽しませる方法を。

「また指が止まってる。勇一、今日は何かおかしいよ?」

「はは、そうかも」

こんな感じでは執筆も進まない。脚本を書くことを諦め、パソコンの画面から美月のほうへ顔を向けると、彼女の立てられた人差し指が勇一の額に当てられた。思ったよりも指は冷たく、じんわりと寒さが背を伝って思わず身震いしてしまう。

「…指、冷たいんですけど。もう少し部屋の暖房効かせたら?」

「これ以上暖かくなんてならないよ。正常な体していないんだし、さ」

 彼女は指を勇一の額から離し、病室に負けないくらい白い自分の手の平を見ながら、愁いを帯びた笑みを浮かべる。

 その笑みが、どうにもやるせなくて、切なくて。見ていて心が押しつぶされそうだった。

 気まずい空気が室内を包む。なぜこんなことになってしまったのだろう。きっと森岡のせいだ。あいつが今日のいろいろと日常や世間の事について考えていたのに、あいつの変な発言一つ雰囲気がおかしくなったのだ。明日学園へ行ったら真っ先にあいつの息の根を止めなければなるまい。

「そういえば、今回の劇のテーマって何なの? まだ聞いてなかったけど」

 彼女も気まずい雰囲気を感じていたのか、静寂を打ち破るように話題を持ち出した。

「あ、うん。桜緑祭なら思い切り部費使っても何も言われないからね。かなり豪華に物凄い恋愛物でもやろうと思ってさ」

 この市のおかしな財政力は桜緑際にもかけられているらしい。

 他の文化祭を見たことがないから判らないが、見たことのある人たちの意見から察するに、とにかく「すごい」らしい。何がどうすごいのか、自分には判りかねる所なのだが。

 ただ、学園の講堂にある演劇に使える全ての設備を使えるのがこの時期だけなので、使えるだけの設備を使って人に見せられる最高の劇をやってみようかな、と思っているわけである。

「恋愛物…ね。勇一の作った脚本で今まで一番ウケが良いのが恋愛物だったもんね。がんばってよ。…あまり、妄想のしすぎはしないでね。引いちゃうから」

 果たして、今のは励ましか、けなしの言葉か。たぶん後者だろう。美月はクスクス、と微笑してから、時計を見た。そして、ノートを揃えて勇一に渡す。

「さてと、そろそろ勇一は帰宅の時間です。暗くなるのが早くなり始めているから、気をつけて帰ってよね? 交通事故にあって打ち所が悪くて脳死状態、なんて冗談にもならないですからね」

 確かにそれは冗談にはならない。勇一は苦笑し、窓に目をやった。本当に暗くなり始めている。心なしか雲行きも怪しい。

「あらら、雨降りそうだね…。念のため傘貸してあげるよ。明日返してくれればいいから」

 彼女も窓の外の雲行きの悪さを察知したのか、勇一がバッグの中にパソコンとノートをしまっている間に、ベッドの下に手を入れてごそごそと動かし、ほとんど使われていなさそうな真新しい薄い水色の傘を取り出した。

 …どうしてそんなところにあるのかはあえて訊かないことにしておく。

「サンキュ。恩に着るよ」

 バッグの紐を肩にかけ、傘を受けとると、病室を出ようとしてドアノブに手をかける。

 ドアノブに目を落とす。言わなければならないことがあった。

「今年の桜緑祭、美月も楽しめるように、オレなりに何とかしてみる。だからさ、期待して待ってて欲しいな」

「うん、ありがとう。…ごめんね。私はいつもあなたに迷惑をかけちゃってる」

「馬鹿。美月がそれを言ったら、オレはすごい迷惑を君にかけてることになるんだから」

「ふふ。そうかもしれないね」

 美月は小さく笑う。ドアノブに目を落としたままなので、彼女が本当に笑っているのかは判断のつかないところだ。

「だから、そんなこと言うなって。美月は絶対治る。少なくともオレは信じてるからさ。

こっちも頑張るから、そっちも頑張ってよ」

「うん…。頼りにしてるよ、勇一」

 一度だけ振り返る。だが彼女は窓の方を向いていて、表情をうかがい知ることはできなかった。彼女の背中が、寂しく思えた。「任せておいてよ」と小さく呟き、勇一は病室を後にする。


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