第三十四話 真紅の瞳
「消し去った?」
二人の返事の声色はまったくもって正反対のものだった。棗は萌黄と同じ反応をして事情が読み込めないように混乱していたし、エリザベスは貶すように鼻で笑っただけだった。
「なんだそりゃ。消えたの勘違いじゃねえのか? 確かに紫苑坊やは空間魔術の使い手だけどよ、相手を消し去るなんて魔術は使えねえだろ。都合よくそう見えただけで、相手が逃げてったに決まってるな。それによくよく考えても見ろよ、相手を消し去る魔術使える奴がいたら最強すぎるだろ。最低、破壊魔鬼灯より強いだろうな。ありえねえ、まったくありえねえよ――」
エリザベスの饒舌は自然と止まった。実際に目撃した萌黄も、萌黄の表情から全てを読み取った棗もエリザベスの話は聞いていなかったのだ。無視されたエリザベスは短く舌打ちして二人に冷たい視線を向けた。
「何辛気臭くなってんだよ。それが事実だって言うんならいいじゃねえか。魔術の腕が上がって、勇者四人衆を消し去ったんだぜ。悪いどころかいいことだろ、もしかしたら取り返せるかもしんねえぞ、魔界」
「でも、あれは紫苑じゃなかった。ううん、紫苑じゃないみたいに見えたの。あたしを見て無表情だった。しかもその眼は真っ赤だったのよ」
思い出すだけで頭の中が掻き毟られるような心地がした。真っ赤、そう呟いたエリザベスはソファーからテーブルに飛び乗って、改めて萌黄と棗を見た。彼女の丸い瞳が獲物を見つけたかのように妙に鋭い。
「赤い瞳、そりゃあ魔王としての素質があるってことだぜ」
想定外の言葉にきょとんとする萌黄の隣に棗は座った。ホットミルクが二つ、テーブルの上に置かれる。
「どういうこと、エリザベス?」
「おや、魔王妃ともあろう者が知らねえのか? まあお前は田舎育ちだからな、仕方ねえか。初代魔王を知ってるか、計り知れない魔力と権力と統率力を持ってて一代で魔界を統一したとんでもねえ野郎だ。そいつの瞳は生まれた時から血のような赤い瞳をしてたって言うぜ。まあ伝説なんだけどよ。他にも、五代魔王ってのは世界中から巻き起こった市民蜂起を一週間で、しかも一人で弾圧したっていう桁外れの奴だ。そいつも出生から隠居するまで赤かったらしい。つまり赤い瞳は、何かを変える魔王に共通するもんだぜ。確かに三十代魔王以降五十一代の鬼灯までの間に一人も生まれなかったけどな」
「消し去る魔術も、それが原因なの?」
「よくわかんねえがそうかもしれねえな」
エリザベスは棗が持ってきたミルクの一つに口をつけた。萌黄も棗から渡され、温かいミルクを口に含んだ。冷え固まっていた頭がゆっくりと柔らかくなっていく。
エリザベスの言うことをまとめるなら、赤い瞳の持ち主は圧倒的な力と、魔王となりうる器を持つ存在だ。史上最強と謳われた鬼灯ですら持ちえなかった赤い瞳。その赤い瞳がなぜか紫苑の中にある。しかも突然に。
「じゃあ何で急に赤い瞳になったの? 今日の朝までは普通だったのよ」
「知らねえよ、あたいは全知全能の神じゃねえし。何らかのきっかけがあったって考えるのが普通だろ」
「きっかけ、って紫苑は昨日までずっと寝てたわよ」
「だから知らねえって言ってんだろ。あたいはあくまで可能性を言ってやってるだけだ」
もう一口だけミルクに口をつけただけで、エリザベスは窓の外へ飛び出していった。気まぐれで散歩好きなのが唯一猫らしく感じるところだ。
残された萌黄たちは何も言わないまま心当たりを探っていた。単なる移動魔術であった空想が相手の存在だけを消す空間魔術にもなっている。この変化が偶然で済まされるとは思えない。確かにエリザベスの言うとおり何かきっかけがあったのかもしれない。でも彼はしばらく眠っていて接触の気配もなかった。
学校で何かあった? 例えば嬢子たちに襲われたとか?
いや、それならば萌黄の前に紫苑が現れた時の嬢子と松陵の反応がおかしい。彼らは紫苑があんな魔術を使えることには気づいていなかった。つまり彼らの前で「変化」が起きたとは思えない。
他に候補と言えるものは、彼が眠る前に行っていた魔界ぐらいしかない。
そう言えば、魔神の水晶とは違う、もう一つの家宝がどうとか言っていたような。
玄関の扉が呼び出し音なしに開いた。鬼灯は棗に頼まれていた買い出しに出ていたらしい。両手一杯にスーパーの袋を抱えている。
「帰ってきたぞ……どうかしたのか?」
さすがの鬼灯も二人の様子に戸惑っているようだった。
萌黄が今までの経緯について説明すると、鬼灯は何とも言えない様子で唸った。
「あれが原因かもしれん」
「あれって?」
「あれだ。輝く魔水――初代の魔力を含んだ水。あの水を、紫苑は飲んだんだ」
「飲んだ!?」
「何をそんなに驚いて……もしや説明していなかったか?」
「聞いてないわよ」
萌黄と棗が口を揃えて突っかかってくるのには、鬼灯も抵抗のしようがなかった。