「プロローグ」
世界が、世界を構築する全てが、ただ一人の「者」によって作られているのならば、
それはすごく、悲しいことなのではないのだろうか。
人の運命は決められていたとしたら。それを知らずに人は生きているとしたら。
やはりそれも、悲しいことなのだろうと思う。
運命という網に縛られずに生きている人がいたとしたら。
その人は幸せなのだろうか? それとも――。
思い出は、いつも綺麗なものしか残らない、とよく言われている。
小さい頃の記憶を思い返せば、幾つか思い当たる部分があるかもしれない。
例えば、初めて自転車に乗れた記憶。
例えば、テストで初めて百点を取れた記憶。
例えば、友達と小さい頃、日が落ちても遊んでいた記憶。
たわいもない話で笑いあった記憶。
ケンカして泣きあって。そのあと仲直りした記憶。
そして。
死んでしまった人との思い出の記憶。
思い出は、いつも綺麗なものしか残らない。
どこかの本で適当に流し読みをしただけなので、あまり詳しいことはよく分からないが、人間の頭の中というものは、悪いこと、辛いこと、苦しいことは防衛反応というもので大体は消えてしまう。楽しかったこと、面白かったことが優先されて思い出のスペースを埋めてしまうらしい。
何とも都合のよいつくりをしていると思う。自分も一人間だが、この事を聞いた時、「いやぁ、ヒトの脳というものは実にあっぱれであるなぁ」と幼心に思ったことがあった。
日の丸の扇子を開いて馬鹿踊りしたい気分である。
だけど。
だけど、それはあくまで一般論。
自分は違った。悪い記憶ばかりが優先されて根強く頭に残っている。
もともと良いことなんて少なかったから。
それはもう、記念すべき小学一年生の入学式になど出ていないし。
公園の砂場で砂の山を作って、「トンネル開通」とやらもしたことがない。
記憶にあるのは、白い壁と白いベッドと白い服を着たおねーさんとおにーさん。
そして、長い長い夢の中で見た、白と黒の記憶。あれが自分の中で覚えている、最後の悪い記憶。今でも目を閉じるとおぼろげに現れてはぼやけてぐるぐる回る、嫌な記憶。
きっと、体に残る痕と共に一生残るのだろう。
単刀直入に言ってしまえば、手術の合間に麻酔で眠らされて見ていた夢の内容なのだけれど。
このように、自分にはほぼ「いい思い出」とやらがないのである。
ほぼ、なので、ないわけではない。消してはならない「いい」思い出もある。
それは大切な思い出であり、今の自分の性格は、この人との思い出が形成したと言っても過言ではないはずである。…多分。
だから、自分は鶴のように恩返しをしなければならないのだ。
自分は子犬のように忠誠を誓うのだ。
例え何があろうとも…。
……いや、それは少し言い過ぎなのかもしれない。
とにかく。
この人が人生のゴタゴタに差し掛かったり、捕まってしまったりした時には、自分が側にいてあげて、助けになってあげようと、
そう思ったわけである。