第二十九話 戦士一族の失踪
呼び出された放送室の扉をノックしてみた。が、返事はない。
「あのー、誰かいませんか?」
太鼓がロックを奏でるがごとくノックを繰り返しても沈黙が返ってくるだけだ。いや、それよりも握り締めた拳が痛い。ドアノブを握って回してみても、ガチガチと金属に弾き返されるだけで扉は押しても引いても開かない。
ホームルームの開始を知らせるチャイムがスピーカーから流れている。
イタズラだ。それもたちの悪い。いや、たちが悪いなんていう言葉で済むものか。
さっさと踵を返し、廊下がひび割れそうな足音を響かせながら階段を上り始めた。よりによって放送室というものは一階にある。萌黄の在籍する三年クラスの教室は四階だ。具体的に言えば二十段の階段を六回も上らなければならないのだ。面倒だし、体力の浪費である。
皮肉に似たため息がこぼれ、二階に足を掛けたときだった。
「あ、いたいた紫苑様のお姉さま!」
三階から一つ飛ばしに階段を降りてきたのは、かのツインテール少女・金馬嬢子だった。
「呼び出してすいません、放送を掛けたのは私なんです」
躊躇いなくリッちゃんのごとく、萌黄の胸に飛び込もうとした彼女は見事に結界に弾き出された。吹き飛んだ彼女は上り階段に思いっきり腰をぶつけている。
「いたい……一体なんですかお姉さま!」
「あんたたちが襲ってこないように結界張ってるだけよ。近づいたらこうなるの。わかったらさっさと教室帰ってホームルーム受けてくる、わかった?」
魔神の水晶の効果を身をもって知った萌黄は勝ち誇って、嬢子の傍らを通り過ぎた。これなら勇者四人衆も怖くない。むしろ怖いのは、茶々先生の遅刻指導と、リッちゃんの心配顔だ。
三階に上っても嬢子は追いかけてこない。魔神の水晶に恐れを為してくれたのならそれは嬉しいことだ。リズムよくステップを上っていた萌黄は、四階に仁王立ちする少年の姿を目にしてしまった。
「はろー、魔王女ちゃん」
松陵圭太だった。まったく今日はついていない日だ。どうして平穏な日常の邪魔ばかりするのか。思いながらも萌黄は無視して階段を上りきった。こちらには魔神の水晶があるのだ。強行突破なんて軽いものだ。
「無視? でも一つだけ聞かせてくれへん?」
後ろからついてくるのはわかるが、萌黄は興味もなく三年一組の看板目指し歩くだけだ。
「千臣の失踪――知ってるか?」
「あんたたちが知らないことなんて、あたし知らないわよ」
「じゃあ、魔王は今どこに居る? 今回の奴の失踪と関係ないんか!?」
荒らげた松陵の声が突然遠くに消えた。後ろの足音も同時にぱたりと消えた。
「知らないって、言ってるでしょ」
萌黄は半分だけ後ろを顧みただけで、茶々先生の点呼が響く三年一組へ飛び込んだ。
*
「おかえり萌黄」
自宅へ帰った萌黄に掛かったのは、紫苑の声だった。リビングに入ると、彼はヒーロー特撮「正義の星スタートリガー」の再放送に見入っていた。まるで今日の朝まで寝込んでいたとは思えないほど、普段と様子は変わらなかった。
「もう、大丈夫なの?」
通学鞄を床に置き、萌黄は弟の隣に座った。エンディングが流れるテレビを黙らせた紫苑は、今にも泣き出しそうな萌黄を見るなり大袈裟に笑いだした。
「大丈夫だって、ただ疲れてただけなんだから。そんな心配しなくたって平気」
「そっか……よかった」
「話はエリザベスから聞いたよ。これを持っておけばいいんだよね」
紫苑の手には四分の一に割られた一つ、半月型の魔神の水晶が乗っている。この効果は確かだった。嬢子も松陵も為すすべもなく吹き飛んでいったのだ。手のひらに乗るほどの大きさながら、威力はかなりのものだった。
そう言えば、松陵は千臣が失踪したと言っていた。どうでもいい、むしろ嬉しい話ではあるが、あのときの松陵の切羽詰った声が脳裏を掠める。嬢子も突然敵である萌黄の胸に飛び込もうとしてきた。二人とも押さえ込もうとしていたようだったが、あふれ出た感情は魔王である鬼灯を前にしたときよりも混乱していた。
失踪。
もしかしたら父さんが、千臣の身体を完全に破壊したのかもしれない。
「父さんは帰ってきた?」
「帰ってきたよ。三十分ぐらい前だったかな」
「そう。今はどこ行ったの?」
「買い物。腹が減っては戦はできぬとか言って、近所のスーパーまで行った」
「ふうん、それで何か言ってなかった?」
「それがまだ何の進展もないんだってさ。だから明日学校で待ち伏せでもやってみようかとか言うんだ。そんなことしたら一般人も巻き込んじゃって、この世界からも追放されちゃうって言ってるのに聞かなくてさ――」
紫苑の愚痴は耳から耳へと通り過ぎていった。
じゃあ父さんと、千臣の失踪には関係がないってことだ。それはいいことなのか、悪いことなのか。
汚れたキッチンから、滴るしずくの音が虚しく響いている。