第十二話 父さんの危機
「篤志君大丈夫!?」
宙に浮かぶ箒から落下してきた二人のうち、少女は泣き崩れそうな顔を隠すように千臣の手を取り起き上がらせた。そして落下してきたもう一人の少年は鬼の紅剣を構える鬼灯を弾き返して、即座に間隔を取った。嬢子も松陵も、圧倒的実力を目にし恐ろしさをぐっと堪えているのが萌黄にもわかる。
それを嘲笑うかのように鬼灯は鬼の紅剣で空を掻いた。
「その防御術……僧侶一族の神聖な盾だな。それにそっちの小娘は魔女、か。手っ取り早く餌に群がるとは、素直に降伏に現れたか? それとも勇者四人衆の格言――皆で行けば恐くない、か?」
「え、そんな格言あるんか?」
「あるわけないでしょ、犯罪者じゃあるまいし。それか、言うとしたらスタートリガーが万引きする時ぐらいだよ……」
松陵に素っ頓狂な口調で尋ねられ、嬢子はきっぱりと一度だけ首を横に振って諌めた。ふざけている余裕など全くありはしないようだった。彼女らにとって状況が劣勢なのは変わりないのだ。
と、その時箒が急降下して、荒れた地面にめり込んだ。
同時に、彼ら三人の姿が消えた、ように見えた。鬼灯が見上げた空の、丁度箒があったところに三人は浮かんでいた。それが嬢子の魔術であるのは萌黄にもわかった。
「では、一旦退かせていただきます」
「離せ松陵、俺はまだ何もやり遂げてはいないんだ」
「落ち着きや、一匹狼。お前が殺されるなんていう神様のお告げは出てない。こんなとこで殺されるわけにはいかんやろ」
突然導かれるように、鬼の紅剣は彼らの声に反応したのか震えだした。さらに声がする方に剣が引っ張り込まれていく。まるで主を求める犬のように、意味がわかっていない鬼灯の手を華麗に振り払って宙に浮かんで追っていった。
そのまま三人は、鬼の紅剣から逃げるように空の向こうへ飛んでいってしまう。
「待て!」
鬼の紅剣を失った鬼灯は微かに彼らが見える校舎の陰に右腕をかざした。父さんが本気を出す。萌黄は咄嗟に耳を塞ぎ瞳を閉じた。
しかし、沈黙のまま平和な参観日が過ぎていくだけだった。
*
「最悪の状況かもしれん」
紫苑の空想で萌黄たちは家に帰ってきた。が、部屋に入るなり鬼灯は一直線に寝室へ入り、扉の鍵まで閉めてしまった。放っておけばいずれ出てくるのは間違いないのだが、放っておけるほど猶予のある状況ではない。
「何があったんだよ、萌黄。まさか父さんが勇者四人衆を倒せなかったって言う?」
鬼灯の前では遠慮して口を開かなかったが、ついに紫苑は堪えきれずになったようだ。
「そのまさかよ。だから、落ち込むのも無理ないと思う」
「まさかって、何で倒せなかったんだよ、父さんの魔術は魔王家史上最強だったはずだろ。それが、効かなかったのか?」
「違う、効かなかったんじゃなくて……魔術が使えなかったのよ」
萌黄も自分の目で見て知っている。三人が逃げようとした時、間違いなくそれを阻止しようと魔術を使おうとしていた。だが、実際には何も起こりはせず彼らにも逃げられてしまったのだ。
最初は、魔術を無効化するという鬼の紅剣の影響かと思った。しかし思い返してみれば、鬼灯が魔術を使用しようとしたその時にはすでに鬼の紅剣は随分離れていたはずだ。影響はないはずだった。
「魔術が使えないって……どうしたんだよ父さん、こんなときに」
「わかんないよ、少なくともあたしたちが口出しできるような問題じゃない。でも前から傾向はあったわ……前に面接落ちしたとき、父さん面接官を殺せなかったって言ってたじゃない? それってもしかして、魔術が使えなかったせいなんじゃないかって今になって思うの……」
確かに鬼灯はこちらの世界に来てからというもの、一度も魔術を行使したことがなかった。それゆえに三年ものブランクはある。とはいえ、魔王家における魔術は、幼いころから使いこなしを徹底して教わり、いわば本能的に扱えるものとなっていた。それなのにここに来て急に扱えなくなるという事態自体、遭遇したことのないものだった。
寝室からは物音一つしない。
「このまま父さんが魔術を使えないままだったらどうするんだろ……俺も萌黄も母さんも、攻撃系魔術は使えないんだ。今、勇者四人衆に襲われたら対処なんてできないじゃないか」
紫苑の言うことは警告ではなく現実だった。考えれば考えるほどに、現実が迫ってくる。
だからといってどうすればいい?
六時を過ぎて仕事から棗が帰ってきても、動揺が増えるだけで何一つ打開されることはなかった。
「……そんなことになっていたのね」
「母さん何とかできないの?」
口を揃えて寄ってかかる子どもたちに、困惑した様子で棗は宥めるように口を開いた。
「ないことはないけど、それには父さんに相当な覚悟が――」
「わかっている、母さん」
重く閉じられていた扉の鍵は覚悟によって開かれていた。
「だが危険を承知で一旦帰るしかないだろう、魔界へ」