第四十話 脱出の可能性
今、萌黄の目に映る勇者四人衆は、全く同じ形の異空間にいるため、口出しはできるが触れることができない。だから、今まで鬼灯も勇者四人衆もお互い手をこまねいているしかないのだ。
とはいえ、萌黄にはそこまで理解することが精一杯だった。正直、ここに辿り着いた記憶も曖昧だ。紫苑に閉じこめられたとは皆の弁だが、さっきまで千臣に問われて狂ってしまっていたのだ。冷静に落ち着いて考える余裕はない。鬼灯の描く円を呆然と眺めながら、萌黄はかぶりを振った。
「そういう難しいことは任せる。理屈はともかく、脱出する方法はないの?」
父の返答を待たずして、間髪入れずチッと舌打ちが返ってきた。千臣だ。もうその腕には鬼の紅剣はない。松陵の秘術で抑えているとはいえ、身体もまだ万全とはいえないようだ。
だが彼はそんな素振りも見せず、テーブルにカツカツと爪を叩きつけ、眉間にしわを寄せ萌黄に目を向けずに言った。
「脱出できるならとっくにしてるってわからないのか。これだから魔王家の人間は甘い……人任せにばかりして、少しぐらい自分で考える気は起きないのか?」
唸るような千臣の声に、思わず萌黄はテーブルを叩いた。乗っていたチラシが風圧で浮き上がる。だが千臣が鳴らす硬い音は止まらない。
「考えてもわからないから聞いてるのよ。あんただって、こうやってテーブル囲んで父さんを頼ってる時点で考えてないのと同じだわ」
「おいお前、喧嘩売ってるのか?」
「売ってるも何も今更気づいたの? あたしたちお互い……仇じゃない」
自然と声が弱くなってくるのを感じて、唇を噛みしめた。心の中で渦巻く思いは収まりそうにない。だがこんなところでぐだぐだと言い合ったって誰のためにもならないこともわかっている。
千臣からの返答はない。ただカツカツと鳴らしていた音は止まった。
「まあまあ、落ち着けって二人とも。こんなとこで喧嘩してたって何にも解決せえへんって」
「篤志くん、納得できないっていうのはすごくわかる。でも協力しないと私たち、この空間から出られないんだよ」
松陵と嬢子の取ってつけたような言葉で、萌黄と千臣の気持ちを整理させる暇なく、場は再び落ちついた。全部、脱出して紫苑を元に戻してからだ。空気乱してごめん、と萌黄は鬼灯につぶやくと、彼は改めてチラシの裏紙の円を指差した。
「この空間は、完全に閉じられている。どこかに現実空間への抜け道があるとは考えにくいだろう。そうなればこの封鎖自体を破壊するしか方法はなかろう」
「父さんの魔術で破壊するってこと?」
「それはもう試してたで。壊してるはたから空間が勝手に再生してたけどな~」
松陵はためらいなく、鬼灯に見下すような視線を送る。当然、鬼灯が黙っているわけもない。
「貴様、この私を貶すとはいい度胸だ。礼に両手の筋肉を裂いてやろう。貴様の臭い肉などハエも興味ないだろうがな」
「俺も今、自分の死に方について談義する興味はないな」
血の気だっている鬼灯とは打ってかわって、松陵はいたって平然と席を立ち上がる。
重苦しい三人のため息が重なる。
「で、結論を言ってくださる魔王様? 魔王様の魔術ですら破壊できないこの空間を、どうやって破るんです?」
「単純に考えて、方法は三つ、か。紫苑に魔術を解かせるか、紫苑の魔術を消すか、紫苑の魔術を上回る何かで飲み込むか、だ」
何らかの手段で紫苑に魔術を解かせるにも、彼に会わなければならない。この封鎖された空間では無理だ。紫苑の魔術を上回る何かとは、全ての魔術を無効化する鬼の紅剣くらいしかないが、こちらも今手元にない。だが、もう一つの案はまったくわからない。
「魔術を消すって?」
「なかったことにするのだ……」鬼灯はベランダの向こうの変わり映えしない青い空を睨んでいたが、改めて萌黄に切れ長の目を向けた。「この魔術を、いや、紫苑の暴走をなかったことにするのだ。萌黄、『│不順なる時』を使えるお前がここにきた今なら、できる可能性があるのではないか?」
鬼灯の強い語気に、部屋はしんと静まり返った。結果が見えて萌黄は恐る恐る皆の顔色をうかがってみる。案の定、冷凍庫の中のカップアイスを勝手に食べ始めた松陵、嬢子の表情が一気に輝いている。
「お姉さま、そんなことができるんですの?」
「んなわけないって。父さんも過剰評価しすぎだよ。ストイムを使って過去を変えてこいとかいうんでしょ。でもストイムは使えば加速することができるけど、減速して時の流れを逆走するなんて無理」
「まあ、そうだな。だから、他に脱出する方法がないか今考えているんだ」
投げやりな鬼灯の様子を見て安心している自分に、萌黄は後悔した。この事態は鬼灯でも想定外なのだ。答えなど簡単に出ないに決まっている。その中で彼は彼なりに脱出手段を考えていたのだ。
しばらく、ストックしていたスナック菓子をつまみながら、ああでもないこうでもないと議論が続いた。勇者四人衆からは魔王の身体から血を抜き出して鬼の紅剣のダミーを作れないかという突飛な案まで出たが、血を巡って死に瀕した鬼灯がその意見を一刀両断したため、結局答えはまとまらず、外は夜になっていた。